聖職者の地下世界
「さっきから、何度も言ってるだろ! こっちの用件は一つだけだって。――要は、進堂司祭をどうにかしろってことなんだよ!」
「……ほう?」
予想外に大がかりになった戦いが終わり、うんざりするような朝日を迎えた青年は、領地の教会に乗り込んでいるところだった。
「どうにか、とは? それはまた……こちらに何か、不手際でもあったような言い草ですな」
いま目の前にいる、《正道教》支部の奥部屋に座っている男は、蛍斗が住んでいる町である、神前町の司祭長だ。
そろそろ中年を終えようかという歳の彼は、まだ若くして信徒を多く獲得し、本部に出向くこともある進堂宗太の、父親のような存在になっている。
――もちろん、神の前に人はすべて平等であり、彼らもお互いを『兄弟』と呼び合っているわけだが。
「あれは……不手際なんてものじゃないだろう!」
青年は、
この厳かな部屋に似合わない、しょぼくれた人相の髪の薄い男は、実のところ近隣の教会でも有名な存在なのだ。
『もし、布教によって“救うべき人々”ともめた時は、大川兄弟を呼べ。彼の話は、全国の校長先生がうなるほど長く、中身もなく、相手が怒りを疲れに変えるまで、やさしく寄り添ってくれるだろう――』
蛍斗は、もう四十年以上も聖書しか読んでいない司祭長に、首をふっていた。
新聞すら魔の読み物だという彼は、こちらからどういう話を持ちかけても、相手を聖典の引用へと誘い込む秀才なのだ。
「……あいつが……進堂が、『禁術』を使ったって疑いがあるんだぞ。それは、教会の《戒規》にあたる、訓戒や除名も検討するようなことだろう!」
「あなたはまさか、さしたる証拠もなしに、疑いだけで人を裁こうというのか」
「じゃあ、敵味方問わず、ちゃんと平等に見定めろよ!」
すでにくたびれてしまった蛍斗は、それ以上返す言葉を思いつけなかった。
猫のように両手を司祭長の机につっぱるが、相手は貧相な笑みをたたえたまま、髪を頭頂に撫でつけている。
「あまり、心配なさることはないと思いますよ」
「……?」
「実のところ、進堂にはしばらく前から、謹慎を申しつけているのです。恥ずかしながら、聖典広布の
「問題……? 外部の人間とか?」
蛍斗は、怪訝に眉をゆがめていた。
「だが、そんなことであいつは、じっとしてなんかいないだろう。この数日は、亜龍脈の近くをウロついてるって報告がこっちにはあるぞ」
「それは仕方がありません」
ひょいと両手を持ち上げ、大川はうなずいている。
「我々はべつに、神の道を歩む者ではあっても、人間個人を取り締まる治安組織ではないんです。それに、あなたもご存じでしょう? この地は古くからの生命賛歌、古神道の流れを汲んでいる。より大きな、真実無二の“神”を知るためにも、布教者がそれぞれの地で学ぶ
「……」
彼独特の、ミッションスクール講義が始まるようだった。
おそらく、過去より飽食が進み、衣食が足るほどに心が好奇心のままに動く人間は、地道に歩まねばならない信仰よりも、むしろ安易な魔に楽を求める。
蛍斗は、昔とはまったく逆でありながら、同じ道が目の前に広がっている気がして、皮肉に言ってしまった。
「《
「もちろん知っていますよ。神戸のお嬢さんが、何やら怪しげな術を使って、意識が戻っていないという話もね」
にこりと小さな目で笑い、司祭長は指を組んでいた。
――くっ!
またも蛍斗は言葉を失い、奥歯を噛みしめている。
矮小なくせにたじろぎもしない相手を見下ろし、やはり時間の無駄だったか、と青年はその場を去ろうとするのだった。
「……そういやあ、さっき言ってた、進堂が問題を起こした相手っていうのは、誰なんだ? ……この教区に住んでるんだよな?」
最後に尋ねるが、
「どうせ、ご自分で調べられるのでしょうが――せっかく来られたのです」
あっさりと教えてくれた名字に、どこかひんやりしたような予感を味わった。
僕の
人間個人に、特に情を持つことのない彼だが、やはり中には精彩を放つ者もいる。
男をまったく寄せ付けなかった女性が、吸血鬼に血を吸われる夢幻の性的快楽により、見違えるように色づくこともあるのだ。
「ちっ!」
不快な気分になって、蛍斗は舌打ちしていた。
やはり進堂は、明確な目的もなしに動いているわけではない。
性的な嗜好倒錯のあった義父のせいで、男との関わりを極力避けるようになっていた青年の
進堂が関与しているかどうかは分からないが、その祖父は、知人の勧めで聖書に感化されはじめたようなのだ。
融通のきかない若司祭が、そこに加わっていたら……
(潔癖症なヤツってのは、過敏に反応するのが良いことだと思ってるから、嫌なんだよ……)
蛍斗は、もう数年は訪れたくもない教会を、のしのしと後にしていた。
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