本気

 

 部下であるリィンからの報告は、なかなかに険しい渓谷の、小川の上流にさしかかったところでもたらされている。

「……やはり、私は当分のあいだ、力の回復はむずかしいですね」


 カナンと、藤乃彬、そして自分の持ち駒まで家に待機させ、戦力を失った蛍斗は、さすがに心細い思いで歩くばかりだった。

「あ……でも」

 そこで、自分のポケットに入っていたリィンの人形使い魔が、「オリオンから、一通だけ言付ことづけの書状が届いているようです」

 いくぶん明るい声になって告げる。


「おお……そうかぁ」

 ついにあの偏屈な部下が、言うことをきく時がやってきたのだろうか。

蛍斗はどうにか気分を持ち直して、その内容を聞くことにした。


 もしかして、アジア圏でもその強さで名を馳せているオリオン=グラフが、この窮地に駆けつけてくれるかもしれない。

「では――開封します!」

 リィンは一段声を上げて、その電報のような暗号文を読みあげた。


『サムイ。ハル ハ マダカ。セックス』

 

 機械的に伝えられた文章に、蛍斗はこめかみの血管を浮き上がらせていた。

「おい! なんの嫌がらせだ、これは!」

 そう問いただすが、

「おそらく、寒くてセックスする気がしない。早く敵を倒してくれ、ということだと思います」 

 リィンも、どこかしゅんとしながら答えている。


 ……あいつは、ホントにもう……

 なぜか強力な魔族ほど、新しい電子機器が苦手だったり、受け付けなかったりで、真冬でも暖炉しか使おうとしない。とんだ自己中メールだったが、おかげでどこか、蛍斗もふっ切れることができた。


「やっぱりこのまま行くしかないよな……。万が一、いや、三が二ぐらいでスコールに負けるかもしれないが、その時は領地を捨てる覚悟をしてくれ」

「マスター……」

 主の悲痛な思いに、ポケットに入っていた人形も、小芝居のように首をふってしまう。


「『爆縮』がもし使えれば、やつらを瞬殺できるのですが……」

「ああ。けどあの技は、一人でやるには難度が高すぎるんだよ」

 そう乾いた声で返事をしたとき、青年の目線が止まったのだった。


「!」

 そこは、不思議に開けた原野になっている。

 渓流を登りきった先だというのに、切り立った岩壁も、地肌の頑固な老木もない。

ただ、人知を求めぬ、草花と虫の揺りかごである“亜龍穴”は、このしばらくの期間で、敵までをもエネルギーで満たすように包んでいた。


(……いくら進堂司祭のポテンシャルが高くても、この特殊な場所でなければ、名の通った魔獣を呼び出せたはずはない)

 だが、こういった“場”や、生い立ちに恵まれるのも、その人間の価値としては認められるカードだ。


「やがみぃー!」

 鮮やかな色のあしに彩られた奥の湖岸で、進堂はひとり燃え盛っていた。

スコールは、濃い灰色のがっしりした身体のようだが、連れ合いのハティほどの巨大さはなく、一見したところでは実力を把握できない。


「なぜだ、進堂! 人の血ならまだしも、身体に手を出すことのない僕に、何の用があるっていうんだ!」

「手を出してないだって!?」

 司祭の目は、すでに自分の見ているものが別のもの、現実は理想に、出来事は妄想に置き換わるほど、血走っていた。


「君は、一人の女性の清純さを失わせたんだ! 彼女は決して、色づいた微笑みを浮かべるような人ではなかった! それを淫獣のお前が……」

 一度つっかえ、またつっかえながらも、司祭はその想いを訥々とつとつと蛍斗に訴えてゆく。


 青年はそんな淡い告白を聞きながら、どこか夏ミカンを頭でしぼられるような青春の酸っぱさに耐えていた。

 スコール……。お前の主はたぶん、悪い人ではないのかもしれんぞ……。


 どこか愛嬌すら感じられるように首をかしげたスコールは、耳をふるっと震わせて、今のところは沈黙に徹している。

いくら昔の魔物は単純……いや、純粋だったとはいえ、こんな極端な主と波長が合ってしまうとは、胸の内は複雑だろう……


 それでも恵まれた人間は、痛い目に遭っておかねば下層の者に迷惑ばかりかける。

「進堂……。お前が言う“彼女”は、あれほどの容姿をしていながら、二十を越えてまだ処女なんだぞ!」

 蛍斗は、こんな青春男にはショック療法がいいだろうと、密かな事実まで言ってしまった。


 聖職者は、そりゃあ何も考えず、清いわが身に酔っぱらうこともできるかもしれない。だが、

「あのは、その容姿のためにクズな父親の知り合いに襲われそうになって、男を避けるようになり、それでも今は異性との将来も考えていかなきゃあならないんだ!」

 どこのホームドラマになってんだ、と蛍斗は恥ずかしいながらも大声で叫ぶ。


「……!」

 これで進堂が思い直してくれるのなら、まあ共に肩をならべて帰っていくのもいいだろうか。

「この悪漢め――! 彼女の傷ついたプライバシーを、べらべらと」

 顔色を変えた司祭の決断と行動は、むしろそこから速度を増していくものだった。

脇に控えていたスコールを前に進ませ、

「君たちは、美と淫らさを根本的に勘違いしている」

 この場所に来る前から、まるで死んだように止まっていた風が動き出していた。


「神のもとに創造されたその時から、人間の性は次世代のために存在している。君らのものは、己のために快楽をむさぼる言い訳の道具であり、子供にすら醜悪に映る愛でしかない!」

 一切の沈黙があたりを覆い、草花の舞う、しなやかな敵の疾走が始まった。

 

 

 




 「緋玉嵐ヴィン=マルム!」

 痛覚が増していくような冷気の突進が来て、蛍斗は大きく横に跳びすさっていく。


(コイツは……! 防御がかたい、というより分厚すぎないか?)

