異性でシステムを知り、同性にアガペーを学ぶ

 ――フェンリル。


 その名が神前かみさき町あたりの魔族の話題で交わされるようになって、ひと月も経っただろうか。

 年若い吸血鬼などにはさほど知られていないが、遠い昔に北欧にいた魔狼だ。


「……まったく、とんだ目にあったよ。美人はタダじゃあ楽しめないよな」

 青年は、高台にある公園から、ひとり町を見下ろしている。意味もなく格好をつけながら、

「見回りは、今日も異常なしってことで」

 長くもない髪をかき上げてみた。


 ここは、日本の重心――へそと言われる、兵庫県、N市。

 何の変哲もない田舎町だが、こともあろうに最近、不可思議な大物が現れたのだ。


(いまは教会の勢いも、すっかり弱まってるしなあ……)

 蛍斗は気もなさそうに、十字架を掲げた小豆色の建物を眺めている。平凡すぎる風景だが、わびしい繁華街の灯りには、せつない郷愁の価値もあるのだ。


 サラリーマンのように、のれんをくぐって一杯――とかやってみたいところだが、まあ全く似合う気もしない。

 ……それよりフェンリルと言えば、北欧神話の主神オーディンを呑みこんだ巨狼が有名だが、むしろその弟妹たちこそが、災厄をもたらすものだった。


“イアールンヴィズ”と呼ばれる鉄の森で、老婆によって生み出された一族……

「『ラグナロク神々の黄昏』の引き金の一つって、文献に残ってたんだよな」


 やれやれ、領地なんか持つものじゃないよ、と青年は頭をかいていた。

「リィン!」

 一人の少女の名を呼ぶと、

「――はい」

 涼風のような声音が、後ろにひざまずく。


 敵の中心にいる《二匹》は、なんとしても仕留めねばならない。

「……正道教『神前支部』に動きは?」


対応スタンスを決めかねています」

 まあ、魔物同士の争いは、対岸の火事だよな。

「人間よりも、こちらに被害が集中している。ウラがありそうだ。……敵の数はおそらく六。その中でも、《スコール》と《ハティ》はかつて太陽と月を追いかけ、その運行が世界の中心の一つだった。神々の黄昏と崩壊は、やつら狼の星呑みに始まったとも言われている。気をつけて行け」

「はい」


 少女が消え、その意思を眷族へと散らしにゆく。

 いつもは微動だにしない細声が、すこし硬かった。






「……ふーん」


 リィン=アシュウォーからの『通達』を聞いて、赤毛の暗い目をした少年は、鼻で笑っていた。

「神話の災厄にまでからんだ奴の相手をするって? ……そんなものは、教会にでもまかせておけばいいんだよ」


 広大な屋敷の、汗にむせかえるような一室にいる。

 血人ブラッド=ミールと呼ばれる、吸血用の人間をはべらせ、オリオン=グラフはソファから身を起さなかった。


「もともとは、そういった古代からなる神々を、彼らが逸話のすみっこの方へ押しやってしまったんじゃないのか? ――今さら報復を食らっても、自業自得だよ、一神教は」

「……」

 リィンは、そんな少年の言葉より、まわりの甘い雰囲気の男たちに、悪酔いしそうになっていた。


 十四~十八歳くらいだろうか……。

 ここに住むオリオンは、自分の外見と同じとしくらいの“同性”をはずかしめるのに、享楽を感じている。

ためらう相手を四つん這いにして、羞恥と苦痛と快楽に汗をながす姿を、後ろから執拗に愛するのだ。


「ま、戦うにしても、向こうから仕掛けてきたらね。ボスは蛍斗だけど、無意味な仕事はやらないって言っただろ?」

 それを聞いた少女は指を軽くにぎり、ムスッとした表情のままふり返って、古めかしい木製の扉へと向かう。

 最初から、彼の力は当てにしないと決めてはいたが……。


「教会の勢力が弱まっているのは、現代の人間の思想が、技術ほどに進歩、または回帰できなくなってしまったからじゃない」

 人形のように端正なくちびるから、リィンの無機質な声が響く。


「真の教義と、歴史へのこだわりを勘違いした原理主義、文明による、過去の文明の足場の忘却……やがて魔の居場所も、新たな者との食い合いになる。神と魔はつねに両立するけど、闇の領域には限界があるのよ」


 ハハッ、とまた突き放したような少年のわらい声が聞こえ、少女は扉を閉めた。

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