第3話 神の祝福、勇者誕生の時
「ああ、ああああああああああぁぁっ!!」
ライルが住む丸太を組んで造られたログハウスに、女性の苦しそうな声が響き渡る。
「ほら、レイラ、もう少しだよ。頑張りな」
ベッドの上で苦しそうに喘ぐレイラに、彼女の母親でライルの祖母であるローザが手を握ってやりながら励ましの声をかける。
「こ、これが……出産」
いつも柔和で、穏やかな笑みを絶やさないレイラの苦しそうな表情を見て、ライルは顔を青くさせながら後退りする。
女性にしかできない出産というものがあるというのは認識していたが、基本的に単体で輪廻転生を繰り返し、他者と交わることのなかったライルとしては、こうして初めて目の当たりする生命の誕生の瞬間にいい知れない恐れを抱いていた。
「ライル、何そんな所でボサッとしているのさ」
すると入口で呆然と立ち尽くすライルに気付いたローザが、顔をしかめながら手で追い払うような仕草をする。
「ここは女の戦場だ。男のあんたが入る余地なんてないよ」
「で、でも……」
「でもじゃないさ。ここはあたしに任せて、あんたは外で時間を潰してきな」
「わ、わかった……」
穏やかなレイラとは打って変わり、自分にも他人にも非常に厳しいローザの迫力に、ライルはおとなしく従うしかなかった。
だが、
「……母っ!」
意を決したように顔を上げたライルは、苦しそうに喘ぐレイラの下へ駆け寄ると、彼女の手を取る。
「絶対に大丈夫だから。どうか……どうか元気な子を産んでくれ」
そう言いながら、ライルはレイラに初級の回復魔法、ヒールをかけてやる。
次の瞬間、レイラの体を緑色の温かい光が包み、苦悶の表情を浮かべていた彼女の顔が少しだけ和らぐ。
「ライ……ル、ありがとう」
息子の回復魔法で少し楽になったレイラは、ライルの手を握り返しながら儚げに笑う。
「安心して……母さん、頑張るからね」
「…………ああ」
レイラの手を力強く握りながらライルが頷いてみせると、
「父親じゃあるまいし、何をカッコつけているんだ」
「あぐっ!?」
ローザの呆れた声と主に、ライルの頭頂部にゲンコツが振り下ろされる。
「ほらほら、回復魔法を使ったことは褒めてやるが、子供の出番は終わりだ。とっとと出ていきな」
「痛ううぅぅ…………この、クソババァが」
「何か言ったかい?」
「…………何も」
ここでローザと揉め事を起こすのは、レイラのためにも、お腹の中の赤ん坊のためにもよくないと悟ったライルは、痛む頭を擦りながら部屋から退出する。
「ううっ……ああっ、あああああああああああああああぁぁ……」
「頑張りな。ほら、赤ん坊の頭が出て来たよ」
部屋を退出したライルの耳に、レイラの苦しそうな呻き声が再び聞こえてくる。
(母……頑張れ)
ライルは心の中でレイラにエールを送りながら、音を立てないように静かに家の外へと出た。
「さて……」
今日は生憎と曇天模様が広がっており、遠くまで出かける気分にはなれないが、子供が生まれるまでこの辺で適当に時間を潰そう。
そう思ったライルが家の外に出たところで、何やら自分の家の周りだけ明るいことに気付く。
一体何事だろうとライルが天を仰いだところで、
「なっ!?」
空の一部に、明らかに異変が起きていることに気付く。
今にも雨が降りそうな厚く、暗い雲が広がっている中で、この家の真上にある厚い雲を切り裂くような温かな光が降り注いできたのだ。
降り注いできた光は徐々に範囲を広げたかと思うと、曇天をあっという間に吹き飛ばして天気を快晴へと変える。さらに摩訶不思議なことに、雨も降ってもいないのに天に何本もの虹がかかる。
「こ、これは、もしかして神の祝福……なのか?」
天候を操り、無数の虹を同時に出現させるという人知を超えた奇跡は、正に神の御業と呼ぶに相応しい所業であった。
「そういえば勇者が誕生する時、神が無数の光と虹で生まれてくる子に祝福を与えるという話を聞いたことがあるが……」
といってもそれは、勇者を美化するための与太話であるとライルは思っていた。
魔王時代に幾度となく試練を用意し、理想の勇者を育て上げたと自負するライルであるが、勇者の誕生に立ち会ったことはなかった。
というのも、神が勇者を選定する地は、偶然なのかはたまた必然なのか、強い魔物が存在しない場所ばかりが選ばれるのだ。
そういう地には魔王と視覚を共有できたり、情報の伝達がスムーズにできたりするような強力な魔物がおらず、言葉も碌に介せない者も多いので報告も要領を得ないのだ。
故に、報告は話半分しか聞いていなかったのだが、
「……まさか本当に、勇者誕生の瞬間を目にする日が来るとは思わなかった」
山の向こうにまで架かった虹を見ながら、ライルは感慨深げに呟く。
しかも、最初に光が降り注いだ場所がこの家ということは、レイラのお腹の子が、神に選ばれた勇者ということだ。
「……まさか我の
まだ屋内から赤ん坊の泣き声は聞こえてこないが、自分が勇者の兄となれると思うと、ライルは興奮を抑えきれなかった。
何処かに行こうかと思っていたが、このまま赤ん坊が生まれるまでここで待っていよう。そう思ったライルは、家の脇にある薪を割るための切り株に腰かけ、その時を待つことにする。
「――っ!?」
だが、次の瞬間、頭から水を浴びせかけられたかのような悪寒が全身に走り、ライルは下ろしかけていた腰を止め、辺りを注視する。
(な、何だ。近くに……強力な魔物でもいるのか?)
勇者が誕生する地に、それほどの魔物が現れるとは思えないが、万が一を考えてライルは注意深く周囲を見渡す。
攻撃魔法を使えなくとも、この体は魔法使いとしてはかなり優秀なようで、ライルは索敵魔法に多くのリソースを割いて広範囲を索敵する。
「…………見つけた」
そうして空の彼方、数十キロ離れた上空に強大な力の反応を見つけたライルは、地を強く蹴って宙に浮かぶと、その者の正体を見極めるため、一陣の風となって一直線に飛んでいった。
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