ある日の救急外来
水岡周
第1話
ある日の救急外来
年始の繁忙期、救急外来夜勤だった私は消防からのホットラインを受けた医師が書くホワイトボードの情報を見てうんざりした。またコロナか、しかも夫婦揃って。酸素投与も不要なら、またCT撮ってバイタルチェックしてお帰りだろう。仕事が増えるだけ。また通常業務が圧迫される。
60代のその夫婦は救急車から歩いて入室した。この夫婦は、正月三が日の間にクリニックでPCR検査を行って陽性が判明していた。交互にCT撮影しバイタルサインを測定した。夫婦ともにCT所見上軽度の肺炎像、酸素の取り込み状態を示すSPO2値はいずれも90%台半ばから後半を維持していた。歩いて入室し歩いて移動しても労作時呼吸苦無く頻呼吸もなかった。主訴も、発熱とそれに伴う倦怠感、および咳による苦痛だった。入院が必要な状況ではなく、自宅療養可能な軽症だった。確かに自宅療養者が急激に重症化することもあるだろう。共に38度台の発熱と頻脈、夫は高血圧もあり普段より高めだった。が独居でもなく超高齢者でもないのだから帰宅可能だろう。そう考え、ますます混雑する救急外来で陰圧室の夫婦の優先度が下がることは当然だろうと感じていた。放置されたと感じられても仕方ないと思った。
入室から30分程経過し、帰宅可の判断が説明された。行政へ連絡し帰宅手段の調整が始まった。夫婦二人で陰圧室にいるため、さらに医療側の足は遠のいた。妻が陰圧室から勝手に出てきて、夫が辛そうだとか、迎えはまだかとか、今日だけでも入院させてほしい等としきりに訴えて来る姿に苛立ちさえ感じた。迷惑な夫婦、そう扱う雰囲気が救急外来を覆っていた。それ程、いつも通りに忙しい年始の夜だった。
30分程して行政からの連絡があった。帰宅手段を行政側では用意できないという回答だった。正月休みの間の検査だったため、クリニックは保健所に陽性結果を報告していないようだ、行政で把握していない陽性患者であり、市町村の負担での搬送はできない、当然県や国にも依頼できない、ということだった。行政ができることとして、民間救急にこの案件を伝えてあるので良ければどうぞ、というお断りの返事に行政の柔軟性の無さへの失望と、なんだ民間救急用意してくれてんじゃん、という安堵が入り混じった気持ちを持った。と同時に、やっぱり面倒くさい患者だ、という気持ちが強くなった。
医師はイライラしながら、そっちでやっといて、と私に丸投げだった。救急搬送を応授したのはお前だろうという苛立ちが頭をよぎった。陰圧室では電波が繋がらないので、結局私が、他業務を中断し、私の持つPHSで、行政が用意した民間救急に、夫婦の代わりに、連絡した。すると夫婦の自宅まで20万円の費用を請求する事となると説明された。唖然としながら夫婦に伝えると、そんなの無理だ、ふざけるな、と怒りをあらわにされた。当然だろうと思いながらも、間に入っているだけの私が罵倒されることを不快に感じた。医師と相談し、今度はタクシー会社に運んでもらえるかを聞く事とした。タクシー会社に電話しながら、これは俺の仕事か?、と疑問を感じていた。2社に問い合わせるが陽性患者を運べるような対策を持っていなかった。介護タクシー会社はどうだろう、結局また私が介護タクシー会社に電話連絡した。2社目で、8万円程かかるが可能との回答があった。夫婦に伝えると疲れきった表情で、もうそれでいいです、と答えられた。それから1時間半後に夫婦は介護タクシーで帰宅した。陰圧室滞在は3時間を超えていた。帰宅調整に時間がかかった事を謝罪しながらも、俺の仕事でもないのにできることをやったんだと思っていた。
帰宅手段を探す事は私の仕事だったのだろうか。通常業務への支障が無い様注意を払っていたが影響はわからない。医師が行えば診療に影響する、他看護師は皆それぞれ複数の患者を受け持っている。事務や管理事務当直、管理師長に任せる方法もあったろうが、事情がややこしい、人を介せば介する程レスポンスは悪くなる。患者の医学的状況も伝える必要がある。本人がやるべきか。いや特殊な感染症疾患の患者だ。医療者が見放してどうする。これで良かったんだ。こういった冷静な思考や、動ける患者に介護タクシーという発想の転換が早い段階でできなかったのは、やらされている、やってやってる、手を煩わされて面倒くさい、と思い込んでいた私の許容範囲の狭さと柔軟性の無さだった。
混雑する状況や忙しい時、優先度を決め業務を行うことは大切だ。優先度は、その対象の側にいる時間量とある程度比例する。そして患者の優先度を決めるのは私たちなのだから、私たちにしか時間配分の決断が許されない。しかし軽症者を放置することと、優先度が低いことは同一ではない。短い接触時間で効果的な処置と関わりがなければ、放ったらかしにされたと思われて当然だ。軽症患者の訴えを疎ましいと思うことは、軽症のあなたに割く時間はない、と切り捨てたことになる。
そもそも、救急搬送のホットラインの内容を見た時、私は、私の仕事をどのように考えていたのだろう。世間を混乱させて、メディアが毎日取り上げている感染症に、夫婦で感染してしまった一般市民が、医療サポート無く自宅療養していた。不安に思わない訳がないだろう。微妙な身体の変化も少しの苦痛の増加も、死を感じさせるかもしれない。そういった想像力、対象の立場に立って考える事を、寄り添うと呼ぶのだろう。不安を感じている対象を、ただでさえ忙しい救急外来の余計な業務を増やす人々ととらえる自分本位の考え方だった。
思い通りに進まないことが多々あり、誰かに足を引っ張られていると勝手に思い込むこともある。自分の苛立ちで冷静さを保てないこともあれば、他人の苛立ちに影響を受けることもある。納得の行かない扱いを受け、ここではないと感じることもある。看護とか、役割とか、どうでもいいと思うこともある。それでも多分、この先も、看護師をしているんだろう。
ある日の救急外来 水岡周 @satoshima
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
休日の夕暮れ/水岡周
★0 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
無題最新/椿生宗大
★3 エッセイ・ノンフィクション 連載中 7話
私。最新/柊 こころ
★9 エッセイ・ノンフィクション 連載中 8話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます