そこにいたはずなのに

 Kさんには霊感がある。幽霊を見ることができるせいで、少々、怖い思いをしたこともあった。


 高校生だった当時、Kさんは隣町にある高校まで電車で通学していた。田舎というほどでもないが、郊外に住んでいたので、Kさんちの最寄り駅はそれなりに古びていてトタン屋根の質素な駅舎だった。朝の通勤と帰宅のラッシュ時は人が集まるが、それ以外の時間はぱらぱらと人が来るだけだった。


 ある朝、そのホームで電車がくるのを待っていたときだった。Kさんはスマホに目を落とし、高校の友人とメールをしながら、人の列に並んでいた。ちょうど今朝に解禁されたばかりのアイドルの新曲の話題で盛り上がっていたので、スマホから目を離せなかった。


 前に並んでいたスーツの背中が前進していくのを視界の隅で確認し、ようやく電車が来たらしいとKさんは息を吐いた。スマホに目を落とし、文字を打ち込みながら、前の人のあとに続いた。


 そのときだった。ぐっと強い力で肩を引っ張られて、気が付いたら、その場に尻餅をついていた。いましがたなにが起こったのか、瞬時に把握できなかったKさんはきょろきょろとあたりを見回した。目の前には扉を開いた電車が停まっていた。そう、いま、この電車に乗ろうとしたのだが。不思議に思いながら振りかえると、Kさんの背後に、屈んでいる中年男がいるのに気が付いた。


 額に汗の粒がのっている、緊迫したような顔。この人がわたしの肩を引っ張ったのだろうか。考えているうちに、電車の扉は閉まり、発車してしまった。Kさんは突然に怒りが込み上げてきて、その中年男を睨んだ。


「なにをするんですか。電車が行っちゃったじゃないですか」


「いや、なにをするって、そりゃ」


 中年男は困惑したような顔をして、一瞬、目を逸らした。次にKさんの目を見たときには、中年男の顔は不安に曇っていた。


「きみ、なにをしようとしていたか、わかる?」


「なにを?」


「線路に飛び降りようとしていたんだよ」


 Kさんはぞっとした。その中年男が語るところによれば、Kさんは電車が到着しようとしているまさにそのとき、スマホに目を落としたまま線路のほうへと足を進めていたらしい。そのまま真っすぐと進んでいれば線路に落下し、いまごろ電車の下敷きになっていただろう、という。


 しかし、Kさんはたしかに目の前にいたスーツの背中が前に進んでいくのを視界の隅で見ていた。あの背中についていっただけなのだが。その点を指摘すると、中年男はぽかんとした顔を浮かべた。


「誰のこと? きみは、列の最前列に並んでいたんだよ?」


 そんなわけはなかった。目の前には黒いスーツの背中があったはずだ。Kさんはそこまで考えて、はっとした。あの背中は幽霊だったのではないか。


 この一件以来、Kさんは歩きスマホに注意するようになったと当時に、どこに幽霊が紛れているかもわからないと警戒するようになった、という。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る