雨闘

 神社のふもとの坂についた時には、天気はどしゃ降りに変わっていた。


(雨で鼻がまったく利かないな……)

「どこだ! リィン!?」

 緊急時は離れることがない彼女の従魔も、いつの間にか見失っている。

「――もっと上へ――山腹さんぷくから回ってください!」

 遅れてやってきた人形が、羽を背中につけ足して空を飛んでいた。


「この天気じゃ、移動にも無駄な魔力を使うな……。ポケットに入ってろ」

 滞空ホバリングをやめさせ、胸に放り込んでやると、彼女はしばらくモゾモゾと動いていた。やがて、頭だけをそこからぴょこっと出したあとも、落ち着かなげに身をよじっている。


「……おい?」

 くすぐったさを我慢していると、不穏な空気が左奥――目標とは反対側から感じとれた。

「なんか……戦闘してるみたいじゃないか?」

 遠巻きにではあったが、魔力の衝突が今あったような……!


「はい。調べが遅れました。東雲カナンと藤乃あきらが、『月追い』のハティと思われる個体と、ぶつかっているようです」

「なに!?」

 反射的に足を踏み出しながら、なぜ遅れた、と蛍斗は少女を叱った。

サージェンカ一族でもめてから一年、さらに教会が関わるような戦闘が起これば、自分の近くの縄張りでも、平穏が得られなくなる。


 青年が№2をしていた頃なら、考えられない失態だった。

「すみません――。昨夜から、体調のせいで魔力の運用がとどこおってて……」

「まさか……」

 なかば呆然としながら、蛍斗は胸の人形を見下ろしていた。

「生理期間に入ってしまいました!」

「そんな思春期な報告はいらない!」

 僕だって馬鹿じゃないんだ、と彼は矢のように戦闘場所へ向かった。







「あれが東雲か……」

 それが奇妙な争いであることは、現場に着いてすぐに見て取れた。

 ハティと思われる、白い狼の巨体を結界に押し込め、一人の少女が両手を掲げて聖気を放っている。


神丘の道標シオン=ズ=ゲート!」

 低い身長ながらも、己の体躯をこえる閃光を発していたが、あまりダメージを与えてはいなかった。


「おい!」

 蛍斗は、いくらか面食らったような表情で、かたわらにいた少年に呼びかけている。

「何だあの子は!? なんで《神の丘》なんて高等聖文を使えるんだ!」


「あれは……使えるというより、彼女の数少ない相性技、発動できるスペルなんです。それでもまだ、浄化効率などはあまりに未熟ですが――」

「まあそれは、見てればわかるが……」


 少女の目前に現れた『扉』からは、敵の体毛をチリチリと焦がす程度の条光がひらめいている。

(おそらく才能が大器すぎて、心身がそれを使いこなせるよう晩成するまでは、まだまだかかるんだろう。……しかし、彼女は小山ほどもあるハティを、削り殺そうとしてるのか?)


 その無謀な試みにも驚いたが、よく見渡せば二匹の子狼が転がっているではないか。

こんな暴発まがいの攻撃で倒したのかと、カナンの無駄すぎる能力にのけぞってしまった。


「――あっ! 魔族?」

 青年が立ちすくんでいると、当の少女が失礼な呼び方でふり返ってくる。

「ちょっと手伝って! こいつはあたしじゃムリっぽい!」

「君は……」


 蛍斗は、そのとき知らずこめかみに手を当てていた。

「『まあ自分なら、臨機応変ノープランでもいけるでしょ』とか思ってたんだろう!? あれは、ヤツらの一族の中でも最強と言われた、《月の犬マーナガルム》って俗説まで生まれた奴なんだぞ!」


滅多めったなこと言わないで! あたしが今やってるのは、綿密な計画にもとづいた作戦プランB――『ラン&ガン』よ」

「嘘をつけ!」

 ぜんぜん走っていない彼女の周りを見れば、“ムジナ”だの“くだん”だのが傷ついて横たわっている。


(――ふん)

 中、低級の獣を救った気でもいるのだろうか。

 英雄気質ヒロイックなお姫様は、たいがい小さなものにこだわって、犠牲を大きくするのだ。


「リィン!」

 蛍斗は、すぐにでも人形従者の本体をここに呼びたかったが、《進藤宗太》司祭の方もほうってはおけない。

「こっちは何とかするから、ヤツから目を離すなよ! ハティはまだ、この世界で受肉していない。これだけの“影”をそのまま顕在化させるには、どう考えても相当な光量エネルギーが必要だったはずだ!」


