第19話 うつろ 完

 謡の言葉を聞き、


「…………」

 俺の脳が、理解を拒絶した。

 どうしよう……俺、淡も信じれなくなってしまうのか?


「淡が『俺に攻撃しろ』って、お前に命令したってことか?」


 俺の震える声での質問に、


「そう。そう言ってたよ」


「なんで! なんであいつがそんなことを! 

 なんで俺が失敗するように仕向けて、あいつは、なにがしたいんだよっ!」


「それは謡が知りたいことなんだけどね」


 謡が肩をすくめる。分からない、分からない。分からな過ぎて、なんだかもう、どうでもいいと感じてきたのだが……しかし、諦めることはできない。してはいけないだろう。


 四隅にありがとうと言われたし、

 静玉にも、俺がなんとかすると言ってしまったし、

 淡にも、似たようなことを言った。


 でも、淡がなにか企んでいる? どうしろって言うんだよ。

 あいつは被害者であって、加害者じゃない、はずなのに……。


 どうすれば――、

 どうすればいいんだ? 


 そんな風に、答えを導き出すための道に迷っている、その時だった。


「ん、終わったのか?」

 

 と。

 思考の途中で、そいつは化学室と廊下の境界線を踏み越えて、やってきた。

 黒髪をかき上げながら、まるで一仕事終えた後のように。

 達成感に満ちた表情で、俺たちの前に、淡が姿を現した。


「淡……」



「なんだ? ハトが豆鉄砲を喰らったような顔をして。ん? それ以上か。

 巨人が大砲の弾を喰らったような顔をして」


 それはどんな顔だ。想像がまったくできない。

 たとえとして、下手だろう。


「淡、お前は、なにがしたいんだ?」


「ん?」と疑問を口に出してから、

 淡が謡を見てから、「ちっ」と舌打ちをした。


「謡、お前だな? なんで言っちまうかなー。

 空気を読めよ、ガキだからって、なんでも許されるわけじゃないんだぞ?」


「ご、ごごご、ごめんなさいっ!」


「許す」


 あっという間にお咎めなしだった。

 謡はその判決に、「ふぃー」と息を吐いて、力なく屈む。


「良かった……、またあんなことやこんなことをされるかと思ったよー……」


 なにをされたのだろうか、気になるところだが、それよりも気になる事が、俺の頭の中を支配している。まずはそれを消化したい。

 しなければスッキリできないし、俺の今の目的も、達成できない気がしたのだ。


 だから、問う。


「……どうして謡を利用して、俺に攻撃させたんだ? これじゃあ、俺がこの『繰り返し』を止めるのが、さらに遅くなるじゃんかよ。お前は味方なのか、敵なのか、はっきりしてくれ」


「敵か、味方、か――」

 

 淡は俺の言葉を繰り返す。

 確認するように言葉を並べて、視線を宙に泳がせていた。


 俺からすればその行為は、どうにも策を考えているようにしか見えず、味方とは思えなかった。だからと言って、敵だと認識したつもりもないが……。


「味方だよ。敵に見えるかもしれないが、まあ、私があえてそう見せているのだから、作戦通りかな。だから、お前の問いに答えるなら、味方だ」


 その言葉に安心する。

 色々と分からないところはあるが、敵でないのなら、いい。それさえ分かれば、俺的には問題なしだ。


「そっか。お前にはなにか、意図があるんだろうな。だったらなにも言わない。

 お前が言いたいと思うまで、なにも聞かないよ」


 言って、俺は淡の横を通り過ぎる。すると淡は、「ちっ」と舌打ちして、


「まだ分からんのか、まだ。

 くそ。お前の体に叩き込んでもまだ――」


 理解できず、理解しようと努力をしない俺は、淡の言葉に振り向くこともせず、ただ真っ直ぐに歩を進めた。

 黙々と。

 淡にも謡にも気に留めず、開けっ放しになった化学室から出ようとした時だった。


 ぽんっ、と頭に触れられた感覚。

 ――反応が遅れて、俺は背後を、振り向いた。


「……淡、なんのつもり――」

 という俺の言葉をかき消すように、


「お前の負けだよ、虚」


 淡の勝利宣言が、耳にこびりついている。

 耳の内側で言葉が反射しているように、何度も何度も繰り返される。

 おかしい、おかしい――なぜだ、淡は、鬼なんじゃ、ないのか……?


