ヒーロー

「にゃぐっ!」


 ふき飛ばされて、ブタのように転がって丸まった男は、何でこんなことをしたのか自分でも解らない、と目も合わせずにしゃべっていた。

「きっと何かべつの理由があるんだ。宇宙的な何かが、ボクに命令したり――」


「黙りなさい!」

 服をつかんで、二、三度ふり回してから放り投げ、マリノは少女のそばに寄っていった。

「――? ……?」

 おかしな異国人が、突然やってきて自分が助けられたなど、幼女に理解できるはずもない。それでも、自分を包むように抱き上げてくれた大人の女性の要望に、彼女はしばし見とれていた。


「……おうちはどこか、言えるかしら?」

 やさしい日本語で話しかけると、明日花という名の少女は、ぎこちなく頷く。

「かみさき町、おおい6―7」

「ごめん、私が分からない」


 マリノが頬ずりするように顔をよせると、二人ともくすぐったそうに笑った。

「はあ……。三駅行った、となり町だよ」

 蛍斗が遅れて、よっこらしょと窓から入ってくる。


 瓦屋根に割れているところがあって、マリノの背中に目をとられた隙に転んでしまったのだ。

 じゃあ、あんたの縄張りね、とマリノは少女を下ろしてやる。彼女の足にしがみついて男を怖がっているようだから、たぶん自分では無理かもしれない。


「マリノさん、もう警察呼んでまかせよう」

 蛍斗はそう言いながら部屋を見回した。

「あと、その髪色は目立つから、当分やめといた方がいいよ。この子が証言で話しちゃうだろうから」


「この肌と髪は、アイヴィ様が気に入ってくださってるの。絶対変えない」

 年齢からは考えられない拗ね方をして、彼女はしばらく黙り込んでしまった。

 やがて、あることを決意したように、明日花ちゃんに向かって伝える。


「……お姉ちゃんたちが来たことは、みんなには内緒にしておいてくれるかな? 私たち、悪い人間なの」

 なにを言ってるんだか、と青年は両手を広げていた。

「えーっと……。110番って、非通知にすると足がつかなくて済むのかな? 携帯だと、あとでいろいろ調べられそうで、心配だけど……」

 戸を開け放たれた隣の部屋までのぞきながら、彼は家の電話を探している。


 ふと、ぐったりと伸びている誘拐犯の男をふり向くと、マリノは窓から身を乗り出して、二階から飛び降りるところだった。

「ちょっと! マリノさん!?」

 あわてて尋ねたが、「あなたも早くしなさい」というように手で示している。


(普通じゃない行動とって、供述混乱とか狙ってるのか?)

 蛍斗はもうどうにでもなれと思い、携帯の非通知で警察に通報していた。


「あの……気を失ってる誘拐犯と、女の子がここにいますよ。――そう。ニュースでやってるやつです。もし捕まえたら、変なことを犯人がしゃべると思うけど、信じないで下さいね? まあ、彼は大罪人ですもんね? 信じる方がおかしいっていうか――」

 自分でもうまく話せているとは思えず、あきらめて電話を切った。

 マリノは、とっくにどこかへ消えてしまっている。


「……」

 大きくため息をついて、蛍斗はぼんやりと待ち続け、あわただしい雰囲気で近づいてくるパトカーのサイレンを聞いてから、逃げ出した。

 ……それはのちに、『真犯人がいたのでは?』と新聞に載ることになる、みじめな路地裏の逃走姿だった。

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