第3話 ヒーロー気取り

 嘘の関係を続けて少しばかり時間が過ぎた。

 一緒に過ごしているとずっと彼女の傍にいたい。そう思うようになっていた。

 だけど、それは許されない。俺は嘘の恋人なのだから。


「雅人くん」


「どうしたんだ、急に?」


 いつもは苗字呼びなのだが、唐突に名前で呼ばれた。

 俺は少し驚いて、隣を歩く雨宮を見る。


「名前で呼び合った方が恋人らしいかなって。ダメかな?」


 付き合っているという情報が流れてからしばらく経つ。それなのに関係が進展していないというのも変かもしれない。


「分かった。じゃあ、光里」


「なにかな。雅人くん」


 会話は続かない。互いに気恥ずかしくなって顔をそらした。


「今日ね、図書委員の当番じゃないから一緒に帰ろう」


「分かった。門の前で待ってる」


 傍から見たら本当の恋人に見えるかもしれない。そんな言葉を交わす。

 この会えない時間さえも、俺の中で大切なものになっていた。

 午後の授業が始まる前、教室に戻る途中で眼鏡をかけた上級生に声をかけられた。


「君、久保雅人くんだよね」


 話しかけてきたのは、この高校の生徒会長だった。確か名前は――。


「雨宮……?」


「そう君が付き合っている雨宮光里の兄だ」


 雨宮大輝あまみやだいきという名前だったはずだ。

 光里と同じ苗字だったから、印象に残っていた。


「何の用ですか?」


「いや、これと言って用はないんだけどね」


 観察するような眼差しで雨宮兄はジロジロとこちらを見てくる。

 何なんだ、この人は。


「あの娘を守っているのは君だけじゃない。それだけ言いに来た」


 見透かすような台詞に胸がずきりと痛んだ。


「僕以外に弁当を作る相手ができたことに驚いたけど。うん、君なら任せられそうだ」


 彼はそれだけ言うと俺の肩を叩いた。


「田島のことは心配しなくてもいいよ。どうにか言いくるめといたから」


 最初の問題を取り除いた。雨宮兄はそれだけ言って立ち去った。


「……俺のいる意味あったのか?」


 こぼれた言葉に答えは返ってこなかった。

 放課後。校門前で空を見上げていると駆け足で近づいてくる音が聞こえた。


「ごめんね、遅くなっちゃって。雅人くん、待っててくれたんだ」


「まあ、約束したから」


 嘘をつき続けるという共犯関係。それがいつまで続くのか。


「そういや、生徒会長に話しかけられたよ」


「えっ」


「光里のお兄さんなんだろ?」


「う、うん。兄さん、何か言ってた?」


 どことなく心配そうに、雨宮は俺の様子をうかがう


「絡んでた先輩のことは任せていいってさ」


 とくに何もなかった。会話を思い出して、俺はそう答えた。


「そうなんだ」


 雨宮は、ほっとしたように胸を撫でおろす。

 心配事が一つ減って、彼女も安心だろう。


「あの、次の日曜日、暇かな?」


「予定はない」


 それなら、と彼女はカバンの中から二枚の紙を取り出した。


「じゃあ、一緒に映画を観に行こう」


 放映が始まったばかりのファンタジーな映画のチケットだった。

 雨宮が好きそうなジャンルだな。

 あの時、読んだ小説もこんな感じだったか。


「分かった。行くか」


 パッと表情が明るくなった雨宮と一緒の道を歩く。

 いつまでこうしていられるのか。いつまでもこうしていたい。


「お待たせ」


「今日はいつもより遅いんだな」


 日曜日。待ち合わせ場所の銅像の前で待っていると雨宮が約束の時間より少し遅れてやってきた。

 俺の言葉になぜか頬を膨らませる雨宮。


「どうした?」


「そこは今来たところって言ってほしかった」


 彼女が不満げに唇を尖らせるので、俺も申し訳ない気になった。


「ごめん」


「謝らないで。次は言ってもらうからね」


 満面の笑みを浮かべ、雨宮は俺の手に指を絡ませてきた。


「ひ、光里!?」


「せっかくのデートなんだし、恋人らしくしないとね」


 はにかむ雨宮に距離を詰められる。女の子の甘い匂いと小動物のような愛らしさにクラクラする。

 積極的なことをする彼女に動揺しつつ、俺たちは映画館で隣り合う席に座った。

 緊張して席に座るまで何を話していたのか記憶がない。


「あっ、始まるよ」


 映画の内容は、いわゆるファンタジー世界の英雄譚だ。

 主人公の少年がかつて守ると誓った少女を救いに行く。そんな話だった。

 しかし、彼らの心はすれ違い、少年は世界を救うが少女を救えない。ハッピーエンドには遠い物語。


「主人公、可哀想だったね」


「そうだな。ヒロインの娘ももっと早く自分の気持ちを伝えてればな」


「それは――あの娘にも勇気がなかったんだと思う」


 映画の感想を言い合いながら、俺たちは手をつないで街をぶらつく。

 このまま帰ってしまえばよかったのかもしれない。


「おー久保じゃん。どうしたんだよ、こんなとこで」


 懐かしい声に振り返ると中学時代の友人が二人立っていた。


「あっ……」


 雨宮にも見覚えがあるだろう。彼らは彼女をいじめていた連中なのだから。


「お前、高校に入ってから連絡なかったからどうしてたか心配してたんだぜ」


「彼女連れかよ。まったく、成長したもんだな」


 けらけらと笑うかつての友人たちを横目に、俺は雨宮の震える手を少し強く握り返した。


「その娘の名前は?」


「……雨宮光里」


「雨宮!?」


 まさか名乗るとは思っていなかったから、驚愕して雨宮を見た。

 表情には決意が満ちていて、彼らを寄せ付けまいとしていた。


「雨宮? 聞いたことあるな」


「中学の二年で転校していったやつじゃないか?」


「そっかそっか。えらく綺麗になったな」


 雨宮に向かって伸ばしてきた男の手を振り払う。


「彼女に触るな」


 反射的だった。

 その行動が気に障ったのか、かつての友人は大げさに両腕を広げた。


「あーあ。なんだよ、まさかヒーロー気取りか?」


「別にそんなんじゃない」


「こいつがいじめられてるのを知らないふりしてたんだ。お前だって同罪だろ?」


 この時、俺の中で何かが崩れた気がした。

 雨宮の隣にいる理由も彼女の力になりたいと思った思いも全部。


「雅人くん。雅人くん!」


「ひ、かり?」


 呆然と立ち尽くしていた俺の手を引いて、雨宮は歩き出していた。


「私は大丈夫だから。あんな人たちに構わないで行こう」


 気づけば彼らの姿はなくて、勝手に傷を受けていたのは俺だけだったと気づかされた。

 ただ、嫌な笑い声が頭から離れなかった。


 ――雨宮は前を向こうとしている。


 自分を傷つけた相手に勇敢に立ち向かおうとした。

 だけど俺はどうだ? 過去に囚われて、理由をつけて彼女の傍にいる。

 俺は――。

 気づかされてしまった。何もこんな形じゃなくてよかったのに。


「今日はもう帰ろう」


 雨宮の心配そうな声に頷いて、気づけば俺は家の前にいた。

 どうやって帰ったのか覚えていない。

 でも、これからどうするのか。やらなければいけないことは分かっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る