最終話 ”religio”

 進堂だけでも充分なほど混乱しているのに、彼はいったい、何をしに出てきたというのか……

 青年はリィンをつかむと、大地の崩壊に巻き込まれないように、さらに高く舞いあがっていく。 


 ――地裂線グラフオリオン――

 その名前のもとになった能力は、いちおう守備特化型の地系エレメンタルである。

だが彼の場合は、護るものを一旦失ってしまえば、そのまま足場すべてが武器に変わってしまう、地縛型一級魔族なのだ。


「やっと調教が佳境に入って、男の子たちに“もう女子なんかいりません!”って自分から言わせたのに……」

 切れ長の目でにらみつけながら、少年は言う。

「お前らのせいで、そこからしつけが先に進まないだろ!」

 悠然と両手をかかげてみせると、地面がはぎ取られてジャベリンのように削られてゆく。

「なに!? 男同士はよく抜け出せなくなるって聞いたけど、そんなにすごいのか!?」


「マスター! どこに食いついてるんですか!」

 そう叫んだ部下の声は届いていたが、すでにまわりは土煙によって包まれていき、次にやってきた轟音によって、何もかもが一色にされてしまった。


 ――〝モォォォォ!


 割れた地面にはさまってマヌケな姿をさらしていた巨人は、たぶん今は土槍を撃ち込まれまくっているのだろう。

「うむ……」

 不遜な態度の赤い味方は、いつまでも空の上で、哄笑しているように見えた……






「ま、まさかあれを、正面からぶち倒してしまうとはな」

 なにしろ、亜龍穴をふくめて、そこらの大気中に渦巻いていた全魔力を取り込んで生まれたような相手である。

 オリオンを見下したことはないのだが、さすがに蛍斗も、目を見開かされるような気持になっていた。


「――ふん!」

 とどめとばかりに、手の平をパチンと閉じ合わせた少年の下で、ゴゥンゴゥンと岩戸が閉じるように、大地の割れ目がなくなっていく。

 むっすりした表情の少年を迎えることになったが、それでもまた彼に頭が上がらなくなったな、と蛍斗は苦笑するのだった。


「……ちがうよ、蛍斗。ヤツはまだ、死んではいない。どうやらここまで登ってくるみたいだ……」

 オリオンは、まるで人ごとのように続けている。

 遠雷のような地鳴りがどこかから響いてくると、

「あとはキミがやれ、蛍斗。こんな龍脈のエネルギーが集まってくる場所じゃあ、僕がいくら地面に魔力を浸透させても、すぐに洗われてしまう。……その点、キミなら薄いエネルギーだろうと、それを使って爆縮をやりたい放題だろう」

「あ、ああ……」


 昔からのコンビだった自分たちには、もっともな提案なのだろうか……。

しかし、どこか生返事のように聞こえる声に、オリオンは顔をしかめてみせる。

「まさか、また『部下になった僕のかげに隠れて戦うなんて、カッコ悪い』とか言うんじゃないだろうね」

「!」

 青年にとっては図星だったのだが、その言葉に一番反応したのは、わきに控えていたリィンだった。

「そうなのですか、ケイ!?」

 久しぶりに三人がそろったためか、昔の呼び方にもどって、仲間と敵をぐるぐると見比べる。


 前の主が死んでから、どこか仲違なかたがいしていたように感じた二人は、そんなことで揉めていたのだろうか。

「自分だけ安全な場所から攻撃するなんて、戦闘ではもっとも大切な行為じゃないですか! それに、『自分がカラッポになるまでカードを使い切って、はじめて次の段階に進める』って教えてくれたのは、マスターですよ!?」

 晩成型の《天雷》の能力は、長年辛抱強く待ってくれた青年のおかげで、開花したと言っていい。


「ははっ。――そいつはね、リィン。他人には格好いいことばかり言うのさ」

 オリオンはいつものように、どこまでも刺々とげとげしく語る。

「僕も一つだけ、スマートなことを教えてやるよ、蛍斗。“強さ”っていうのは、現実のことであって、美学を指すものじゃないんだぜ。お前は、味方に赤ん坊みたいに護られながら、その絶対有利な状況で敵をボコボコにできて、やっと大人の仲間入りってレベルなんだよ」

 ヒヒッ、と少年が楽しそうに言ったとき、すでに蛍斗はぶち切れていた。


「……! やってやるよ……」

 ああ。見ていろよ。

 あの《直系》ですら、勿体ないから殺さないと言った、僕の実力を。

 実はあるじより強いよな、俺。とか思ってた、夜上蛍斗の真の闇を見せてやる!


