猫が消えた
霊感のないTさんは、猫が消えるのを目撃したことがある。消えるというのは文字通りの意味で、失踪するというニュアンスではない。実際に、目の前で、ぱ、と部屋の明かりを消すみたいに消えた。
もともとTさんは野良猫の写真を撮るのが趣味だった。青いゴミ箱の上でぐうたらしている三毛猫の欠伸の間の抜けた感じとか、薄汚れた猫が路地裏をするすると走りぬけていく哀切さなどに心が惹かれる。四角い枠内に自分が感じた景色を閉じ込めることができると、それだけで、その日は万事がうまくいったような気分になる。
その休日も、いつものようにカメラを手にして街に出て、見つけ次第、野良猫の写真を撮っていた。その街で生活している野良猫はおおかた把握していたので、一目見れば、ああ、あの猫か、と判別することができた。
ちょうどTさんが『まるくん』と呼んでいる丸々と太った猫がマンホールの蓋の上で寝転んでいるところを、近距離から撮っているときだった。それはあまりにも突然で、露骨だった。まるくんが、一瞬のうちに、マンホールの上から消えた。拍子抜けするくらいにあっさりと、しかし、確実に、その場からいなくなっていた。
Tさんは奇妙に思い、「おーい、まるくん」と呼びかけたが、まるくんはどこにもいない。なにが起こっているのだろうと考えてみたが、それらしい考えに辿りつくことはなかった。自分がおかしいのかとも思ったが、記憶も意識も鮮明だった。いまさっきまで、マンホールの上にまるくんは寝転んでいて、カメラのレンズを覗き込んでいるうちに、嘘みたいに、ぱ、と消えた。周りを見回しても、どこにもいない。
だんだん気味悪く感じてきたが、いないのだから、どこかに行ったのだろうと考えるしかなかった。Tさんはまるくんのことは頭の隅において、せっかくの休日を楽しく過ごそうと思い、次の野良猫を探しはじめたのだった。
しかし、いまになってふりかえると、Tさんは、あの一件を重く受け取らざるをえなかった。どういうわけか、あの日以来、街中でまるくんを見かけなくなった。まるくんはどこにいるのかと心配しているのだが、いっこうに姿を見せない。
まさか、なにかに連れ去られたんじゃないだろうか。Tさんはそんなふうにも考えている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます