4 ◆

 くぁぁ、と大きなあくびをした由紀が、部室の長机にだらしなく上半身を預けた。

 ポニーテールが緩んでいるのは、六限にあったという体育のせいか。A組とB組は体育館でバレーボールだっけ。


 新入生交流会という名の林間学校と中間考査を終え、なんとなく学校にも馴染んできた。相変わらず、仲の良い友だちは由紀しかいないのだけども。

 私のクラスはやる気のない生徒が集まってしまったようで、林間学校も見事に覇気がなかった。文化祭や体育祭のときに青春を強要されないと思えば気が楽である。


 世界遺産研究部に顔を見せるのは相変わらずのメンバーだけだし、活動内容もだらだらと遊ぶだけ。けれど、ぼっちを強く感じる教室にいるよりも、遥かに居心地が良い。

 由紀は午睡を楽しみ、先輩はゲーム、私は古文の課題。次の授業でノート提出を言い渡されているし、その確認も今日中に終わらせてしまいたい。


 ちらりと扉を見やるが、今日もそれは沈黙を保っている。



 私は、世界遺産になんかこれっぽちも興味はない。

 部活だって、緩いところで適当に楽しめたら、なんて考えていた。まさか世界遺産研究部がここまで緩みきった部活だとは思ってもみなかったけれど。


 あの日、入部届を落とした金髪の彼女。若菜さん。


 彼女が記入した部活の名前を見てしまったのは本当に偶然で、まさか自分が同じ部活の名前を入部届に書き殴るなんて、その時は考えもしなかった。


 ただなんとなく、もう一度会いたいと思っただけ。


 自分でもよく分からない感情に突き動かされるまま入部届を書き、見学もしないうちに所属部を決めてしまったのだ。

 世界遺産研究部が帰宅部群に属する部活だと知っていても、私はこの部活に入ったのだろうか。


 準帰宅部とも言える世界遺産研究部ではあるが、あの金髪はたしかにここに来た。名前だけの幽霊部員になってしまうかもしれないと、こっそり残念に思っていたことは覚えている。

 あの人は、私が入部届を拾った人間だとは覚えていなかった。いかにも光の世界を生きているあの人にとって、私の薄い顔面など海馬に残す価値もないのだろう。

 私がいようがいまいが関係ない。それでも、"部活動を目的"に彼女は時折、部室に足を運ぶ。

 金髪で、スカートが短くて、そんなナリのくせして、唯一世界遺産に興味のある部員。


 若菜さん。


 由紀も、先輩も、彼女をそう呼ぶ。だから私も、彼女のことを若菜さんと呼ぶ。

 それが名前なのか苗字なのか、いまだに分かっていない。わかな、というやわらかい響きは、なんとなく彼女に似合っているような気がして、それが苗字でも名前でも私にはどうだっていいことだった。


「ねぇ、はるちゃん。ここの青を消したいんだけど、あと四ターンしかないの。どうしたら良い?」

「先輩、よくひとりでそのステージまで進めたよね……」

「弟に手伝ってもらった」


 先輩のゲーム機を覗き込んで、パズルゲームの画面を眺める。色を揃えて消していくゲームなのだが、レベルが上がるとそのぶん難易度が上がる。頭を使って次を予測していかねば、高難度はクリアできない。

 ここ最近TVCMでよく見るこのゲームは、どうやら家族でも遊べるらしい。私ならすぐに飽きてしまいそうだけど、楽しいのかな。


 画面は個人モード。先輩のステージクリアを手伝っているうちにルールは覚えた。指定されたターン、または時間内にミッションをこなす。


 今回は限られたターンで、四十ターン以内に、青のブロックを百六十も消さなければいけない。このステージは時間制限がないためいくらでも悩めるというのに、先輩はなぜか考えずにポコポコとブロックを消してしまうのだ。

