第3話 エメリアとディーネ(梨烏ふるりさんからのお題「ゆきどけ水」)
やっと寒さが緩み始め、分厚い外套から綿の詰まった上着と耳あてのついた帽子、それからぎんぎつねの襟巻でも外を歩き回れるようになった昼下がり。エメリアはぬかるんだ道を長靴でぐんぐんと進んでいく。
薄青く澄んだ空にはお日さま。屋根の上や端に積もった雪をキラキラと輝かせて溶けて落ちる水音があちこちから聞こえている。
ピュッと吹く風も痛みではなく冷たさだけを残して通り過ぎていく。
雪深いこの地では長い冬の間を家の中で手仕事をして暮らしている。夏から秋にかけてたっぷり蓄えていた干し肉や燻製と根菜類や木の実、
子どものエメリアには簡単なお手伝いくらいしかさせてもらっていなかったけれど、今年は
拙いけれどなんとか完成させたその飾り玉を上着のポケットの中にしっかりと入れて村はずれにある小川へと急いだ。冬の間は凍り付くその小さな川も春の訪れを感じて薄氷の隙間から清水が流れているのが見えた。
「ディーネ!ディーネ!いるんでしょ?」
エメリアのアイスブルーの瞳が忙しなくあちこちへと動き回りなにか――誰かを探している。泥だらけの長靴で水際ギリギリまで近づくと温かな手袋を外しその場にしゃがみこんだ。
「意地悪しないで出てきてよ」
せっかくいいものを持ってきたのに。
そう呟くと白い手をキンッと冷たい水の中へと差し入れた。指先だけでなく手首まで躊躇いなく突っ込んだ、その手を包み込むように青く発光する両手が受け止める。
『エメリア、むちゃしないで。あなたのか弱い手には耐えられないほどまだ水は氷のように冷たいのよ』
「ディーネ!いいのよ。あなたが来てくれるのならわたしの手が凍り付いても平気なんだから」
『わたくしがだいじょうぶではないのよ、エメリア』
水が美しい人型を作り、するりとエメリアの前に姿を現す。水の精である彼女を人の子であるエメリアは友と呼び懐いている。そしてディーネもまた彼女の訪れを喜び首を長くして待つほど愛しく思っているのだ。
「やっと春がきたのよ!ずっとずっとディーネに会いたくて待ってたんだから」
輝く笑顔は空にある太陽よりも眩しくて暖かい。エメリアといると核の部分がほっこりとして幸せな気分になるのだ。
「冬は色んなことを教えてもらえるし、パパやママともずっと一緒にいられるけどディーネに会えないでしょ?だから退屈でさびしかったんだ」
『わたくしもとてもさびしかったわ。でもこの冬の間にエメリアはまた大きくなったわね』
「そぉ?」
自分では分からないからエメリアは首を傾げてざっと胸元から足の先まで視線で辿ってみる。だけどそこにあるのは代り映えのないものばかりで大きくなったという証を見つけることはできなかった。
「太ったってこと?」
『違うわ』
ディーネがクスクスと笑うと小川が涼やかな音を立てて波を打つ。その拍子に表面を覆っていた氷が割れて溶けていく。
『背も中身も育っているわ。ちゃんと』
「そうかなぁ?」
『さあ。そのポケットの中にあるものを見せてちょうだい。今日はなにを持ってきてくれたの?』
いつもエメリアはポケットの中に素敵なもとを隠し持っているのを知っているディーネが催促をする。少女は「そうだった」と思い出し、少し得意げな顔でポケットからあの飾り玉を取り出して見せた。
『まあぁ!』
「ディーネをイメージして作ったんだ」
深く青い糸と白銀の糸、そして空色の糸の三色で巻き付けられた飾り玉は所々緩かったり、重なってしまって色同士が混ざってしまっているけれど一生懸命さが見える仕上がりになっていた。
『きれいね……きれい。ありがとうエメリア。大好きよ』
「ありがとう!わたしも好き!大好き!これディーネにあげる」
『え』
差し出された飾り玉をディーネは困惑したように見つめ黙ってしまう。
「ディーネ?」
『……こんな素敵なものもらえないわ。それにわたくしが住む場所は水の中。この飾り玉はいつか朽ちてしまう。そんなの耐えられない』
ならば
『エメリアがそれを見てわたくしを思い出してくれればそれで充分だわ』
「……ディーネ」
『せっかくの贈り物なのにごめんなさい』
しょんぼりと謝るディーネを見てエメリアはぶんぶんっと首を振る。
「ごめんなさいはわたしのほう。自分の気持ちばかり押し付けようとしてた。これ大事にする。いつかディーネの姿が見えなくなってもこれを見ればいつだって会えるから」
飾り玉をぎゅっと握りしめて笑ったエメリアの顔にはほんの少しだけ陰りがある。仕方がないのだ。
精霊が見えるのは十歳まで。
それを超えると見えなくなる。
感じられなくなる。
だからそれまではディーネと友だちでいたい。
『わたくしも忘れないわ。小さくて可愛らしい友だちのことを』
「うん」
期限はあと二年。その間にたくさんの思い出を作ろうと決めたちょっぴり苦い春の始まりだった。
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