8 ◆

 文化祭開始から未だ客のこない展示室にひとり。パイプ椅子に深く座って、誰もいないのを良いことに大口を開けてあくびをした。


「あくび、でか」

「うわ、若菜」


「うわってなによ、うわって」


 初めてのお客さんかと思えば若菜だった。


 クラスTシャツに制服のスカート。女子高生らしい格好だなぁと思いつつ、私も似たようなものだ。ブレザーを着ているか、着ていないかの違いしかない。


 九月最終週、土曜日。スクールカースト上位面子しか楽しくない、文化祭。

 お化け屋敷や出店など、文化祭の定番と言えるものは二年生以降からしか出来ない。一年生に許されているのは、展示か演劇のみだ。


 私のクラスは案の定やる気なく、適当に選ばれた展示発表だった。六班に分かれて戦後から現代にかけての日本近代史を調べ、模造紙にまとめただけ。


 もちろん部活での出し物も展示。世界遺産研究部だ。展示発表以外に何をしろと。


 私は今、世界遺産研究部の展示用教室で受付を担当している。受付と言っても、来場者を記録するだとか、そんなご大層な仕事はない。ただ座っているだけだ。

 クラス展示の受付を免れたので、部活の方は立候補した。文化祭を楽しむつもりもないのだし、ここで座っているほうが気が楽だもの。


「熊ちゃん、誰か来た?」

「だーれも。閑古鳥が鳴いてる」

「だよねぇ。来るわけないよねぇ」


 若菜のクラスは演劇だと聞いている。暇そうにしているということは、とくにやることもないのかな。


 ボードに貼り付けた世界遺産の写真を、若菜がゆっくりと眺める。私は、その後ろ姿を眺める。

 準備のときにあれだけ見ていたのに、まだ見るんだ。


「若菜、クラスの方はいいの」

「美術担当だったからね、当日はやることない」

「他のお店とか、いかないの」


 くるりと振り向いて、悪戯っぽく笑った。垂れた目が、もっと垂れる。


「騒がしいじゃん。ここで熊ちゃんとダラダラしてる方が落ち着く」

「あっそ」

「つーめーたーいー」


 おそらく本館は騒がしいのだろうが、展示が集まる文化館はいつも通り静かだ。私みたいな、青春にやる気のない生徒ばかりが集まっている。

 若菜はどちらかといえば、そんな青春の中心にいるような子だと思っていた。


 パイプ椅子をもうひとつ引きずってきて、私の隣に腰掛ける。柔軟剤のにおい。


「熊ちゃんは? 原ちゃんと受付交代したら、どーすんの?」

「どうもしない。由紀とここで駄弁る」

「一緒に周ろうよ」


 騒がしいの、嫌なんじゃなかったの。


 受付の長机にべたっと身を預けて、こちらを見上げ笑う。良いじゃん、お化け屋敷いこうよ、なんて言って、唇の端を上げるのだ。

 お化け屋敷なんか嫌いだし、高校生の手作りカフェなんか行きたくないし、つまらない素人演劇なんてもっと興味ない。


「だめ?」

「…………ちょっとだけなら」

「やった!」


 私なんかといても楽しくないだろうに。

 昨日の準備だって、本当はつまらなかったでしょう。若菜ばかり喋っていた。


 誰かが廊下を駆けていく。


 毎年使い回しのしょぼい展示、誰も興味ないよね。うん、私も興味ないよ。




 部室で文化祭の話題が出たのは、九月の一週がすぎた頃だった。校内の至る所で準備の様子が見える中、明らかに遅すぎる話題であろう。


 そもそも、部員が二十名を越えている部活は文化祭で何かしらの活動をしなければならない、など知るわけがない。先輩はやる気ないし、顧問は顔を出さないし、部員のほとんどは幽霊なのだから。

