第4話 どうしようもない
中学の時、彼女はいつも一人でいるのが当たり前で、あまり目立たない娘だったと記憶している。
俺も積極的に女子と話をするわけではないので、クラスメイトの一人という認識だった。
だけど、一度だけ彼女と言葉をかわす機会があった。課題を提出し、本を返そうと図書室へ寄ったときのことだ。
「その本、楽しめましたか」
カウンターの向こうで読書をしていた雨宮が、本から顔を上げてこちらを見ていた。
前髪が長くて表情を伺うことはできなくて、口元だけで感情を読み取るのは難しかった。
唐突に話しかけられ、何だこいつは。そう思ったのを覚えている。
「まあ面白かった」
読書感想文をこなすために借りた小説だったが、思いのほかページをめくる手が止まらなかった。
雨宮は返却された本を受け取り、じっと手元を見つめた。
「そうですか」
それっきり何も言わなかったが、彼女の口元が小さく弧を描いているように見えた。
数日後、彼女がいじめを受けていることを知った。
教科書を隠されたり、暴言を吐かれたり。陰湿ないじめが行われていた。
知ることになったきっかけは、友人に気になる女子はいないのかと尋ねられたこと。
「雨宮、とか」
図書室での一件から、少し彼女に興味が湧いていた。
もしかしたら、何か知っているかもしれないという期待があった。
「あれだけはやめとけ」
俺の答えを聞いた友人は、けらけらと笑って首を振った。
「どうして」
「あいつ、いじめられてんだよ」
「え……」
「つっても、俺も一緒にやってんだけどな」
どうしたらいいか分からなかった。
主犯は別にいるのかもしれない。だけど、友達だと思っていた目の前の男までいじめに加担していたと知った時、俺はとてつもない恐怖心を覚えた。
表面上はいつも通りでも、彼と一緒に過ごす時間は少なくなった。それでも、友人を担任教師に差し出す気にはなれなかった。
次は自分の番かもしれないという恐怖と雨宮のいじめを知っているのに隠している罪悪感。その二つに押しつぶされそうになっていた。
「返して」
ある日、課題をやるための資料を忘れた俺は、教室で雨宮が何かのキーホルダーを奪われている現場を目撃した。
「これ、そんなに高いものでもないんでしょ?」
いじめの主犯であろう女子生徒。友人だった男子生徒。そして、クラスメイトが三人。五人のグループが雨宮に立ちふさがっていた。
「もらったもの、だから」
「だったらいいじゃん。わたしが貰ってあげるから」
「返し――」
取り返そうと前に出た雨宮を妨害するように、体格の良い男子がわざとらしく雨宮にぶつかって転がった。
「イッテェな。何すんだよ」
弾き飛ばされた雨宮はしりもちをついていた。
「私はキーホルダーを返してほしくて」
そこまでしか俺は知らない。なぜ彼らに雨宮がいじめられていたのかも知らない
彼らは俺に気付いていなかった。だから、俺は見て見ぬふりをして、そこから逃げ出してしまったんだ。
今でも脳裏に焼き付いている。雨宮の表情は恐怖に歪んでいたことが。
次第に雨宮を学校で見かけることもなくなり、三年生になって彼女は転校したことを知った。
雨宮は結局最後まで、いじめを行っていたクラスメイトを突き出すことはしなかった。
「どうしようもない。どうしようもなかったんだ」
俺は何度も自分に言い聞かせた。だけど、吹っ切ることはできなくて、雨宮の代わりとして図書委員になった。
たった一年間。それでも、ここに座っていたのは雨宮だったかもしれないと考えると苦しくなった。
高校に入学して最初に雨宮を見かけたとき、彼女の前髪はバッサリ切られていた。そして、隣を歩く女友達と笑っていた。
彼女が同じ高校に進学したことを知って、いじめを止められなかった後悔が押し寄せてきた。
なるべく彼女を視界に入れないように心がけていた。
しかし、今の俺は雨宮と嘘の恋人として関係を結んでいる。
――このままでいいのか?
彼女にずっと嘘をつかせることになる。
――過去に付け込んで彼女になってもらっているんじゃないのか?
雨宮に気がないと言えば嘘になる。
一緒に登校して、彼女の作った弁当を食って、デートみたいなこともした。
――彼女を守るためなんて口実で、一緒にいたいだけなんじゃないのか?
それは、そうかもしれない。
雨宮がいじめを受けているのを止められたら。
少しでもいいから彼女の負担を減らしてやれたら。
――もっと早い段階で彼女の傍にいることができたんじゃないか
でも、だとしたら。
――雨宮を助けられなかった俺に彼女の隣にいる資格はない。
俺は嘘の恋人にメールを送る。
『放課後、屋上で』
彼女が覚えていないのだとしても、俺が犯した罪は消えない。
もし雨宮に本当に好きな人ができたとき、俺は彼女の幸せを祝福できないかもしれない。
だったら、嘘の関係であるうちに終わらせた方が良い。
「どうしたの?」
屋上で俺を見つけ、キョトンと首を傾げる彼女に――。
「別れよう」
「えっ」
驚いたように目を見開く雨宮に、俺は突き放すように言葉をぶつける。
「恋人関係なんてやっててもお互い良いことなんてないだろ?」
「それは――」
雨宮が言葉に詰まったことをいいことに、俺は嘘で固められた台詞をはく。
「そもそも、付き合ってることになってたら、本当の恋人なんてできないだろ」
「雅人くん、どうしたの? 何か変だよ」
困ったように、縋るように、彼女は俺を見つめ返す。
あまりにも居たたまれなくなった。だから――。
「困ったことがあってもお前の兄さんに助けてもらえばいいだろ」
「で、でも――」
「さよならだ」
俺は逃げ出すように雨宮に背を向け、気づけば駆け出していた。
これでいいんだ。これでよかったんだ。そう自分に言い聞かせながら。
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