足跡

 三十代女性のGさんには霊感がない。あの一件のとき、実際になにが起こっていたのか、よくわからない。


 ある真冬だった。その日も、会社勤めをしているGさんは、昼休憩のとき、オフィスビルの屋上へと足を伸ばした。その日は生憎の雪だった。すでに止んではいたが、屋上には数センチだけ、積雪している。しばし躊躇したが、せっかくエレベーターで上がってきたのだからと屋上へ足を踏み入れることにした。


 そのときには雪雲は消え、澄み渡るような青空で、温かい日光が雪を溶かしはじめていた。


 Gさんは、少しだけ冷たい感触を足裏に感じたが、日光の気持ちよさを味わいながら、屋上のいつもの定位置へと進んでいった。屋上に自分のものではない足跡があることに気づいたのは、すぐだった。

 

 屋上で誰かを見かけることは、ほとんどない。ビルの利用者にもあまり知られていない隠れスポットであり、だからこそ息抜きには打って付けだったわけだが、珍しくその日は屋上に誰かが来たらしい。Gさんは、いまいちど、屋上を見回したが、そのときは誰もいなかった。


 すでにいないのなら、そんなに気にならなかった。Gさんは、いつもの定位置に到着し、ところどころ白いペンキが剥がれている柵に腕をのせて、雪で白く塗られた街の景色を眺めた。地方都市らしく、中途半端な高さのビル群を見渡せた。


 しばらく細い目で街を見つめ、ひとりの時間に浸っていたのだが、俯いたときにふと、ある不自然なことに気が付いた。


 Gさんの足跡とは違う足跡が、Gさんの隣まで続いている。それはべつに構わないのだが、その足跡はなぜか、Gさんの隣で途切れている。なぜだろうと思い、屋上を見渡してみたが、誰もいない。


 まさか、とGさんは、嫌な想像をした。慌てて、屋上から身体を乗り出してビルの真下を覗くと、赤い塊が歩道の真ん中に横たわっている。飛び降り自殺、という言葉が脳裏を駆け巡り、Gさんの心臓は跳ね飛んだ。なんとか身体の向きだけ動かして、悲惨な現場に背を向けるのが精一杯だった。


 ものすごいスピードで鼓動が速まる中で、屋上を見たGさんはさらに恐怖した。というのも、もっと悪いことに、そのときの屋上にさらにもうひとつ足跡があったのだ。その足跡もGさんの隣まで進んでいたが、そこから移動し、屋上の真ん中で途切れている。しかし、誰もいない。


 Gさんが目を向ける中、かさ、かさ、と屋上の真ん中から新たな足跡が生み出された。ぞっとした。それは屋内へと通じる扉まで進んでいった。まるでそこに、見えない誰かがいるみたいだった。


 その後、この一件は殺人の可能性があるとして警察の捜査が進んだが、犯人のものと思われる足跡を残したのが誰であるか、ついに判明しなかった。それはそうだろうとGさんは思う。あの人は見えなかったのだから。


 Gさんは、そのとき見たありえない現象を、警察には伝えていない。

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