密室殺人
Lさんの居住する地域で、数か月前、二十代の会社勤めの女性が殺害された。その事件は世にも奇妙な詳細を携えていたため、マスコミの注目を集めた。一週間ほど、いろいろなニュース番組で特集が組まれていた。見飽きたくらいだ。都内で通り魔が発生したあとはそちらの話題で持ち切りになったが、いまだに多くの人の記憶に留まっているだろう。
それは密室殺人事件だったのだから。
事件の詳細は、次のようなものだ。事件当日、被害者の女性は、自宅のアパートの一室でリモートワークに取り組んでいた。新型コロナウイルスが蔓延したあと、一人暮らしをするそのアパートで仕事をするのは日常になり、その日もいつもと変わらなかった。
被害者が殺害される三十分前――午前十一時までは、被害者の女性はオンライン会議に参加しており、被害者の同僚や上司がその生存を確認している。午前十一時にオンライン会議を終えたあと、被害者が殺害されるまでの三十分間に、そのアパートの一室に誰かが侵入したことはない。というのは、アパートの向かいの交差点にとりつけられていた監視カメラの記憶映像に、被害者の部屋に誰かが出入りする様子が記録されていなかったからだ。
かといって、その前から誰かが室内に潜んでいたとも考えにくい。監視カメラの映像をいくら遡っても、誰かが室内に出入りした様子は記録されていなかった。
午前十一時半ごろに何者かに襲われた被害者は、まさに襲われている最中に、警察に通報している。『助けて!』と緊迫した声で注意を引き付けたあと、自分の住所を口早に叫んでから、ぷつりと通話は切れた。その通話記録には、男のものと思われる罵倒の声が微かに録音されていた。
午前十一時四十分、駆けつけた警察官がドアを破壊し、室内に侵入したところ、室内に女性が横たわり、胸にぐさりと包丁を突き立てられていた。警察官は救急車を呼んだあとに室内を隈なく捜索したが、仰向けで動かない女性以外には誰もいなかった。警察官に破壊された玄関ドアはその前まで内側からロックされていたし、人間が出入り可能な大きさの窓にはすべて鍵がかけられていた。
完全な密室から、犯人と思われる男が姿を消したことになる。鍵がかかっていて出られないという密室のさらに外側に、表の監視カメラの視線が玄関ドアに注がれていたという二重の密室だった。マスコミが騒ぐのも無理はなかった。
その事件が発生したアパートの向かいの一軒家に住んでいるLさんは、事件当日、犯人の姿を見たという。外からくぐもった物音が聞こえたので、キッチンの窓から、アパートのほうを見たときのことだった。
その当日の、午前十一時三十分ごろだ。向かいの部屋――あとになってその部屋の中で女性が殺害されていたと知ることになる――のカーテンがひらりと動いて、そこから髭面の男が顔を出した。日光に目を細めるようにしてから、すぐに室内に引っ込んだ。明らかに、室内にその男性がいたのだ。
しかし、Lさんは、その事実を警察に報告していない。事件に巻きこまれたくないという思いが勝った。どうして、事件に巻きこまれたくないかと言えば、そのときLさんが目撃した男性が、十年前に死刑執行された凶悪な連続殺人犯にしか見えなかったからだ。
死刑によって死んだ連続殺人犯が幽霊となり、ひそかに殺人を重ねているのではないか。Lさんは、そんな想像を膨らませてしまう。
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