おじいさんの指
地方郊外で働く看護師のPさんには、霊感がない。看護師の知人の中には霊感のある人もいて、日々、たいへんな思いをしているらしい。そういう人たちの苦労話を聞くにつけ、Pさんは霊感がなくてよかったと思っている。とはいえ、霊感があればよかったのにと思うこともあった。
春先だった。まだ桜も咲いていないその時季に、Pさんの勤める病院には七十代の男性が入院していた。患っていた病の影響でときどき発作を起こしていた。Pさんはとくに気をつけて、その男性をチェックするようにしていた。
ある夜だ。その男性が発作を起こした。Pさんは医師とともに駆けつけ、適切な対処をした。それで男性はひとまず落ち着いたのであるが、そのときはいつもと違い、どこか様子がおかしかった。
「あいつだ。あいつだ。あいつだ」
つぶやくような小さな声で同じ言葉を繰りかえしていた。なにかのおまじないのように抑揚のない声だった。その男性は、ただ真っすぐと天井を見つめていた。医師が男性の名前を呼び、「大丈夫ですか」と声をかけると、天井を見たままで「大丈夫ではありません」と答えるものの、それ以上核心的なことは口にしなかった。
そのときは病状としては安定していたので、それ以上、医師が男性に構うことはなかった。念のため、Pさんがひとり病室に残り、そのほかの人は病室を出ていった。ベッドに横になったままの男性は、落ち葉を喉に詰まらせたようながらがらとした声で「あいつだ」と依然に繰りかえしていた。その声がふたりしかいない静寂の薄闇に響いていた。
すでに消灯時間を過ぎていたものの、男性はいつまでたっても寝る気配を見せず、つぶやくように言いつづけた。そのうち、その声は徐々に大きくなっていって、緊迫感を内包するようになっていった。Pさんは正直、その場を立ち去りたい衝動に駆られていたが、その場に留まり、「大丈夫ですか」と声かけを続けた。
男性は、もはや、なにも応じなかった。大いなる義務感に追い立てられているかのように言葉を繰りかえし、そうして、ついにベッドの上に身体を起こした。午前零時ちょうどだった。
起き上がった男性は、しなびたウインナーのような人差し指を目の前に向けた。前方のベッドには誰もいなかったが、そこを示し、「あいつだ!」と大きな声で叫んだのだった。
ぞっとしたPさんだが、もっと驚いたことに、男性が叫んだ途端にその心肺機能が停止した。慌てて、Pさんは応援を要請した。ほかの看護師や医師が病室に到着し、救命措置が施されたが、蘇生することはなかった。
あのとき、男性が指差した先にはなにがいたのだろうか。霊感がないためにそれがわからず、Pさんは余計に怖くなってしまうのだという。
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