小さな世界は宇宙へのカギ

 同じ頃、まだ夜上蛍斗は、町を眼下にのんびりと考え事をしていた。


(……あれ?)

 部下への命令などをしてみたのはいいが、敵に対しての具体的な策は、まだ何も立てられる段階ではない。

こういう時は、ムリに動くとだいたい悪い方へ転がるんだよな、と欠伸あくびをしていると、嫌なものを発見してしまった。


(あのコらは――何だ?)

 魔狼がいるならじかに観察でもしてみるか、と高台公園を離れようとした頃、あやしすぎる影が動き出したのだ。


 ――基本的に、魔族同士の共存は、上下関係が決まってこそのもの。

 手段は問わずにルールは生死、そんな争いを運よく生き残った者が、『不死者の王』たるヴァンパイアの傘下におさまっているのだが……


「リィン。“奴ら”は、日和見してるんじゃなかったのかよ」

 部下の未熟な報告に、青年は舌打ちしたくなった。

 たぶん仲間魔物などではなく、気配を消した人間だろう。――すでに教会が介入しているのか、と蛍斗はその男女に近づいていった。


「……」

 なにやら下に見えていた山肌のあたりをウロウロしているのだが、まさかあれで探索をしているつもりなのか。

 敵とは真逆といっていい方向に、片割れである一人が導こうとしていた。

(おい!)


 そこで蛍斗が声をかけたのは、あまりに見ていられなかったためもある。だが、どちらかと言えば関わりたくもない修道士――その「びくうッ」と気をつけの姿勢をとったまま固まった少女と、すでにこちらを察していたらしい少年――が、異様な力を持っているように感じたからだった。


「な、なんですか! 誰ですか!」

 まだ中学生ほどの少女は、こちらがしげみから出ていくと、あえぐように両手をバタつかせている。

 これは……。無意味に疲れそうな相手だ。


「『夜上蛍斗』だよ。修道士のくせに僕を知らないなんて、ここらの支部じゃないな?」

 うさん臭そうな目を向けてやると、少女は勘にさわったように胸を張り返した。

「アナタね――」

「お嬢……いえ、姉妹シスター! なるべく静かに!」

 あいだに手をさし入れてきた少年は、高校生くらいだろうか。

どこかぽやんとしている、きめ細やかな顔立ちなのにいま一つ締まりのない少女よりは、要領がよく、挙措にも心配りがあるようだ。


「あたしは『正道教』日本支部、神戸分派セクト、カナン=東雲しののめよ! 信条は融和実行! 殉教承知! バカ相手に平和は安くないのよ!」

 やる気!? と盛りあがる彼女をよそに、蛍斗は分派という言葉に反応していた。


「神戸だと……」

 今回の騒動が、思ったより深刻になりそうで、顔をしかめる。

(たしか、新しく区司教におさまったはずの東雲礼子が、ほとんど独立させたような形で、支館を押し上げたところか!)

 この神気才能の塊のような少女は、その直系の娘に違いなかった。


「……場所を変えていいか?」

 蛍斗が問うと、傍らの少年がすぐさま頷く。

 こんな重要人物が、前触れもなくふらっとやって来るのはおかしい。

 えっ、えっ? とカナンはまわりに首を巡らせていたが、相方に手を握られると、すばやくその場を跳び離れた蛍斗を追うように引っぱられて、うめき声の尾を引いた。



 


 いい場所があるから、と蛍斗が向かい、三人が足を踏み入れたのは、繁華街だった。

 その一帯は、まず知らない店がないほど青年は熟知している。

中でもとくに馴染みになっている『箱庭喫茶』へ、制服ブレザー姿の彼女らを案内してやったのだった。


「……ここは……?」

 飲み屋が並ぶ一角に、なぜかうつろなクラシックばかりをかけるマスターがいて、中庭つきの店を経営している。


「さて。夕方はだいたい他所よそに客が流れていくから、しずかに話ができるぞ」

 蛍斗は、とりあえず奥の空いた席を確保し、ホッとしながら腰掛けたのだった。


 ソファの方は相手にゆずってやって、対面にある椅子で肩の力を抜き、顔見知りの店主に注文をすませる。机の上にはミニチュアセットがあって、いつでも病んだ心を箱庭療法で癒せるぞ、と二人に教えてやった。


