7 ◇
いつもの公園のベンチで、むしゃむしゃとサラダを食べる。せめてもの健康への気遣いだ。酒と煙草とまちまちな睡眠時間のおかけで、おそらく体はぼろぼろなのだけど、栄養素くらいはきちんと摂っておく。
といっても、コンビニ飯だけど。心にも生活にも余裕がないのに自炊なんかできるわけがなかろう。否、余裕があってもやらないだろうな。
野菜と、サラダチキンと、眠気覚ましの缶コーヒー。炭水化物を摂取すると漏れなく眠たくなるので、昼は控えている。
夜も夜でお酒を飲んでしまうから、そういえば炭水化物なんてここしばらく食べていない。米を食べるとお腹が膨れて酒が入らなくなるのだ。もったいない。
ブーと私用スマートフォンが震えた。
『な。から新着メッセージがあります』
きた。若菜メルマガ。
送られてきた写真は辛子蓮根と日本酒の一合徳利。まだお昼なんですけど。
相変わらず羨ましい生活をしているな、と思いつつ、言葉を打ち込んでいく。
『からしれんこん。熊本』
若菜と再開して、なぜかセックスをして、それ以来たびたびこうしてご当地料理の写真を送りつけてくるようになった。
言葉があるときもあれば、写真だけのときもある。
私はその料理がどこのものか当てる。
若菜との"どこにいるでしょうゲーム"に、私は勝手にマイルールを設けている。分からなくても、思い出せなくても、ぜったいに検索はしない。私の知識と記憶力だけを頼りに、若菜と勝負をする。
正解だったら気分がいいし、不正解だったら若菜から必ず返信がくる。
まぁ、たまに「第二のヒントです」というように別の写真が送られてきたりするのだけど。
『これから温泉』
腹立つなぁ。
熊本で温泉といえば、黒川温泉だろうか。昼から酒を飲んで、温泉に入って、羨ましいったらない。
『黒川温泉?』
しばらく間をあけて、浴衣にドヤ顔ピースサインの自撮り写真がきた。
『羨ましい?』
羨ましいよ。くたばれ。
最初は広島、次は京都、その次は静岡。島根は不正解で、この前は長崎にいたはず。九州つながりかな。
どういう基準で旅先を選んでいるのかは知らないが、楽しそうであることは間違いない。美味しそうな料理の写真を送りつけて、たまに絶景写真なんかも送りつけて、いったいどういうつもりなんだか。
私はこれをこっそり、若菜メルマガと呼んでいる。
返信しても無視されることが多いし、どこか自動送信じみていた。気まぐれにもほどがあるでしょう。
だからと言って私が無視を決め込むと、返事があるまでひたすらご飯の写真ばかり送りつけてくる。文句を言ったところで、どうせまた既読無視される。
会話を広げようとする努力が微塵も感じられないところに、余計腹が立つのだ。ストレス社会で溺れそうになりながらもがく人間に、さらなる負荷をかけるのは重罪である。
私が法を定めて良いのなら
うん。次に会ったらぜったい殴ってやる。
こっちは東京から出られないというのに。匂いもない、温もりもない、ただ美味しそうな写真ばかり見せられて、腹が立たないわけがない。
写真だけでも旅行気分を味わってもらおうと思って、とか言い出しそうだもん、あいつ。
垂れ目を想像したらまた腹が立ってきた。瞼が持ち上がらないくらい、ボッコボコにしてやりたい。試合終わりのボクサーみたいな顔にしてやろうじゃないの。
今から右ストレートのキレを磨いておこう。
その拳があなたの人生を壊します?上等でしょう。社会的な問題を起こしたら、会社はクビ。仕事からもおさらばできて、若菜への鬱憤も晴らせる。一石二鳥じゃない?
