第18話 うつろ 肆

「――あ、来た来た、早く速く、来て来て、うつろんろんっ!」


 化学室の中、目の前でふわふわと浮いている謡を見ていたら、拍子抜けしてしまった。

 だって、四隅の時だって、静玉の時だって、命懸けの熱いバトルがあったというのに、謡とは、こんなにふわふわとした感じでいいのだろうか……。

 いや、別に熱いバトルを望んでいるわけでもないけど……なんだか、なあ。

 うーん……、やっぱりなんだかなあ。


「……そんなに焦ってどうしたんだよ」

 と聞いてみるも、


「いいからいいから、細かいことは気にしないでどんと来なさいって」


 謡はずっとこの調子だった。なにをぼかしているのか、なにを隠しているのか、まったく予想がつかない。それに、俺の思考回路も、ゆっくりとお休みタイムに入ってしまった。

 動かそうとしても上手く回らずに働いてくれない。

 この役立たずめ、と言ってみるが、結局は俺の一部分なんだなと思って、溜息を吐いた。


 仕方なく謡を追いかけていると――ひゅん、と耳元で音が鳴った。

 鳴った? というよりは、なにかが通り過ぎたような音だった。


 鳴った、と言うべきだとしたら、相応しいのは次の瞬間に起こった出来事だろう。そっちが合っている――ビーカーやら、フラスコやらが、俺の顔面の真横を通って壁に激突し、割れた。

 脳に突き刺さるような高い音。


 呆然とそれを眺める俺は、事態を把握することに少しの時間を必要とした。

 その間にも、物語は展開している。


「容赦はしないよ、うつろんろん」

 謡のセリフが合図だった。


「なん、で!!」


 迫ってくるビーカー。俺は横に転がって、ビーカーの大群から逃げる。

 ビーカーは地面に叩きつけられ、激しく割れた。ガラスの破片が飛び散り、多くはないが、しかし少なくもない数が、俺を襲っている。

 肌が斬られて、ぴりっとしたが、まだがまんできる程度……、いや、できる、しない、するの問題ではなく、がまんするしかないのだ。


「く、そっ」


 机を壁にして、安全地帯を確保したが、しかし相手は幽霊だ。

 こんな穴だらけの安全地帯を潰すことなど、容易にできる。

 ならば、早くこの戦いを終わらせなければならない……。


 この鬼ごっこを、だ。


 となると、触れなければならないのだが――、


 ん? 待て。待て、待て待て待て。


 謡は幽霊。


 どうやって、触るのだ?


「マジかよ、それって、ルール上どうなるんだよ……!」


 謡に直接聞いてみるのも一つの手だ。

 しかしそれをすれば、必然、謡の目の前に出ていくことになる――格好の的だ。


 的になりたくない……、なんて、声に出すほどのことではない。

 誰だって嫌に決まっている。


「淡に聞くしか――でも、あいつはここにはいないし」


 ちくしょう、と言いたくなる。

 こんなことになるのなら、あそこで別れなければよかった。

 別れた、と言ったが、俺が勝手に置いていっただけなのだが。

 まったく、自業自得だ。俺にピッタリ過ぎる言葉だ。


 自分がおこなったことで、自分に不幸として返ってくる。

 悪いことをすれば自分に必ず返ってくる……よく聞く言葉だ。

 まったくその通りだな。本当、言った奴は見事に的を射ているよ。


 俺がふむふむと感心していると、


「隠れているだけじゃ、どうにもできないよーっ」と、謡が歌うように言う。


 そうだ、現実逃避をしている暇はない。

 俺には、謡という敵がいて、友がいる。

 友達と思っているのは俺だけか? 


 違うな、謡だって、友達だと思ってくれているだろう。あいつは優しいから。

 気持ち悪いほどに、優しいから。

 たとえ鬼ごっこだとしても、無駄に友達を攻撃するなんてこと、しないだろうから。

 だから、これにも理由があるのだろう――、まずは、そこから考えるべきなのか。


 謡が意図的に引き起こしている、ポルターガイスト現象。

 フラスコにビーカーを、俺に投げつけているが、しかし俺に直接、当てる気配はない。

 なんだか、間接的に痛めつけたいような、そんな遠慮が感じられる。

 間接的に当てる気しかなくて、もしかして、直接当てる気なんて、ないのかもしれない。


 だったら、こんな行動はどうだろうか?