「……マスター」

 リィンが一瞬、言葉をつまらせる。「それでは、こちらも“秘めたる力”を解放するのですね?」

 わけの分からないことを言い始めたが、

「どこにそんなものがあるんだ!」と会話を終える。


 ……うーむ……

 蛍斗は、しばらくその場にとどまったまま、考え込んでしまった。

 個人の力量による手立てとしては、あまり良いものがない。


「東雲カナンと、藤乃彬か……」

 敵とにらみ合いを続けている二人は、はたして味方として計算していいのだろうか。

 ハティと、現在それを閉じこめるためにかぶさっている半球の巨大な結界を見ていると、じりじりと後ろに下がってしまいそうになる。


「……カナン、藤乃くん」

 青年の呼びかけに、びっくりしたように二人はふり向いた。

「な」

 何故か頬と、耳まで真っ赤にしながら、少女が反応する。

「なんで私だけ、名前で呼び捨てなのよ!」


「名字が言いにくいんだよ。それに、キミは“さん”づけで呼ばれるタイプじゃないし……」

「失礼なこと言わないで! これでもブラジルに威名轟く、宝石採掘大企業『shinonome鉱産』の孫娘よ!!」

 シスター、普段はその立場いやがってるでしょ、と藤乃がつっ込むと、

「とにかく、私のことは姉妹シスターと呼んで。人類みな兄妹。星のもとに悪魔も同胞ってことにしてやってもいいわ」


 どこかの国の過激派が好き勝手するための、柔軟な聖典解釈ようにまとめられてしまった。

「僕のほうも、アキラでかまいませんが……」

 まあ、それでいいなら、と蛍斗はぽりぽり頭を掻いている。

 正直、彼らをうまく操る自信はないが、自分だけで対処するには危険すぎる相手なのだ。


「《月追い》を倒す手段を、ひとつ思いついたんだが……」

 指を立てながら、「あの封陣、もしかして描いたのは君じゃないか?」

 違和感というより、むしろ寒気さむけを感じながら、蛍斗は彬少年を見つめていた。


 いつも意見と能力フルスロットルの天才肌の少女と並んでいても、見劣りしないその静けさが、ずっと引っかかっていたのだ。

「ええ……」

 うなずいて口を開きかけたが、そこでぐいっと胸を反らして前に出てきたのは、カナンである。

「あれは、私が力を込めたの! 彬は聖文ホーリースペルを書くのは得意だけど、異能の力はほとんどないから!」

 すごく自慢したいのか、ふーっと少女は鼻息を荒くしている。


「……でも、そろそろ破られそうなので……新しく重ねないといけませんが」

 少年は相方をさらっと無視して、わんを伏せた形の、赤い覆いをながめていた。

 ハティが暴れるごとに、地面へ円環状に刻まれた赤聖文がうすれていくようである。


「あれは僕の知らない結界だ。作っていく手筋なんかを、ここで見せてもいいのか?」

 そんな蛍斗の言葉を気にするでもなく、彼は笑っていた。

「そういえば、あなた方がとくに苦手としているのが、根拠の不明な信仰心や、出典出どころが未知の聖句でしたっけ」

 彼はそのまま謳うように、中空へと魔法陣を描き出していく。


「!」

 少女の周囲にヘブライ原語で文字が紡がれてゆき、それはまるで盾のようにえられていった。

カナンがそこへ、前方、両側と舞うように聖気をたたき込み、敵へと縛鎖を上書きしていく。


(これは……三、四、五方陣の重ねがけスケールアウトか!)

 ハティへ放たれるその光芒に魅入られたように、蛍斗は言葉を失っていた。

 知っていれば対応可という技だが、今のように即興レベルの速度でやられれば、戦況によってはたまったものではない。


「……信じられないほどの技術屋と、魔力容量キャパシティコンビだな……。司教母親が放任してるのも、そういう理由だったのか」

 あらためて、神戸で生まれた《分派》に、苦い感情がわき上がってくる。


「もうしばらくはこれで大丈夫だと思いますが……。何かご提案があったのではないでしょうか?」

 彬に声をかけられたが、蛍斗はすぐに返事ができなかった。

「ああ――」

 目的を忘れたように、自分の拳をにぎりしめている。


(コイツらに、今回の相手が使っているやり口を教えて対抗させようと思ってたけど、それは危険じゃないか?)

 とっさに躊躇ためらってしまったが、どちらにしろ言わなければ状況は厳しくなるばかりだ。


 青年は思案を隠して、どっかりとその場に座りこんだ。

二人はしばらく戸惑っていたが、会話を交わして蛍斗が呼び込んだ車座に腰をおろしていく。

 ハティが障壁の向こうで暴れているので、遠い地響きの中、談合することになった。


「……シスター。これは、十九世紀にあったことだ」

 蛍斗は、なつかしい集団を思い出していた。

「かつてのイギリスで、類を見ないほど高レベルな召喚をやらかした『結社』があった。それまでの術をはるかに凌ぐ、大魔、大妖の降霊に成功している」

「降霊術……? それはもしかして、《白金の夜明け団プラチナ=ドーン》ではないですか?」

 彬の言葉に、蛍斗はゆっくりと首を縦にうごかす。

いつの間にか、少年は目に危うい光をたたえていた。

「そう。召喚術の大元は、降霊術に始まったとされる説がある。夜明け団彼らは――あくまでカルトにだが――“偉業”を成した。……そして、まあありがちになるんだが、そこには問題も生まれたんだ」

