暗前

翌日は、何気なく散歩でもしたくなるような、好天に恵まれていた。


 蛍斗は自分が通っている大学のキャンパスを歩きながら、気持ちよさそうに頬を緩めている。

まったりした心持ちになれるのは、桜が散ったというのに寒さが戻り、太陽の光がやさしく感じられるからだった。

「とりあえずは、日常におかしな変化はなさそうだし……。今日は血人ドールのところへ行って、魔力を補充させてもらおう」

 うむ、と一人えらそうにうなずきながら、彼は寒春の風景を見回している。  


 入学してからわりに短期間で人がはけてしまって、随分とせいせいした感じだ。

 以前なら、新歓騒ぎが終わったあとも熱を残したような空気が広場にあったが、これは現在の個人主義化や、余計な波風が立つのを嫌う風潮によるものだろうか……。

「ぱっとしない高校から、こんな地方大に入ったって、死刑宣告圏外就職までの時間をかみしめるだけってことなのかな……」


 むしろ悟りを開いたような、穏やかな顔の院生が歩いていくのを見て、蛍斗は教会式祝福をしたくなった。

 アーメン――運勢はいつでも、自分が周囲に発する心によって、良き方向へと変わっていくのです……。

「おーっす!」

 バン、とそのとき悪意があるほどの強さで、背中を叩かれてしまった。


「蛍斗くん、今日もオトコマエだねえ!」

「……鳴子さん……」

 情けなく足をよろめかせてしまったが、先輩の柏木鳴子にぐいっと引き寄せられてしまう。


「ごめんごめん。お姉さん、朝ごはん食べすぎちゃってさあ!」

「ちょっと、誰かに見られますよ!」

 なぜか心配するように、青年はキョロキョロとまわりを見渡していた。


 中身はさほど自慢するような器量もないが、そこは彼も吸血鬼ヴァンパイアである。眷族になってからというもの、外殻が進化していく虫のように、長い時間をかけて人間エサを惹きつけるよう美形化していた。


「なに言ってるのよー。私たちの仲がいいってのは公認なんだから、もっと手とかつながないとね!」

(……はあ)

 彼女はそう答えて、指まで組み合わせようとしている。少なくない大学の蛍斗ファンから、無用な恨みを買おうとするのだ。

 ……そう言えば、ほんの少し前に、男と別れたとか聞いたような憶えが……。


「先輩、もう元気になったんですか? あんまり先輩につり合わなそうな、あの『君も明日から彼女持ち! 似合わないモテテクより、真に男を光らせるのは仕事と金!』とか言ってた、ワーキングサークルの彼氏は――」


「私は、もともとカッコイイ奴とかは苦手だけどさ、蛍斗くんは、なんか特別ぐっとこないんだよねえ」

 ひどいことを普通に言いながら、自分の腰に手を回させようとしている。

「あっ、もう! 変なストレス発散してると、また不快は返ってきますよ。鳴子さんと僕は、体臭で引き合わない、遺伝的な近さがあるし……」


 なんとか体を離して、ぼやきながらも歩き出していた。

 どうも彼女は、人に対してプライバシーというものを作りたくなさそうなふしがある。容姿の素材は一級品なんだから、本音を隠すようになれば相当に色めいて上物化するのに。

「……それにしても、やけに機嫌がよさそうですね」

「そうかなー?」


 これから上田教授の講義だからね、とほんわかした口調で彼女は言う。

「自分でも、民俗学を専攻するとは思わなかったけど……フィールドワークでものすごく遠いと思ってた何かが身近に直結してるって分かってきたからねえ……。なかなか、世界はいびつな広がり方をしているよ」

「嬉しそうな意味がわからない」

 ふふっ、と姉のような親密さで、鳴子は歩調を合わせていた。


「卒業後も先生の研究室に入ることになったからさ。キミの異国風情な美形が、民俗的な突然変異かどうか、調べてあげる」

「家系図は見せませんから」

 こちらまで爽快になるような笑顔で、彼女は講義棟に消えていった。


(……まったく)

 ほっと一息つきながら、蛍斗はその後ろ姿を眺めている。

 姿勢がよくて、迷いのない女性は、どうして人目を引いてしまうんだろうか。

(異性として感じられないのは、たぶん近親者に似た人間がいたからだろうな……)

 彼女を見ていると、青年はどうしてかは知らないが、昔の記憶がチラついてしまうことがあるのだ。


 ――もう長く生き過ぎたせいで、肉親がどんな顔で笑っていたのか、はっきりとは憶えていない。

ただ、ときどき故郷の風景が、柏木鳴子と並んだ視線では、痛みとともによみがえってくることがある。


 ……まあ、僕たちは死ねない身体にされたときから、始まりの地も、行き着く先もなくしてしまったんだけどね。

 さて、と蛍斗はぼんやりした思いをふり払った。

 自分の方も、そろそろ講義に行かなくては。


「?」

 視界のはしっこに、何かがうつったのはその時だった。

 目を凝らしてみれば、建物の陰に“使い魔”がひっそりと立っている。

(命を持たない、魔操体か……)

 蛍斗は苦いものでも噛んだように動きを止めていた。

 霊の類いのような気配だったが、リィンの《人形》は、まさしくそういう存在なのだ。


……どんな用件かと近づいていくと、頭に雷がささったような外見の、そのビビッドな人形は、手招きをくり返しているようだった。

 ――まねき猫じゃあるまいし、と青年が微笑むと、予想外の大声で言われてしまう。

主人マスター!」

(おい!)


 まだそこらに人がいるのに、何をやってるんだ。

「頭がおかしいと思われるマネは、勘弁してくれよ!」

 蛍斗は驚いたようにこちらをふり向いてくる女性に、人形を拾いあげて見せ、腹話術のようなふりをして建物の間の奥へと入っていった。


「……教会の人間がふたり、“例の山”に入ろうとしています! フェンリルの群れを目指しているかと」

「!」

 もうあの子らが動いたのか、と青年が回らない頭で考えていると、


「一人は正道教、神前支部の『進藤宗太』です!」

 呼吸を乱したような声で、続けられた。

「なに!?」

 一瞬、耳を疑ってしまう。「――あの若司祭のか?」

「はい!」


 ドンピシャ教会のタカ派じゃないか、と蛍斗は予定していたはずの午後の計画が白紙になってしまった。

「おそらく、今回の騒動の関係者だ。気づかれるなよ!」

 それだけ言うと、人形を空にほうり投げ、駆け出していく。


 例のセクトの少女らが接触しないことを祈りながら、重い春雷の暗雲が迫りはじめた高台を、にらみつけていた。

 

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