不死の詩(うた)
「・・・もう!」
戦闘が片づき、そのあたりの空気がいくらか落ちつくと、一也はやれやれと地面に腰をおろしていた。
薄汚れたコンクリートはまだ日中の熱を残していたが、そこらを漂う、潮やオイルの匂いを気分よさそうに嗅いでいる。
「ああ・・・これ、危なかったなあ・・・。何かの燃料とかに引火とかしてたら、惨事になってたかもしれないぞ」
「そんなの全部、あなたの責任でしょ!」
さっきからカリカリしている修道士は、必死にそこらの気配を探っているようだった。
無人の突堤近くだったとはいえ、盛大な物音を立ててしまったのだ。やがて人が駆けつけてくるだろう。 それまでに、どうにか彼女はルドの死の痕跡を見つけておきたいらしい。
「・・・大丈夫だって。生きてても切れっ
適当なことを言って、一也は星でも見てみろよ、とのんきな姿勢になっていた。
こんなに多くの夜光や欲望が交錯する街では、流星にも願いは届きづらいだろう。
・・・シスターは、もちろん一也の意見などには納得していない。
『昼も夜も、邪悪を吹きはらう、小声の律法よーー』
相手のことなど考えず、いきなり
ーー だあっ!
あまりの思いつきに、一也は叫んでいる。
皮膚が刺さるように痛み、僕のことを忘れるなよ、と体をさすっていた。
そもそも、信仰の純度が高い人間のそばにいるだけで、吸血鬼は力をそがれていくのだ。
「あんたといるだけで、ずっと障壁を張ってなきゃいけないんだからな、こっちは。
・・・それで、もう帰ろうと思うんだけど、そっちはどうするんだ?」
だいぶ自分の力も使ってしまったが、体の疲れはいくらかおさまってきたろうか。
しばらくしてから、一也はのっそりと立ち上がり、そう尋ねていた。
「うーん・・・」
イレイナは、あたりに妖気の切れ
しかし表情はさらにくもり、少年に向き合う姿勢は、隙があるものではない。
(・・・さて。彼を退治するなら、今はこの上ない、好機になるんだけど ーー)
やけに打ち解けてしまった相手のことを、修道女は考えていた。
一也のように、正道教にとっての
脆弱な人間たち、その組織の結束が必要なくなり、人々も個人的に充実するほど、信仰はうすらぎ、また形骸化が進んでしまうものだ。
私たちは、いったいいつから、宗教者として人の心を満たす、本物の言葉を話せなくなったのだろうか・・・。
「・・・?」
さびしそうに立つイレイナを、少年は不審そうに見つめていた。
ーー あんた、
突然かけられたその問いは、彼女の心臓を跳ねさせることになる。
「・・・うまく隠せてるよ。
でも、一番はじめに会ったとき、瞳をのぞきこんできたからな。
『お前が見つめるなら、また相手も ーー 』ってヤツだよ。
綺麗な褐色の目だと思ったんだが」
少年にそう言われると、イレイナは恥ずかしそうに眉をよせ、指をにぎりしめた。
・・・容姿をほめられるなど、それで安易に喜ぶなど、
不必要に力の入った唇を見て、一也は苦笑してしまった。
吸血鬼は、性交渉で眷族を得られないが、まれに人間に子種を生みつけることはあるのだ。
ーー 彼女は、おそらく人からは救われず、神だけを盲信し、いつしか異能を純粋なものに転化させていったのだろう。
・・・もともと魔は、神と相対するものではなく、古くから聖なる力に準拠するものとして存在していた。
「・・・あなたが、直系の後ろ
ごまかすように一也に告げたが、彼女はすぐに俯いてしまう。
「でも、とっくに無意味な自己肥大はやめてしまったのね。・・・どこかで、重荷でも背負ったのかしら」
「・・・」
そう言われると、少年もばつが悪くなってしまい、返す言葉がない。
「神はいつでも、その命が本当に望むものはきちんと用意しているって」
一也は一度、訊いてみたかった話を持ち出していた。
「僕たちにも、安息の終末はあるんだろうか?」
その問いに、イレイナはためらいなく
「もちろん。
誰もがたどり着く
そして、まるで容姿を褒められた先ほどの礼でもあるかのように、
『・・・わたしが幸福に包まれるとき、あなたは孤独になるでしょう』
ーー それは英国の、ある片田舎から伝わった、吸血鬼の詩。
『わたしの心を求めるとき、自らの永遠を足枷と知るでしょう。
いつか自分を赦せたとき、あなたは命を取り戻せる。
魂はいつも高きへ、罪は低きへと、受け継がれながら ーー』
「・・・今度は大陸で会いましょう、相野一也」
いたずらのように修道衣をつまみ、彼女は膝を折っていた。
「こっちはもう嫌だよ・・・。
シスターの歓迎の
少年はそう言って、あざとく頬をゆがめて見せる。
しぶしぶながら、彼女が認めるのを待っていた。
「じゃあ、マリノ=サージェンカはもらっていく。アイヴィが眷族化するだろうから、そのまま日本に落ち着くと思うよ」
そう言って、飛んできた時よりは二回りは小さな鳥になり、夜空に舞い上がっていった。
うなずいているイレイナに、もう迷いはない。
(こいつも、修道士なんかにしておくには、もったいない女だよな・・・)
一也を見つめるその目に憎しみはなく、自分を不幸にした多くのものを、そうやって彼女は許してきたのだろう。
翼をはためかせ、広がった視界の向こうの漆黒の海に、少年は消えていった。
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