 頭の弱そうな少女がついてきているか心配だったが、まるで表情のない顔をしていた。

 どうやら集中しきっており、インプットは得意な方らしい。

「――先を」

 そう促された蛍斗は、三人の真ん中に、三角陣を書いていく。


「現代で、魔術、神聖術において重要視されるのは、おもに《術式》だろ? しかしその頃は、“異能”だけでなく“思念”みたいなものもまだ、根強く語られていたんだ。知識や技術は過程で編み上がり、取り入れられるものだと。だが、彼らにとってそれは美しい手段ではなかった。術式システムこそが確かな扉であり、そこから射す光は、蒙昧な思念を駆逐する――暁のはじまりだ」


 魔術の本領は、《夜明け団》にとって、そのとき最高の科学を含んでなお、上を行くものでなければならなかった。

 カナンは、つまらなそうに地面をいじっている。

「そんなこと……。昔の狂信者なら、ほかにも色々いたでしょうに」

「あのな……」

 蛍斗はやっぱり知らないんだな、と棒切れで魔鏡を描いている。

「この術式は、もちろん今では封じられてしまった。君ら教会が、力の根源をつき止めることができず、丸ごと秘匿してしまったんだ。――そしてここに、疑問が生まれてこないか? 本当に理屈で成り立ったガチガチの理論魔術なら、一般法で規制できるはずだってな」


「……」

 二人が黙り込み、蛍斗はそれから彼女たちに決断を迫った。

「いいか。あいつらは科学を悪魔に錬金した“学派”などとよばれていたが、そんなもんじゃない。本物の“魔”ってやつは、生まれ持った呼吸みたいなもんだ。その一部の才能から生まれた魔韻の術式を、君らに使わせてやる」


 彼女のバカげた容量サイズの異能を、うまく闇に転換できれば、“ハティ”に対抗できるかもしれない。

「つまり、あなたはその詳しい内容を知っているのですね?」

 藤乃彬が、身を乗り出すように尋ねてきた。

 ……さっきから目を輝かせていたのは、儀式フェチか何かのせいか?

「そうだ。夜明け団系の魔術には、上位の存在を降臨させる《召喚》と、下位の存在を呼び起こす《喚起》の二通りがある。僕がサポートできるのは喚起――だいたいの人間は“品位”というものを無意識的に持っていて、他者に害をなす魔物は、どんなに強くとも思念下層に棲みつくヤツが多いからね。……シスターの力があれば、相当な戦力を立ち上げられるだろう」


 だから、君らは自分たちの信仰大儀のためにも、禁術を使うんだ……!

 そう迫った蛍斗は、ほかに良い策を思いつけなかった。

「――」

 勢いは弱まったが、それでも小雨が降りしきる中、少女は唇をかんでいる。

 くぐもった地鳴りも続いており、あまり時間に猶予のある状況ではなかった。

「ムチャな言い方してくれるわね……」

 あどけない少女の表情が、引きしめられる。


「《正道教》は、正しい道の先にこそ、“楽園救い”がある。悪を倒すために悪事を働くのなら、それは大儀ではなく、怠慢という外道なのよ」


「そうか」

 蛍斗は脱力した。

「“進藤宗太”も、さすがに《ハティ》を受肉させて、この世界に定着させてはいない。だが、もしここで止めなければ、肉体のつながりを持たない、魔力の塊である不安定な魔狼は、やがて術者のコントロールも怪しくなるぞ。……対処できる手段を残したまま、さらに犠牲を増やす気か!」

 正道教の秘跡サクラメントに、たしか何でも告白すれば過ちを許される、『赦しの秘跡』があったもんな、と青年は口元を曲げる。


「――あなたは、ちょっと勘違いしてるみたいね」

 少女が指をにぎり込みながら立ち上がる。

「そもそも、私たちの道はそんなに狭くない。どこかの恐ろしい宗教者みたいに、戒律を都合よく解釈して、誰かに何かを押しつけたりもしない。“感銘がすべての始まりであり、信仰は何も傷つけない”」

 ――ただ、命を守ることを除いて。


 少女の聖句に、蛍斗は確信を得た。

「じゃあそれを見せてみろ。言っておくが、ここからだけでもかなりの被害が出るぞ。そこの《くだん》――名前のまま、人と牛が合わさった獣は、古くからの予言獣だ。とくに大過の出現に、人は巻き込まれてきた」


「……アキラ

 カナンは少年に目をやった。

「まだいけそう? 疲れてて、集中できないなら――」

 僕より、シスターの残った力の方が心配だよ、といつもの冷静な様子で答える。


「……夜上さん」

 気まずく、呼びにくそうに、彼女は言う。

「説明してください。どういうやり方なの?」

 ……とりあえず、と青年は苦笑した。


「敵が暴れているそばではなく、すこし落ち着ける場所が欲しいところだろう」

「――そうね」

 自分が遅れてきたぶん、疲労した少女が喚び出せる魔物にも限界があるな、と蛍斗は敵に目を向けていた。


(はなれた場所に移るか……)

 たとえ僅かでも、無駄な配慮の力をこれ以上使わせるわけにはいかない。

 安全を確保するために、ハティのすぐそばから、三つの人影は森の奥へと姿を消していったのだった。

 

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