 ――!

 そうして、彼は史上初めての両手爆縮 《惨牙さんが》を身につけることになるのだが……

 いつか、オリオンの陰に入るのに飽きた頃、青年は一人でこの技を使えるようになっても、思うことはやはり当時のままだったという。

 ――大人って、汚いよね。


 これは、そういう清らかな青年たちのためにくり広げられた、心澄んだ戦いなのであった――







「……蛍斗さまー。今日は、シスターたちが来られる日ですからねー」

 リビングの方から、どことなく嬉しそうな少女の声が聞こえて、青年は握っていたペンを置くことにした。


「そんな“年下愛”とか、くだらない妄想論文は隠しておいてくださいねー」

「!」

 な、なんてことを言うんだリィン……! 主の扱いが、ちょっとずつ雑になっているような気がするぞ……


 その社会問題に一石を投じることになるであろう論文をしまい、蛍斗は本棚どころか、本すらほとんどない書斎で立ち上がっていた。

 今日は暑くなりそうなので、クローゼットから帽子だけを取り出して玄関へと向かう。


(今回は、先に広場へ行って、《ムンガ》を元の大きさにして遊ばせてやるんだっけ?)

 そんなことをあやふやに思い出していると、少女はすでに待ちきれないという様子で、腕時計を何度も確認していた。

「早く! 早く行きましょう! とっくにムンガは待ってるかもしれませんから」

 玄関の外で、小さなバッグを持ち変えながら言う。

 ……いや、東雲カナンたちは、電車で来るんだろう? たとえどんなにせっかちな車掌さんでも、時刻を大幅に早めて到着するとかは、ないんだから。

 蛍斗はそう答えて部屋をふり向くと、ダイニングの奥にかかったカレンダーに目を細めていた。

 もうあの戦いから、一月ひとつき以上は経ってしまったのか……


 先ほどまで窓から感じられた風は、すっきりとした初夏の輪郭があるもので、遠くに広がった森は、遅れながらも新緑を深めていくようだった。

「しっかし、どうも年頃の女の子ってのは謎だよなあー」

 マンションのエレベーターに乗り、青年は首をぽりぽりと掻きながらつぶやく。

「爬虫類を、『可愛いね』って言う子、けっこう多かったんだよ」

 一度だけカナンが大学に来て、キャリーケースに入れた蛇が見つかったとき、近くにいた女子は喜んでいたのだ。


「あのコは特別ですよ!」

 なぜかリィンも熱弁しているが、頭にリボンみたいなハゲがあるので、蛍斗にとっては物笑いのたねでしかない。

少女の入院中に、勝手に落ちていた髪の毛を食べて受肉したバカ者だが、カナンはちゃんと面倒をみると言ってゆずらなかった。


 まあいいか……。あの子には、進堂司祭の後処理なんかでも、迷惑をかけまくったしなあ……

 結局、彼はただの転属騒ぎに落ち着いたのだが、いちおう昔は子供を強姦したほどの聖職者でも、そんなものだったらしい。


「……ふう」

 とぼとぼと歩きながら、蛍斗は駅前の商店街を眺めていた。

 ――それは、どこか苦い思いを抱きながらも、日々なにも変わることがない、退屈な景色……


(『宗教religio』は)


 青年は、いつかカナンに言われていた。

「ラテン語で“再び結びつける”って意味ですから」

 この、息苦しい世の中を。……良いことなど、何も見えなくなることがある未来を。


 ――離れてしまった、神と人を。

 彼女たちは、そのために祈るという。

「夜上さん!」

 カナンはずっと、やめさせようとしても、蛍斗に再会すると体いっぱいに手をふろうとする。

 ……青年は、かけ寄ってくる小さな彼女を見たとき、いつも笑いをこらえなければならなかった。

 ふだん見慣れたみすぼらしい町並みが、こんな少女のおかげで、少しでも鮮やかさを増して見えるなんて、自分もどうかしてるじゃないかと。







fin

 

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不死もいつかは少女へ花を 久賀広一 @639902

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