別館の窓
Fさんの住んでいる邸宅は、地元では言わずと知れた豪邸だ。半導体の製造を請け負っている巨大な会社を祖父が一代で築き上げ、そこから泉のように湧き上がってくる大金で建設された。洋風建築で、塔がふたつあり、もはや城とも言える。大学生のFさんも含め、家族三世代で生活をともにしている。傍からみれば贅沢なのかもしれないが、Fさんは、その邸宅の広くて寂しい空気が嫌いだ。
敷地内には、別館があった。以前は祖父が膨大な書物の置き場として利用していたが、足腰が悪くなってからは、そちらに行かなくなった。ほかの家族はもともと用のない代物なので、その別館は、使われなくなったまま、幽霊のように佇むばかりだった。
ある夏休みの夜だ。Fさんはベッドで目が覚めた。ひどく頭痛がして、意識が混濁していて、尿意も込み上げてきていた。とりあえず、便所まで行くことにした。部屋を出てすぐ、太くて長い廊下がある。その廊下の窓は別館の窓と接していて、すぐそこに別館の窓の内側――そちらも廊下――が見えた。
Fさんは廊下の途上で足を止めた。どういうわけか、窓のむこうに見える別館の廊下に明かりが灯っている。深夜のコンビニのように輝いていた。
そればかりでなく、その廊下にひとり、顔の形がおかしい女がおり、すぐそばからFさんを見つめていた。ぎょっとして、Fさんは、その女を凝視した。不自然に頬が腫れあがり、目と口が潰れ、いまにも窒息しそうなダルマみたいな顔をしていた。なにかの奇病に罹っているのかもしれないと考えてからすぐ、それどころではない、と気づいた。
見知らぬ女が別館にいる。一メートルも離れていない距離だ。窓を隔てて対面していた。この事実を前に、Fさんは脳が醒めて、鳥肌が立つのを感じた。
Fさんは別館の廊下に佇んでいる奇怪な女から目が離せなくなり、全身が冷凍保存されたように動けなくなった。その女と目が合いつづけた。頬が腫れあがっているせいで、表情など存在しなかった。なにか動きをするわけでもなく、呼吸も忘れているかのように佇むばかりだった。
見つめているうちに、すう、と、もうひとり、女が現れた。ぞくりとしたが、Fさんは動けなかった。顔の崩れた女の背後に、今度はひどく顔の整った白い顔の女が現れて、同じようにこちらを見つめてくるのだった。デスマスクみたいだった。
Fさんは、そのとき、戦慄が走った。醒めてくる意識の中で、自分が数日前に美容整形をしていたのを思い出したのだ。その手術の影響で、当分の間は腫れが引かないだろうと医師から忠告されていた。つまり、別館の明かりが灯っているのではなく、こちらの廊下の明かりが窓に跳ね返り、自分自身の腫れあがった顔が窓に映っているのだ。
だとしたら、もうひとりの女は誰?
Fさんは、振りむくことができなかった。身体の芯まで冷たくなるのを感じた。窓から目が離せない。自分の背後にもうひとり、美しい顔の女が佇んでいるはずだ。どうしても振り向きたくなかった。
背後の女が消えるまで、一時間くらい、その場に佇んでいたような気がする。Fさんはそれ以来、深夜に廊下を歩くのが怖い。
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