「――こちらは、何も話すことなんか、ありませんよ」

 しばらく内装と中庭を見回していた彼女は、興味深そうに前の客が作った箱庭を注視したあと、ぐっと身を乗りだしてきた。


 やれやれ。これじゃあ子供のおもりと変わらないな。

 青年としては、彼女たちがこんな所までやってきた動機を知りたかったのだが、こう幼い人間では話もあったものではない。

「それより、このカフェは何なんですか。可愛いじゃないですか。神戸に支店は出ないんですか」


 そんな軽口をやり過ごすように、蛍斗はテーブルの端をながめていた。

 ――当然ではあるが、こうやって向かい合うだけで、気詰まりになる敵同士なのだ。さっきから不思議なのは、異能で障壁を張らなくても力ががれない点だったが……


「今回の件は、僕たち吸血鬼と、化石めいた神獣の内輪揉めみたいなもんだぞ。君らには全然、関わりがないはずだ。どうして首をつっ込んでくる?」

 それどころか、教会にとっては嬉しいことですらあるだろう。

 敵の争いの流れ弾に注意しながら、対岸の花火を楽しめるくらいだ。

……それに、蛍斗としても、もしそこで力をアピールできれば、ふだんから弱小領主と言われている汚名も返上できるかもしれない。


「……むー」

 しかし少女は、その質問の意味が分からないように、頬をふくらませていた。

 むずかしい話の通じるトシでもないか、と蛍斗はだれるように、背中をイスに預けていく。

 “もういいよ”、という感じで手を振り、終わりにしようとしたその時。


「われわれ神戸セクトは、他の正道教とわずかに立場が違うんです。あなたたち《魔族》も含め、すべての生命、魂の総和が『星』のバランスを成していると考えるの」


「……?」

 いったい彼女が何を言っているのか、今度は蛍斗のほうが理解できなかった。

……だが、しばらく前から、自分たちに近い居住区の教会規制が緩みはじめたのは、神戸に着任した東雲礼子と、吸血鬼真祖直系橘かすみとの間で取り引きがあったからだと聞いている。   

マリノ=サージェンカは、こともあろうに、《司教》東雲のボディーガードとして、同じ地区の魔族側の領主として派遣されたらしいのだ。


「――僕たちの存在を、肯定するんだって?」

 蛍斗はそれでも、失笑をこらえることができなかった。

「君らは、たったいま本音を思いきり隠しながら動いていたじゃないか。……信条なんかを大事そうに語って、うす汚れた政治家みたいに裏でちょこちょこと小細工に走る……それで共生を謳うのか!」

 そう言ってつめ寄ると、カナンは強くあごを引いてみせた。そして蛍斗の目をはじめて真っ直ぐに見ると、重い口ぶりで続ける。

「……今度発生した魔狼フェンリルは、いくぶん不自然なきっかけで姿を現したと我々は見ています。あたしはその原因を探りにきました。……この町は、地理的に日本の重心――古来からなる土地の『龍脈』は通っていませんが、そのエネルギーの余剰の集央地として、無視できない場所にあります」


「……ふーん……」

 その返事を聞いて、蛍斗は面白そうに腕を組んでいた。

 どうやら、ここまで全く辿ることのできなかった火種が、どこに生まれていたのか分かったような気がする。

「さっきからその、当たり障りのない役人がカンペを読むような物言い……。フェンリルの“不自然な”発生原因は、そっちにあったのか。いや、世界の中立たろうとする君ら分派じゃない、本家の正道教――。でも、このままにしておけば、やっぱりそっちには役得が転がってくるんじゃないの?」

