死体の足元に

 Oさんは、中学生のとき、首吊り死体を見たことがある。


 ある真冬だった。その放課後、Oさんは小山の頂にある祖母の家に向かっていたのだが、不意に尿意を覚えた。近くにトイレはない。そこでOさんは、山道を外れて誰にも見られない山中で立ちションすればいいだろうと考えた。


 その山道はほとんど人は通らないが、万が一、同級生などが通りかかったら恥をかくことになる。できるだけ、山道から離れたところに行きたい。


 Oさんは、木々が立ち並ぶ斜面へと足を踏み入れていった。その斜面には一面に乾きはじめた雪が被っており、ざくざくと踏みしめていくと、かえって滑りにくかった。


 絶対に見られたくなったので、どんどん進んでいって、かなり深いところまで来た。振りかえると、木々の数々が壁となり、山道は見えなくなっていた。Oさんは太い幹に背を預け、そこで立ちションをしようと決めた。


 激しい違和感に襲われたのはそのときだ。突然だった。まるで第六感が反応したような気分だった。ズボンのチャックに伸ばしていた手を止め、静かな白い世界を見渡した。その山全体が冷たい息を吐いているような凍えそうな空気が満ちている。視界のどこかに間違い探しのような間違いがある、そんな気がした。


 よくよく見つめていると、すぐ前方にある幹の足元まで自分のものではない足跡が続いていることに気が付いた。Oさんは、ぎくりとした。他者の存在を意識したことによって理性が動きだし、こんなところで立ちションなんかするんじゃないという自分への批判が込みあげ、排泄欲が失せた。


 しかし、誰がいるのだろう。立ちションを諦めると、今度は、それが重大な問題になった。Oさんは辺りを見回したが、近くには誰もいない。


 何度か、同じところに目を向けていると、なにかが重々しく軋む音がして、Oさんははっとした。頭上からだった。反射的に目を上げ、それを見た。


 三メートルほどの高さだろうか。俯いて歩いてきたせいで気づかなかったのだろう。前方の木の枝にロープが括りつけられ、そのロープの下端に重々しい物体がぶらさがっている。風のせいでブランコのように前後に揺れていた。揺れるたびに、耳にこびりつくような軋む音がした。


 Oさんは叫びそうになったが、理性がそれを抑えた。問題なのはむしろ、その足元にある足跡のほうだった。足跡は死体の下までやってきただけでなく、死体の下から遠ざかってもいる。つまり、それは首を吊った人物が生きているときにつけた足跡ではない。


 その首吊り死体は、見たところ、数日前には死んでいた。やはり、その死体とはべつの人がつけた足跡だということになる。


 Oさんは、そのあと、すぐに警察へ通報したのだが、その足跡がどうしても腑に落ちない。おそらく雪が降る前に死んでいた首吊り死体を雪が降ったあとでOさんより先に誰かが見つけているはずなのに、その人はなにもなかったかのように通りすぎている。通報もしていない。Oさんは、それが気味わるく思えてくるのだった。

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