神の言葉を預かる者
「今日のニュースです。
誘拐されてから三日を過ぎていた、N市・神前町の立科明日花ちゃんが、お昼過ぎに発見されました」
家に着くと、テレビのそんな声が聞こえてきた。
奥にあるキッチンでは、リィンがめずらしく鼻歌を歌いながら料理をしている。
「――明日花ちゃんは、やや疲れた様子でしたが、犯人に危害を加えられることもなく、無事に保護されました。『正義の味方に助けられた』というような証言があがっていることから、現在警察は、彼女の居場所を通報してきた男の行方と、犯人の聴取に――」
蛍斗はそそくさとチャンネルを変えると、フライパンから香ばしい匂いをさせている少女に話しかけた。
「オリオンと、ノリコの方はどうだった? 動いてくれそうだったか?」
一瞬、少女はハッと顔をこわばらせ、鼻歌のせいか頬を染めたが、
「いえ」
といつものように簡潔に答える。
「オリオンは、相変わらず腰が重いですね。……ノリコはまだ、東北のあたりを放浪しているようです」
ビールとグラス、それに小鉢のお
(いつからこんな、“つくす妻”的な行動を取るようになったんだ……)
なにやら本を読むことを趣味にしてしまった彼女は、日に日にこまやかな行為を見せるようになっていた。
「料理は適当でいいから。早く食べよう」
蛍斗は、自分がわりあい神経質なせいか、少女には負担のないよう大雑把な指令しかあたえない。もともと同じ主人に仕えていたのだが、感情を押し殺すように従わされていた彼女は、いま善意で自分に仕えているのか、それとも殺意ある服従なのか、よく分からなかった。
「仲間のほかには、何か変わったことはなかったか? このあたりの下等な魔族のヤツらとか」
もう一つグラスを出して、テーブルの向かいのリィンが座る席に酒をつぎながら尋ねる。
「はい」
エプロン姿の少女は、焼き魚にとろみをつけた
「
「狛犬?」
蛍斗は不思議そうに部下を見る。
「あの山に、神社なんかあったっけ?」
さんざん通ってお気に入りの高台スポットだったが、まったくの初耳だった。
「ええ。今では老人と一部の子供、
「上田……」
民俗学の先生だったか、と青年は思い出していた。
「狛犬のパートナーってことは、『獅子』のほうか? 神社によくある、右側に座った」
「はい。魔狼にやられたようで。……あと、『ア・バオ・ア・クゥー』が、
「はあ?」
また蛍斗は頓狂な声をあげた。
「アイツ……。今度もどこかから落ちたのか? 高い所が好きなのはいいけど、どんくさいのだけは勘弁してくれよ……」
「いまは町内の西大寺にいるんですが、どうやら今日、
「たしか、奴は伝説の魔物とかで、最上階まで塔を登ったら“極彩色の完全体になれる”とか……」
「そういう伝承があるようですね。インド『チトール』にある勝利の塔で、仲間が成功したという……」
「しばらく大人しくしてろ、と伝えてくれ」
やがて、リィンがぱたぱたと料理を運んできて、食事が始まったのだった。
……粗品ですが……。
おかしな日本語で謙遜し、手を合わせている。
――しっかり彩りがあって、レシピにもこだわった、貴族ヴァンパイア向けの食卓だろうか。
なのに蛍斗は、むず痒い顔をしながら、机をはさんだ少女がたてるカトラリーの音を聞いている。
「なあ」
息苦しさを破って声をかけた。
「べつに、僕の面倒なんか見なくていいんだよ? お前はもう、縄張りの中で好きなようにしていいんだ」
「いえ、一緒に住まわせて頂いているのです。最低限のお世話は……」
家など、お金を持っていそうな人間を選んで
それより、日が経つごとにテーブルマナーが洗練されていく彼女と食事するのが、億劫になってきている。
「あの……」
じっとその手先を見つめていると、リィンが気まずそうに上目遣いになった。
「今夜は、寝室のご奉仕のほう、どうされますか……?」
「ぶっ!」
口の中のものを、あやうく吐き出すところだった。
「――こんな時にする話じゃないだろ!」
「……すみません」
「必要ないって言ったろ、そんなの。前の主が死んでずいぶん経つんだ。僕のボスとしての命令は、どこまでも快適に生きろだ。仲間を窮地に立たせたり、誰かを不幸にしない限り、自分の機嫌だけを最上にしてろ」
「……はい」
「本を読む以外にも、趣味を見つけるといい。ノリコと一緒に、旅行にでも行ってみなよ。できれば、短期にしておいてほしいけど」
「私は、
蚊の鳴くような声で、うつむいてしまう。
本題に話を持っていきにくくなったな、と青年は首をかいていた。
「――あのさ、“東雲礼子”のことなんだが……」
何でもないように、しれっと切り出してみるか……。
蛍斗は、映っていないテレビを眺めながら、言った。リィンは食事の手を止めると、話の内容を
――東雲が神戸に赴任して一年ほど。蛍斗は、いまの彼女のくわしい状況を聞いておきたかったのだ。
「……『預言者』、という者が現れ始めているようです」
「!?」
リィンの答えに、青年は本気で驚いて眉をあげる。
「――そもそも、
「……方舟のノアや、十戒のモーセと同じ
あの娘――東雲カナンは、自分の立場をまったく理解していないようだった。
……?
リィンが、何かあったのですか? というそのままの表情をしていたので、一つ息をついた蛍斗は、娘に偶然出くわしたことを話してやる。
……少女も、膝の上に置いていた自分の手を見つめ、黙ってしまった。
「――まだほとんど育ってはいないけれど、巨大な異能の才覚ですか……」
(しかし、魔に属するものとの融和をかかげる“
「……」
二人して、すっかり食事が止まってしまっていた。
明日からは多少いそがしくなりそうだが、もともと何事にも執着心がうすい蛍斗にとっては、どうでもいいことのようにも思えてくる。
「今日は……」
「ん?」
「今夜は、もう家におられますか?」
その時、なにやら緊張したように、リィンが尋ねてきた。
ずいぶん
――映画?
ためらいがちな少女を見ると、“それを自分と一緒に楽しみたいのだ”という願望が伝わってきた。
(本の次は、映画か)
内心、微笑みをうかべていた蛍斗だったが、几帳面に……深刻になりすぎないという点においては、活字より映像作品の方が良いのかもしれない。
「分かった」
「――!」
望んでいた返事を得たリィンが、
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