 まぁ、早めに教えてもらったところで、やることはどうせ変わらなかったのだろうけど。


「若菜さん、あった」

「どれー?うわ、箱ちっさ!」


 ひとりでもじゅうぶん抱えられる大きさの段ボールに、世界遺産研究部の展示資料が詰まっている。少し中を覗いたところ、そのほとんどが画質の荒い写真だった。

 数代前の先輩たちが、文化祭用に集めたものらしい。昨年の文化祭でも、この資料を使って展示発表を行なったそうだ。


「わ、熊ちゃん見て見て! アタプエルカ!」

「あたぷえ?」

「アタプエルカ考古遺跡、スペインの世界遺産だよ」


 若菜さんが取り上げた写真には、たしかに遺跡っぽい茶色い景色が写っている。

 写真を見ながら、ネアンデルタール人のなんとかとか、ホモハイデなんとかとか、意味の分からないことを説明してくれたが、世界史の授業よりちんぷんかんぷんだった。


 食人文化とか言われても、怖いだけなんですけど。


「こっちはイェリング墳墓群だね。で、これはツゲンドハット邸」

「ひとつも知らない」

「あはは!世界遺産研究部のくせに!」


 そう言われると耳に痛い。部員とは名ばかりで、世界遺産と聞いても有名なモン・サン・ミシェルくらいしか知らない。


 写真と、何枚かの折り畳まれた模造紙。


 私たちの仕事はこれをボードに貼り付けて、それらしく配置すること。

 資料室から文化館に移動するまでの道のり、若菜さんは楽しそうに遺跡の説明をしてくれた。


 この人のおかげと言おうか、この人のせいと言おうか、十年経ってもいくつかの知識は私の頭に残っている。まぁ、役に立ったことは一度もないけれど。


「若菜さん、これ、ここでいいの」

「惜しい! それはハドリアヌスの長城だからこっちだね。万里の長城はこれ」


 ぜんぜん惜しくないじゃん。長城しかあってないし。ハドリアヌスってどこだよ。


「ハドリアヌスの長城はね、ローマ皇帝のハドリアヌスが建てたんだよ」


 人だった。


 渡された万里の長城の写真をピンでとめる。名前は知ってる。次、始皇帝の兵馬俑。これも知ってる。先ほどから中国エリアを抜けられない。

 若菜さんもフランスエリアで足止めを食らっているし、すぐに終わるかと思いきや、なかなか大変な作業だった。


「ねぇ、熊ちゃん」


 次、黄龍の景観と歴史地域。なにそれ、名前は格好いいけど、聞いたことないよ。

 写真を漁っては裏のメモを確認する。見つけられない。龍の像とか?


「熊ちゃんってば」


 あった。ぜんぜん龍じゃないじゃん!

 綺麗だが不思議な景観の写真をとめ、これでようやく中国エリア終了。


「くーまーちゃん!」

「うわ、なに」

「なんで無視するの!」


 肩を掴まれたかと思いきや、若菜さんが至近距離にいて心臓が飛び跳ねた。

 キラキラしていると思っていたけれど、こうしてみると意外と傷んでいる。そういえば、なんで金髪なんだろう。


「ごめん、聞いてなかった。なに?」

「ナチュラルなシカトで心がめきょめきょになりましたー」


「ごめんって」


 もう一度謝りつつ、残りの写真を数える。早く終わらせたかった。


 先輩も由紀も、いつも暇そうにしているくせに、こういうときに限って用事があるとか抜かすのだ。私だってやりたくないのに。


「なるみ」

「なるみ?分かんない、どれ?」


「いや、写真じゃなくて、私の名前。若菜鳴海。海が鳴く、鳴海」


 思わず若菜さんの顔をマジマジと見つめてしまった。なぜか得意げな顔をしている。


 "若菜"ってやっぱり名前じゃなかったんだ。

 

「若菜さんって他人行儀でやだから、名前で呼んで」


 鳴海。若菜鳴海ね。どっちがファーストネームか分かりにくい名前。ひっくり返しても違和感がない。


「じゃあ……若菜」

「なんで!?」


「鳴海って顔してないから」


 虚をつかれたみたいな顔をして、すぐ弾けたように笑い出した。

 ほら、"鳴海"より"若菜"っぽい。


「ま、いいや、若菜で。えへへ、改めて、どうぞよろしくぅ!」


 この時から、"若菜さん"は若菜になった。


 一緒に文化祭を周ったのも、球技大会で私の顔面にボールをぶつけたのも、たまに尾崎豊を歌ってくれるのも。

 一向に理解しようとしない古文の品詞分解を教え込んだのも、頭がプリンになってるから染め直せと言い募ったのも。


 私の高校三年間には、いつもどこかに傷んだ金色が見え隠れしていた。

 私にとっての金色はずっと、盗み見ていた若菜鳴海の色なのだ。

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