 残りは四ターンと六ブロック。


「ここの黄色を消せば、この赤が連鎖で消えるんだけど……うまく緑が揃えば……あ、ちょっとまだ考えてるのに!」

「あ、あ、いけた! 連鎖ー! やったー! はるちゃんサンキュー!」


 私が考えている横で、スパン、スパンと勝手にブロックが消えていく。画面の左上にはミッションクリアのマークがついていて、また他力で先輩はステージを進めた。

 こういうゲームは、自分で考えて、自力でクリアするから楽しいのだと思っていた。楽しみ方は人それぞれ、か。


 昨年までは何人かの部員がたむろしていたが、卒業を機に活動している部員が先輩だけになってしまったという。唯一の活動部員として、このやる気のない先輩が部の管理を務めている。部長は別にいるらしいが、今のところ一度も会ったことがない。はずだ。

 顧問は男子剣道部と兼任で、世界遺産研究部になど興味がない。

 人数ばかり多いくせに、この部活はまったく機能していなかった。


 ぽい、と長机にゲーム機を放り投げた先輩が、ぐでっとしなだれかかるように、私の肩に頭を預ける。首筋にあたる先輩の髪がくすぐったい。

 初めて会ったときから、先輩は距離が近くてスキンシップが過多だった。あまりパーソナルスペースに入り込まれるのも気分が良くないけれど、やめてくれと邪険にするほどでもない。許容と我慢の線引きが難しい。


「はるちゃんは真面目だなぁ」

「あとで苦労したくないから」


 融通がきかない、ともいう。私は効率の良い方法を模索して、上手に時間のやりくりをするのが苦手なのだ。


 与えられたことを、ただこなすだけ。


 怒られたり、あとで嫌な目に遭うのが嫌で、不真面目になりきることもできない。由紀みたいに、あとでやるからいいの! と、寝てしまうのが、ひどく難しい。


 先輩の重みを感じながら古文のノートを眺めていたら、部室の引き戸がカラカラと音を立てた。


「おつかれさまでーす」

「ぉあ、若菜さんだー」

「原ちゃん、ほっぺに机のあとついてるよ」


 ズカズカと部室に入り込んで来たのは、重そうなギターのケースを背負った若菜さんだった。


 私は気づかれないよう、目を伏せる。



 部室の片隅にギター、由紀の寝息、先輩のゲーム音。

 私はとにかく無心で、古文の問題を解く。


 中間考査はそれほど難しくはなかった。成績も悪くなかったと思う。

 順位がつけられるのはテストの結果ではなく、学期末に配られる成績表の中だけだ。発表されることはない。

 各科目で大幅に平均点を越していたので、期末試験の結果が悪くなければ、それなりに良い位置につけるのではないかと期待している。


 私は真正面から大学受験をするつもりはない。できれば附属の大学にエスカレートで入りたいのだ。

 好成績でなければ推薦を貰えないわけではないが、基準は設けられている。今のうちから意識していて、悪いことはないだろう。


 なんとなく、視線をあげた。


 頬杖をついてマチュピチュについて書かれた雑誌を読んでいる。窓から差し込む日差しで、人工的な金髪がきらきら、光が溢れた。


 マチュピチュって、どこにあるんだろう。


 指が、雑誌を捲る。紙の端っこを、トン、トンと叩くのは若菜さんの癖なのかな。

 表紙がちらりと見えて、マチュピチュがペルーにあることを知った。ナスカの地上絵も、ペルーなんだ。


 雑誌を眺めているだけなのに、なんで楽しそうだって読み取れるのだろうか。目かな、口元かな。


 視線を感じたのだろうか、若菜さんがふとこちらを見る。


 ばっちりと目があって、どうしてかとても優しげに微笑んだ。なに、その顔。

 なんだか気まずくなったから、視線から逃げるように目を逸らした。たまたま、偶然、目があっただけ。


 紙を捲る音。いとをかし。


 視界の端で金色がきらめいて、古文はぜんぜん頭に入ってこない。

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