「疑問が顔に出てるぞ」

 俺の頬を撫でながら、淡が言う。


「いつ、私が鬼だと言った? 私は手伝ってやると言っただけで、私だって逃げる側なんだよ。

 勝手に独自解釈をして、勝手に鬼ごっこの範囲を狭めているのは、お前だ。

 だからこういうことになる。お前は人を疑った方がいい……、いや、してるのか。

 お前は私に甘いだけか――」


「お前……」

 自分でも驚いた。俺の今の声は、弱過ぎて、消えそうだった。


「ここまで到達したのは、お前で四回目だ。だけど、ここから先、どうも、お前は進めないようだな。それだけ、私を信用してくれているということか。それは嬉しいよ、素直にね」


 俺は負けた、のか? まだ信じられないが、しかし、信じなければいけないだろう。

 いつまでも現実から目を背けているわけにはいかないが、でも、この結果は、俺にとっては心を完全に砕くものだった。


 失敗。

 恐らく、確実にこのまま進めば、淡のバッドエンドに進むことになるのだろう。

 間違いなく、絶対にそうだと言える。

 今までの経験則から、それくらいの予想は簡単に立てることができた。


「酷だとは思うがな、これはお前のためにやっているのだと言えば、偽善に聞こえるかな。

 まあいい。お前にヒントをやるよ――」


 淡が言う。


「この繰り返しから抜け出すために、お前はまず――私を疑え。そして、私を信用するな。

 簡単なことだろう? お前は平気でそれを他人にやってきたはずだ。それを私に当てはめればいい。いつも通りだよ、いつも通り。それができればお前は、さらに強くなれるだろうよ」


 パチンっ、と、淡が言葉の終わりと同時に、指を鳴らした。

 それが合図なのか、俺の意識は、唐突に暗闇へ沈んでいく。


 俺がなにかを必死になって叫ぶ暇なんてなかった。

 声は、喉が潰れたように出てくれない。

 奥で詰まっているような感覚だった。


 まったく、勝手な奴だよ。

 淡の力なのかどうなのかは知らないが、俺は強制的に、繰り返しのスタート地点に戻された。

 そして、繰り返すのだろうか。また同じことをして、その次もまた同じことをして、そして失敗するのだろうか――。


 終わりなんてまったく見えず、心なんて、もう折れていてもおかしくないというのに。

 ……もう、折れているか。

 そもそも、最初から折れていた。


 俺は結局、解決なんて、できないのかもしれない。

 だって、ただのサブキャラに過ぎなくて、主人公になど、決してなれないのだから。


 だから。

 ずっとこのまま、闇にいたい。

 黒に染まりたい。白を塗り潰すほどの、真っ黒になりたい。


 次にチャンスがくるのは、一体、いつになるのだろうか。

 何回後か、何十回後か、何百回後か、何万回後か。


 そんなこと、分かるわけがない。

 分かれば苦労なんてしないのだから。

 ああ、どうでもいい。どうでもよくて、このまま眠りたいと思ってしまった。


 一時的にではなく、永遠に。


 このまま闇に溶けていく、というのもまた、違った人生で楽しいのかもしれない。

 ぐーたら症の自分には、ぴったりの生き方なのだろう。

 そうだ、それが一番良くて、最善だ。


 だから、気長に待つとしよう。

 それか、気長に楽しむとしようか。



 この繰り返しを、ずっと、ずっと――。

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