 俺は、絶対に戻れない戦場に旅立つ、戦士のような覚悟を決めて、謡の前に姿を見せた。

 謡は俺に気づき、


「やっと観念したんだね。じゃあ、はじめよっか」


「ああ、はじめよう――」


 なにを? と聞ける雰囲気ではなく、俺自身も聞こうとは思わない。

 そんなことをするよりも、ただ一つの事を、見極めている。


 飛んでくるフラスコ。しかしそれは、やっぱり俺に直接当たるわけではなく、顔の真横を抜けるような軌道を描いて飛んでいた。

 だから、あえて、俺は当たりにいった。今いる位置から少し横にずれて、飛ぶフラスコの軌道上に、自分の顔面を置いておくように――、


「当たれ!」


 俺は叫んだ。


 フラスコは俺の顔面に――、当たらずに、ピタリと止まった。

 心臓が止まったかと思った……、フラスコは宙に浮いていた。

 偶然、止まったのではないだろう。意図的に、止められていた。


 俺はすぐに謡を見て、確信する。


「やっぱ、俺に直接、当てる気なんてなかったのか」


「なっ、な――」と震える謡。


「なにを考えてるの!? うつろんろんは!」


 耳が痛いほどに怒られた。さすがに俺も、俺自身の策と行動に驚いてはいるけど、まあ、俺だし、こういうこともあるさ、と納得した。

 他人事のように。


「あんなの、もしも当たったら、うつろんろんが――死んじゃっていたかもしれないのにっ!」


「心配してくれたんだな、優しいじゃんか」

 俺のセリフに、


「あう」となにも言えなくなる謡。

 あっちは動揺しているのか、くねくねと体を動かしていた。

 敵意はもうないのか。だったら早めに終わらせたいところだ。


「謡、その小さな胸、触らせてくれ」


「変態だっ!」

 間違えた。


「違う違う」


 一応、弁解するが、


「なにが違うんだ! 誤魔化しようがないよ!?」


 この様子だと、謡は許してくれなさそうだ。


「胸は触りたい。でもそれは今じゃなくていいんだ。今はお前の二の腕が触りたい」


「なんかそれもそれで嫌だよ!」

 わがままな奴だなぁ。

「いいから、触らせろよ」


「強行突破する気!? いや、でもまあ、胸よりはいいけど……」

「それは今度でいいか?」


「絶対に触らせる気はない!」

 言い切られた。いいよ、もう。


「じゃあ、かもん」と、俺は謡を、手でちょいちょいと招いた。


 謡は、ぶーぶー言いながらも、近くに寄ってきて、

「はい、どうぞ」と二の腕を差し出し――、


「ふむ」


 もしかしてコイツ、バカなんじゃ――バカなんだろうなぁ。あらためて認識した。


「はいっ、と」


 そして、俺は謡の二の腕を触って(触れた!)、「タッチ」と言ってやった。


「え?」


 なにがなんだか分からなさそうに、謡は動揺を隠せていない。

 本気で分かっていないのか? だとしたら、俺はすっごく心配だよ……。


「タッチした。お前はアウト、オーケー?」


「…………」


 沈黙の謡。なのでもう一度、繰り返す。


「オーケー?」


「あ、あ――うわああああああああああああああああああああああっっっっ!?!?」


 頭を抱えてふわふわと俺の周りを飛ぶ謡は、ショック過ぎたのか、どんどんと体の色が薄くなっていく。そういう仕組みなのか、と新たな発見をした。


 ……気になったが、あれだけ悩んでいた、謡に触れるかどうかの件だが、それは謡の意思でどうにでもなるのか。


 教えてくれよ、それくらい。まあ、教えてくれていたのかもしれなくて、ただ単に、俺が忘れていただけかもしれないが。

 それが一番ありそうだ。ありそうで、呆れてしまう。


「これで全員、捕まえたっと」


「待ってっ、待って待って待ってってばっ!」


 諦めが悪く、俺の服にしがみついてくる謡――、痛い、邪魔だし、うざい。


「あなたは酷い人だっ!」


「誰もが自分に優しいわけじゃないんだよ。勉強になったじゃないか。大人になってから役立つぞ、これ」


「死んでるからもう大人にならないんだよ!」


 あ、そうか。それそれは、デリカシーがない発言だった。


「まったく。気を付けてよねっ」


 謡がぷいっと顔を背ける。


「なぜツンデレ風に言うのか。まったく理解できないんだけど」

 したくもないし、する必要もない。


「ツンデレじゃないよ。かと言って、じゃあなんだと聞かれても――知らないけど」


「ああ、そう」

 どうでもいい会話が多いな……。


 ふう。

 さて……、これで本当に終わりなのか?


 三人、全員を捕まえたのにもかかわらず、世界に変化はない。

 いや、変化がないのが、正解なのか? 

 変化があるのは、ループする時であって、それはつまり、失敗した時だから――。


 だから今、変化しないこの世界は、先に進んだということで合っているのか?


「とりあえず、淡に聞かないことには、どうにも分からないな」


「淡さんに会うの?」

「まあな、聞きたいこともあるし」


「謡も、聞きたいことがあったんだよ」


「へえ」

 俺にとっては、全然まったく、どうでもいいことだった。

「謡も、聞きたいことがあったんだよ」


 繰り返してきやがった。

「そうなんだ」

 そう言うしかない。


「違うでしょ! 聞くことがっ、あるでしょう!?」


「いや、全然ないけど――え? なんなの? 構ってちゃんなの?」


「違う!」

 

 バンッ! と背中を叩かれ、拒絶された。心身共に、大ダメージだ。


「ほらほら、謡がなにを聞きたいのか、聞いてよ。聞いてみてよ!」


 嫌なんだけど、しかし、聞かないことには、話が進まなそうだったので聞いてみた。


「……なにを聞きたいんだよ」

「ふんっ、教えると思ったか!?」


 ぶっ飛ばすぞ。

 俺の殺意に満ちた瞳に本気で恐怖したのか、


「す、すいませんすいませんっ、その、人を視線だけで気絶させるようなその目をやめてくださいお願いしますぅ!!」

 と謡が土下座した。

 なんだよ、そこまでされたら、許さないといけないじゃないか。


「許す気がなかったの……、うつろんろんがすごく怖く感じてきた……」

 なら、今までは怖くない、と? 年上の威厳、まったくないじゃないか。


「あるの?」

 ないよ。今更、あるもないもないよ。


「で、聞きたいことってなんなんだよ。言ってみろ、ほら、怒らないから」


「えーと」


 謡が視線を左右に泳がせながら、


「うつろんろんを攻撃してくれーって、淡さんに言われて。

 その理由を教えてほしかったんだよね。意味とか、さ――」

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