夜行バス

 Yさんは、夜行バスが好きだ。夜の高速道路を息を殺すように走る、あのなんともいえないひととき。自宅のベッドのほうがリラックスはできるが、それとはまたべつの安堵感がある。世間とのつながりは希薄になり、その身軽さをここぞとばかりに味わいながら、うとうととして眠りに落ちる。


 だから、Yさんは、どこか遠くへ移動するときは大概、夜行バスを利用する。金銭的にもほかの交通手段と比較したら割安なので、一石二鳥だ。


 はじめて大好きなアーティストのライブに出かけたときも、夜行バスだった。真夜中に出発する夜行バスを、バス停留所のベンチにて待っていたときだ。Yさんがスマホでネットサーフィンをしていると、不意に、ベンチの隣に誰かが座った。Yさんが無意識に目を向けると、隣に座る二十代ほどの男性と目が合った。


 あ、すいません、みたいに頭を下げたYさんだったが、相手の男性は、頭を下げることもなく、Yさんの目を真っすぐと見つめていた。それからようやく、躊躇いのない声を飛ばした。


「ライブですか?」


 ライブに出かけるために夜行バスを待っているのか、という質問だろう。Yさんは少々面喰いながらもうなずいて、「もしかして?」と訊いた。


「そうです。僕も、ライブです。楽しみですね」


 なんだか違和感を覚えた、というのが正直なところだ。べつにライブに出かけるもの同士でコミュニケーションが発生しても問題はないが、今どきの若者にはそう簡単に打ち解けるような柔軟さがない。その原因としては、そもそも、気安く、声をかけたりしないこともある。


 そのときの男性は同い年くらいの見た目だったが、どこか、若者ではないような雰囲気を感じた。年寄りの気安さとでも呼べるような柔軟さを携えているような気がしたのだった。


 あからさまに鬱陶しがるのも失礼かと思い、Yさんは、その相手が話すのに合わせて相槌を打っていた。その男性は、夜行バスについての思い出を語っていたが、ひとつ、引っかかる話をしていた。


「実はね、昔、乗っていた夜行バスが交通事故にあったことがあって、ひどい目にあったんですよ。みんな、死んでしまってね」


 なんでもないかのように言ったのであるが、Yさんは看過できなかった。「みんなが死んでしまった交通事故を起こした夜行バス」に乗っていたのであれば、そこに乗っていたその男性も同じように死んでいるはずではないか。Yさんが訝しげに目を向けていると、男性は、ふふ、と笑った。


「いや、もちろん、僕も死んでしまったんだけどね」


 この人は幽霊なのか。意外にあっさりとその事実を受け止めたのだが、じわじわと恐怖が込み上げてくるのを感じた。Yさんは、ベンチを立とうとした。が、瞬きの間に、目の前にいた男性が姿を消したのだった。


 どうしてあの幽霊は声をかけてきたのだろうか。いまだにわからない。

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