第9話 従順、純朴な妹

「そうか……」


 レイラたちが家に入っていくのと同時に、目を閉じていたライルが目を開けてゆっくりと顔を上げる。


 今年で二十歳にとなり、既に大人の仲間入りを果たしているライルは、父親方の血を濃く受け継いだのか、ローザとよく似た鋭い眼光を持った端正な顔立ちとなったが、相変わらず額の傷の所為で、初めて見る人からは恐れられる存在であった。


 強化魔法で聴力を上げてレイラたちの会話を盗み聞きしていたライルは、大きく息を吐きながら感慨深げに呟く。


「遂にその時かが来たか」

「えっ、その時ってどの時ですか?」


 ライルの呟きに、すぐ近くから反応する声が上がる。


「もしかしてご飯の時間ですか?」

「……違う」

「えへへ、冗談です」


 弾むような声で応えるのは、まだあどけなさが残るものの、レイラによく似た顔立ちをした可愛らしい少女、流れるような眩しい金髪を一房に纏めて後ろに束ねたポニーテール姿が眩しい、ライルの妹であり、神の祝福を受けた勇者、リリィだった。


 木から吊るされた丸太を相手に、剣の特訓をしていたリリィは、木剣を腰のベルトに刺し、流れてきた汗を拭うと、嬉しそうにライルの下へと駆け寄って来る。


「お兄様、剣のノルマ、終わりましたよ」

「そうか、随分と早くなったな」

「ええ、それはもう、お兄様の特訓のお蔭です」


 リリィは腰に手を当てて仁王立ちすると、未だ発展途上の胸を得意気に張ってみせる。


「どうです? 少しは勇者らしくなりましたかね?」

「そうだな、体力や技術的なものは申し分ないだろう。ただ……」

「後は経験……ですね」


 ライルから何度も口煩く言われ続けて来たリリィは、しかと頷いて見せながらそっと腰の木剣を撫でる。


「できれば私も勇者としてお呼びがかかる前に、実戦経験を積んでおきたかったのですが、どうしてかこの辺りには魔物が現れませんからね……」

「気にするな。魔物が現れないお蔭で母たちが安心して過ごせるのだ」


 歯痒そうに表情を歪めるリリィの頭を、ライルは軽く撫でながら微笑を浮かべる。

 本当は神々の領域ホーリースフィアを発動し続けているから、村の中まで魔物が入って来られないだけなのだが、ライルはそんなことを微塵も感じさせることなく、しれっとした態度で話す。


「それに、我の教えを忠実に守ってきたリリィが、そこら辺の魔物に後れを取るはずがないから安心しろ」

「――っ、はい!」


 ライルの言葉に、リリィは嬉しそうに笑顔を弾けさせると、手を伸ばして自分の腕と兄の腕を絡ませる。


「お兄様……私、必ず立派な勇者となってみせますから、これからも見ていて下さいね」

「そう……だな」

「お兄様?」


 歯切れの悪い言葉を返すライルに、リリィは不安そうに表情を曇らせる。


「どうしましたか? 何か、私が至らない点がありましたか?」

「いや、そうではない」


 今にも泣きそうになっているリリィを見て、ライルは苦笑しながらゆっくりとかぶりを振ると、安心させるように手を伸ばして彼女の頬を撫でる。


「リリィはよくやってくれている。兄として、とても誇りに思っているよ」

「……本当ですか?」

「ああ、無論だ。リリィはきっと過去最高の勇者として、歴史に名を残す存在になると我が太鼓判を押してやろう」

「そ、そんな……これも全て、お兄様が私を立派な勇者になるべく、ご教授してくださったお蔭ですよ」


 ライルの手放しの賞賛に、顔を真っ赤にしたリリィは嬉しそうにはにかむと、絡めていた腕を離して胸の前で小さくガッツポーズをする。


「それじゃあ、お兄様。次は村の外周を走って参りますね?」

「あ、ああ……行ってくるがいい」

「はい、リリィの勇姿、その目に焼き付けておいてくださいね」

「あ、ああ……」

「約束ですよ。では、行ってまいります!」


 大きく手を振ったリリィは、途中で何度も振り返りながらいつもの課題をこなすために走り去っていった。




「…………やれやれ」


 リリィが見えなくなるまで手を振っていたライルは、彼女の姿が見えなくなったところで「はぁ……」と大きく息を吐く。


「勇者として立派に育ったのはいいが、我に依存し過ぎるのは困ったものだな」


 リリィからの熱烈な愛をひしひしと感じながら、ライルは自分の教育方針を少し反省していた。


 ライルはリリィを理想の勇者にすべく、物心ついた時から熱く指導して来たのだが、いつの頃か彼女は、勇者である自分を育ててくれる兄は、勇者を超えた神にも等しい存在であると信じ、陶酔するようになった。

 何処までも従順なリリィに、最初は効率よく勇者として育てることができると、喜んでいたライルであったが、ここに来て一つ問題が起きていた。


 それは、リリィが勇者として旅立つ日になったその時、果たしてキチンと兄離れすることができるか? ということだった。


 今回、ライルはリリィの旅立ちまでを見守り、後は彼女に見つからないように何処かでひっそりと見守る予定だったのだが、先程の様子を見る限り、一人で旅に出ろと言おうものなら、どうなるかなど考えるまでもなさそうだった。


(これは……今晩は荒れそうだな)


 今日はリリィが勇者として王に認められ、王都に召喚されるであろう祝いの席となるはずなのに、大半は説得に費やすことになりそうだった。

 そんなことをひっそりと思いながら、ライルはどうやってリリィを説得するかを、シミュレートしていくのであった。

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