 下手に手を出したら、母親が追い込まれるぞ、と脅しをかけてやろうと思った瞬間、マスターが飲み物を運んできた。


 ……空気の流れも感じさせないような、気配のない動きをする人間だが、微笑みの似合う初老の男性だ。

「――あなたは、東雲礼子に会ったことがありませんね?」

 やがて、テーブルの上のミルクティーに口をつけると、少女はしばし驚いたように黙ってしまった。話を止め、口元をふいて、カウンターに戻っていくマスターの背中とカップを、交互に見ている。

 ……ふむ?

 お嬢とはいえ世間知らずにこの店の味がわかるか、と蛍斗は思っていたが、どうやらそれは貧乏人のひがみだったらしい。


「……」

 少女は一度、腰を浮かせて座りなおした。毒気を抜かれたような感じだったが、その目はとても、これから母親の話をするものには思えない。

「彼女に会えば、その理想の孤立を知れば、大きな組織の過ちほど自己都合で、恥を知らないものはないと、あなたにも理解してもらえるはずです。……夜上さん。私たちには目的があるのです。ただ漫然と生きているわけではありません」

 そんな言葉を、少女のとなりに座って、沈黙したまま聞いていた少年は、先ほど藤乃とうのあきらと名乗っていた。

 蛍斗にしてみれば、あまり話に興味のなさそうな彼の方が、教会の立場としては正しい。


「……分かったよ。でも実際キミらが動いているのは、独断だろう?」 

 痛さに顔をゆがめるように、二人の表情が並んだ。

「なぜ気付かれたんですか」

 結構な意外さで、少年が尋ねてくる。


(この子の方は、かなり気配を消すのもうまかったけどな……)

「――まず、迂闊すぎだよ。君らはフェンリルの喉を知らない。あんなところで無防備にうろついて、敵に囲まれたらどうするつもりだったんだ。不死者ですら、奴らに呑まれれば魔力を大幅に喰われ、命を失うんだぞ」

 ふむふむ、と本気なのか彼らは勉強するように膝を正した。

「第二に、ウチの情報担当は、早さだけなら相当なものなんだ。内容の精査はともかく、教会が出張でばってくるようなら、とっくに使い魔が来てる」

「リィン=アシュウォーさんですね?」

 少年が感心したように問いかけてくる。

 ついさっき、部下の仕事を疑ったのは、当然忘れた。


「……ここらのボスは僕ってことになってるけど、七不思議みたいなもんだよ。同族の中では、かなり弱い方なんだ」

「でも、相野一也さんとは付き合いが深い」

「ただの偶然だから」

 憮然として答えた。


「知ってるだろうけど、この世界じゃあ神の使いでも魔物でも、物質を介した存在なら四大エレメンタルで構成される。その地水火風の配分が、僕らはめずらしく均一なんだよ。――彼はスケールが段違いだけど」

 さて、と蛍斗は手首をもんでまだ熱いコーヒーを飲み干した。


「とりあえず、忠告はしたよ。……僕としては、君らが勝手にしゃしゃり出てきても、助かるくらいだけどね」

 つぶし合いは、双方が望むところだ、と立ち去ろうとする。


「『分派』の上層部も、今のところ対応する気はありません」

 少女は机の上にあったミニチュアを、指でつつきながら言った。

「――でも、信仰を果たすのは、大人の事情ってやつではないはずです」

 蛍斗は、その意見にわざとらしく肩をすくめ、マスターに手を上げていた。ここは、もはや現代では絶滅しようとしている文化、“ツケ”が脈々と受け継がれている場所である。


(一也さん……教会への義理は果たしましたよ。あとは、利用させてもらいます)

 しばらくは様子見ですけど、と青年は自宅マンションに帰ることにした。

 

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