第2話 母の愛に触れて
「うっ…………くる…………しい」
呼吸すらままならない状況に、魔王は逃れようとジタバタともがくが、何者かの拘束力は存外に強く、逃れることができない。
このままでは窒息してしまうのではないか。魔王の脳裏に最悪の事態が浮かんだ時、ようやく拘束が解かれて目の前に女性の顔が移る。
そうして現れた眩しい金色の長い髪をひっつめた美しい女性は、目に溜まった涙を拭うと、魔王の顔を両手で包み込んで嬉しそうに破顔する。
「よかった。ライル、あなたもう三日も目を覚まさなかったのよ」
「三日? 目を……覚まさなかった?」
「そうよ。魔法使いなのに攻撃魔法が使えないと馬鹿にされたあなたは、頭を強く打てば使えるようになるかもと、木の上から飛び降りたのよ」
「馬鹿な……」
女性の言葉を聞いて、魔王は愕然とする。
当人が行使できる魔法は、持って生まれた才能が……最も初級の基礎魔法をどれだけ使えるかで全てが決まると言っても過言ではない。
上位魔法は基礎魔法の派生に過ぎず、努力を重ねて力を伸ばすことはできても、攻撃魔法が使えない者は、天地がひっくり返っても攻撃魔法が使えるようにはならない。
そのことを熟知している魔王からすれば、木の上から飛び降りれば魔法を使えるようになるかもしれないという発想は、余りにも愚かで浅ましい行動だと思えた。
「本当……馬鹿よ」
呆然と呟く魔王に、女性は息子の頭に巻かれた包帯を撫で、溢れてきた涙を拭って頭を抱き寄せると、愛おしそうに撫でながら耳元で囁く。
「だからお願い……もうこんな馬鹿なことをして、母さんを悲しませないと誓って」
「…………えっ?」
自らを母親と名乗る女性の言葉に驚いた魔王は、そこでようやく自分の体の異変に気付く。
どう見ても子供の手にしか見えない小さな手に、短い足。そして、何より魔王の証たる長い角の消失……、
「まさか、本当に……」
魔王はハッ、と顔を上げながら自分を抱く女性の顔を見る。
女性の大きな瞳に、金色の髪を持つよく似た顔立ちの自分が映っているのを見て、魔王は勇者たちが言っていた通り、異世界にある別の人物へと転生したのだと自覚したのだった。
「状況を整理しよう」
心配する母親に「もう危険なことはしない」と誓ってどうにか家を出ることを許された魔王は、拾った棒で地面に図を描きながら、今の状況を整理していた。
「どうやら我はレイラの子、ライルという少年として生まれ変わったようだ」
母親のレイラによると、ライルは魔法使いとしての才覚を見出され、基本的な回復魔法、補助魔法を順当に修め、次はいよいよ攻撃魔法を習うという時に、攻撃魔法を扱う才能がないことが発覚したという。
必死に努力を繰り返しても全く才能が開花しないライルは、同期の連中にからかわれ、頭を打てば攻撃魔法を使えるようになれるかもしれないという戯言を信じて、木の上から身を投げたという。
「我がこの体に入っているということは、当のライルは既に……」
魔王は地面に書いたライルという名前に、バツ印を付けながら嘆息する。
ライルという少年が既に死んでしまったことについて、魔王は別に思うところはない。
ただの哀れな少年が阿呆なことをして命を落とした……その程度の認識だ。
だが、その体に入ってしまった自分は、ライルの能力をしっかりと受け継いでいた。
魔王は
レイラの言葉通り、基礎的な回復魔法と補助魔法は一通り全て使えるようだが、そこには攻撃魔法は一つも表示されていない。
十も満たない年齢で、攻撃以外の基礎魔法を全て修めているというのは魔法使いとしては破格の才能だが、攻撃魔法が使えないというのは致命的な欠陥と言っても過言ではない。
何故なら攻撃以外の魔法は、他の職業でも使える者が多いからだ。
強力な攻撃魔法を使えるのは魔法使いだけ。その大原則があるからこそ魔法使いはパーティーに必要とされ、その価値はどれだけ攻撃魔法を使えるかで決まるのだ。
「そういえば、勇者の仲間が我の攻撃魔法を封じるとか言っていたな……」
もしかしてライルが魔法使いなのに攻撃魔法を使えないのは、魔王の転生先として選ばれたことと何か関係があるのだろうか。
だが、いくら考えたところで結論など出るはずもない。
それに魔王を追放すると決めたのは勇者たちなのだ。
「…………我は、謝罪などせぬぞ」
魔王は誰となくひとりごちると、ライルの魔法使いとしての力がどれほどであるのかを確認することにする。
一通りの基礎魔法を覚えているくらいには優秀なら、後はどれだけ魔法を連発して行使できるかを試しておきたいと思ったのだ。
すると、
「……むっ?」
試しに適当に魔法を使おうとしたところで、魔王はある違和感を覚える。
頭に使える魔法を思い浮かべたところで、その数が異様に多いことに気付いたのだ。
「……これは、もしかして」
魔王が考えられる可能性を試みようとしたところで、
「ライル! ライル、何処なの!?」
母親のレイラの心配そうな声が聞こえ、魔王はハッ、と顔を上げる。
転生してライルに乗り移ったとはいえ、魔王にとってレイラは赤の他人だ。別に彼女の息子として振る舞う必要はないし、何ならこのまま消えてしまっても構わない。
「…………」
そう思う魔王だったが、
「…………謝罪はせぬが、お前の母親に泣かれるのは困るからな」
そう呟くと、立ち上がって尻に付いた汚れを払ってライルを呼ぶ声の方へと歩き出す。
「それに、これからあの母親には支えてやる者が必要となる」
息子の姿を見つけて嬉しそうに手を振るレイラのお腹は、スリムな顔に対して随分と大きくなっている。
どうやらレイラは妊娠しているようだった。
レイラの話によると、冒険者である父親は、長期の仕事とかでいつ戻るかわからないという。
家族は他に祖母がいるようだが、男手が圧倒的に不足しているのはどうしようもない事実だ。
「だからせめて……新しい命が生まれるまでは、我が面倒をみてやるさ」
それは魔王が、ライルとして生きていくと決めた瞬間だった。
ライルとして生きていくと決めた魔王は、妊娠中のレイラを支えるため、献身的に彼女を支えた。
当初、人が変わったかのように家の手伝いをするようになったライルに、レイラは彼の頭に残った大きな傷痕が原因なのではと心配していた。
だが、ライルが家の手伝いを買って出てくれることに不満があるはずもなく、息子の献身的な庇護のもと、お腹の子供は順調に育っていった。
――そして、魔王が攻撃魔法の使えないライルとなってから、三ヶ月の月日が流れた。
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