 青年は、回避しながらも何とか技をだしていたのだが、普通に敵がまとっている氷雪に防がれている。


 ただの属性障壁で、僕の《鉱弾》が落とされるだと!?

 それは、これからの蛍斗の動きをすべて止める、ケタ違いの地力だった。

 ――これでは、どんなにうまく攻撃を重ねたとしても、先に自分の方が力尽きてしまうではないか……


「マスター! 敵の四大属性エレメンタルは、風、そして極大の水です!」

 そのリィンの声が届いたとき、魔狼はすでに底の知れない力の解放をはじめており、進堂司祭もどこかへ姿をくらましていた。

 ――っ!

 スコールの背中に生まれていく氷柱は、視界の空をうめていくように扇状に並べられてゆき、破城槌のごとく、どかどかと降りそそいでくる!


「どおおっ!」

 素早くジグザグに退がりながら、蛍斗は低空飛行にうつっていた。

 一発喰らえば戦闘不能、かすっても半壊という、思いやりのない雨である。

スコールに限らず、こういった神獣のような存在は、とにかく巨人などを相手にしてきたので、大味な攻撃が多い気がする。 

 これからどう攻略するべきか、青年は迷いの中で顔を曇らせていた。


「マスター、このまま消耗戦になっても、集中力が切れて危険なのはこちらだけです! 唯一勝機があるとすれば、あの技を――!」

 いつもは慎重なはずのリィンが、また無謀な作戦を持ち出していた。

 ……蛍斗も、本当のところは、何を望まれているのか分かっているのだ。


 人間とくらべて、属性の偏りが大きいと言われる魔族の中でも、青年は稀少すぎる均衡属性イコール=エレメンタルと呼ばれる、地水火風のバランスがとれた存在になる。

 突出した運用能力がないぶん、すべての力を均等に加圧すれば、『爆縮』という、ほとんど核のような幾何きか級数きゅうすう爆発を生むことができるのだ。


 ……まあ、あまりに繊細すぎる技なので、まず戦闘中には成功しないのだが……

(あれができたのは、当時まだ日本で最強だった主が後ろにいたからなんだよ……)

 圧倒的に頼れる相手がいなくなってしまった今、彼は悟りでも開かねば、アタッカーにはなれない。


 それでも、ここはやるしかないですマスター……

 相野一也という、爆縮を一人で乱発できた規格外の前例があるので、リィンはもうそれを知ってからずっと、夢を見ることをやめない。

かつて主に処分されそうになった自分を助けてくれた蛍斗も、同じくらい、いやせめて現状よりは遥かに認められていなければ――

 ――駄目なんだよ。期待ってやつは、特にバランスが必要なこの技には、逆効果なんだ。


 青年は皮肉な笑顔になって、敵との距離を広げていた。

 もともと、彼女リィンを助けたことだって情と言い切れるのか。微細なセンサーを持つ自分にしか見えない、《天雷》という彼女の特殊な能力の可能性を知ったからこそ――


『蛍斗、そうじゃないだろ』


「!」

 その瞬間、青年は敵であるスコールから話しかけられたような錯覚を味わっていた。

『爆縮ってやつは、自分と“世界”を二つだけに分けてシーソーに乗せてるような、せこい計算じゃあ成功しない』

 ……これは、ずっと前の……

「お前も、主になるなら知っておけよ。たとえ誰であろうと、この世に存在しているかぎりは、歯車みたいな一部だってことを。そして、世界に新しい景色を見せるのは、いつだってその本質としての役割から逃げ出した奴じゃないってことを……!」

 

「――あああっ!」


 それは、奇妙な現象だった。

(力が、軽い……)

 自分の中で押し固めて生まれていく、異常な高エネルギーに、蛍斗はまるで恐怖やふるえを感じることができないでいる。


 ――その塊は、彼がはじめて自分を度外視して手を伸ばそうとした、自分本当の役割であり、すでに知っているはずだった、世界に対して変動する己の比重であり、切り捨てていいはずの、他者たちの価値だった。

「一也さん……!」


 生命が肉体に縛られながらもっとも自由になるのは、逃避ではなく覚悟として、“ここでなら”自分を賭けていいという、そんな原風景に似た場所を知ったとき――


 ……彼は、初めて敵に向かってえることができた。

    





 ドッ!

 雹塊に傷つけられるのもかまわず、青年は腕を抱えたままスコールへと突っ込んでいった。


 敵の眉間ちかくへぶつけたのは、右手の感覚も失うような熱の脈動である。続いて、彼の視界が色を失ったように一瞬硬直すると、ヒュッと空気が不吉に収縮し、きしむような振動があたりから押し寄せてきた。


「――マスター!」

 その兆候が何をもたらすかを理解している、離れた場所で滞空していたリィンは、あるじに何度も呼びかけている。


「上空に退避してください、マスター! 地形が失われます!」

 蛍斗が反応できたのは、そこからさらに数瞬が過ぎたあとだった。

目の色にふいに正気が戻り、耳のすぐそばまで飛んできていた人形に気づくと、あわてたように空へと舞い上がってゆく。


 スコールは、もはや完全に停止していた。

「……!」


 ゴアッ!


 肌を切られるような烈風と、轟音と共にもたらされた衝撃は、当分のあいだ収まることはない。

 蛍斗は体を丸めながら、服の肩部分にしがみついている従者に向かって、指を遠慮がちに立てたのだった。

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