ぜったいにぶん殴ってやる。この右ストレートで若菜の顔面に血の華を咲かせ、真っ赤に染まった手で退職届を叩きつける。最高、そうしよう。
ゴールデンウィークという地獄の中で、私はなんとか胃の壁を守り抜いた。今も若干キリキリしているが、これは偏った生活で胃が荒れているだけで、まだ潰瘍にはなっていないはず。逆流性食道炎が地味に辛いだけ。
私の胃が持ち堪えたかわりに、後ろの席の後輩くんは思い切り体調を崩していたけど。なにやら扁桃炎が悪化したとかで、一週間くらい入院していた。幼い頃から、風邪を引くと扁桃が腫れて熱を出すのだと言っていたから、もはや体質なのだろう。
散々後輩くんのヘルプを無視してきたので、少しばかり罪悪感はある。が、同じことになっても、私はたぶん助けてやらない。
薄情で結構。私は自分が一番可愛いのだ。
私が受け持った案件は、どれも大きなトラブルなく終了したけれど、社内では問題が起きていたものもいくつかあったらしい。社長が菓子折りを持って、何度も謝りに行っていた。
イベント中に機材が破損するトラブルとは、なんとも運がない。怪我人も出たらしく、先方とスタジオの間で訴訟問題にまで発展しかけたそうだ。ネットニュースになってしまったのが、おそらく先方にとってもっとも大きな痛手だった。
良かった、私の案件じゃなくて。薄情と言われようと、素直な心は止められない。不幸が自分に降り掛からなくて良かったと思ってしまうのは、正常な人間な思考である。
私はどこにでもいるような一般的な社畜。聖女じゃない。人間誰しも、自分が一番。
例の『言った、言わない』問題も起きていたし、それを全て回避した私はすごいのだと自画自賛しておく。リスクマネジメントの大切さを再確認した、ということで。
自分で定めた一時間ぽっちの休憩時間が終わるまで、あと二十分ほどある。けれど、そんなものはあってないようなものだ。
新入社員でまだアシスタントを務めていた頃なんか、エクセルと戦いながらサンドイッチを齧ることもザラにあった。五分で食事を終わらせて、上司の無茶振りをこなす。
電話対応がなっていないと怒られるのがストレスで、アシスタント時代は着信音が恐怖だった。取引先と電話している横で、上司がじっと聞き耳を立てている。思い出しただけで胃がキリキリする。
今思ってみれば、あれは上司のサンドバッグにされていただけなのだろう。
忙しいし、相変わらず仕事は辞めたい。
だが、それでもアシスタント時代よりかはマシだ。案件をイチから終了まで、自分のやり方で進められる。時間調整もまた、自分の仕事。
仕事量は三倍になったかもしれないが、上司に言われた通りの雑用を特急で捌くよりも、ずっと楽。体の疲労より心の疲労のほうが消耗が激しい。
あぁ、でもやっぱり、辞めたい。会社に戻りたくない。日が落ちるまで公園にいたい。帰りたい。眠りたい。
温泉に入って、美味しいもの食べて、お酒飲んで、酔っ払ったらそのまま布団に入って、二十四時間寝る。若菜が羨ましい。
私も連れて行ってはくれないだろうか。仕事辞めて一緒に行こうって、言ってはくれないだろうか。
そんな甘いことを言ってもらえたら、私はきっと迷わず退職届を書くのだろうな。
まぁ、若菜はぜったいに、そんなこと言ってくれないけど。ひとりのほうが気が楽だもんね。そういう人だ、あいつは。
手の中で震えたそれに目を落とす。先ほどメルマガを送ってきたばかりなのに、珍しい。
『原由紀から新着メッセージがあります』
ん?由紀?
連絡をとるのは同窓会ぶりだった。
『はる〜、いま時間だいじょうぶ?』
『あのね、あのね』
『ビッグニュースなんだけど』
文字が頭の中で由紀の声に変わる。早く言いなさいよ、なに。
『なんとこのたび』
『原由紀』
結婚するとか言い出さないよね。彼氏がいるとか聞いていないし、違うよね。
『結婚しまぁ〜す!』
まじかぁ。
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