第16話 うつろ 弐
消し去られたはずの記憶。
三万回と見てきた失敗の記憶。
普通、ヒントになるそれは、繰り返しの世界の影響で全てリセットされるはずだと淡は言ったのだが、でも、俺は、なぜか覚えている。
四隅と妖怪ハンターのバッドエンド。
静玉と静玉の家族とのバッドエンド。
謡と殺人のバッドエンド。
さすがに細かいところまで覚えているわけではない。
意図的に思い出せるわけでもなく、なんとなくで、大体の流れが頭の中にある程度。
右に曲がれば四隅が。
階段を下れば静玉が。上がれば謡が。
それぞれがそれぞれの方法と策で、俺を待っている。
「なにをすればいいか――」
目的を確認する。
「俺は鬼で、これは鬼ごっこだ。
だったらもちろん、俺はあいつら全員を捕まえればいいってことだよな」
淡に同意を求め、
「ああ、そうだ。それが解だろうよ」
同意を得ることができたので、俺は重い足を動かした。
階段は一旦、無視して、俺は右に曲がる。
先に捕まえておくのならば、動き回り、厄介なことこの上ない、四隅だろう。
大変を先に持ってくるということだ。
一人、二人を捕まえた後、疲弊した体で四隅を追いかけたとして、俺は確実に四隅を捕まえることはできないと思う。自分でそう思うのだから、当たるはずだ。
自分のことは自分にしか分からない。他人のことは自分には分からない。
しかし大変を先に持ってきたからと言って、四隅を捕まえるのが、楽になるというわけではない。さらに言えば、四隅を捕まえたとしても、俺はもう二人も捕まえなくてはいけないのだ。
どちらにせよ後には響く。どう事態が進んだところで、楽に解決はできない。
「淡」と声をかけ、
「なんだ?」と、こちらに目も向けずに、淡が返事をした。
返事がきたにもかかわらず、俺は返事に向けて返事をすることができず、
「…………」と沈黙してしまう。
「気になることでもあるのか?」
淡はなにも言えずに黙る俺のためなのか、そうでないのか予想できないが、そう話題を振ってくれた。淡には悪いが、別に用があったわけでも、気になることがあったわけでもなく、ただ単に名前を読んでみたかっただけだ。
理由なんてない、そこに存在しているから、なにかしたかった、ただそれだけの欲求だった。
「大丈夫。心配ごとも、気になることもなにもないよ。
四隅とは肉弾戦になりそうだけど、心配ごとなんてなにもないよ」
「嘘つけ」
淡が、人をバカにするように笑った。
「四隅と肉弾戦? 策なんてなにもなし、ド馬鹿のド直球でいくつもりか。
いや、お前がそう決めたのなら、別に横から言うことはしないけど、だけど、それは無謀ってものじゃないか?」
確かに。四隅の動きについていくのは困難だ。
いや、困難というより、不可能だ。
だが、まだ不可能に近い不可能――。
ということは、完全な不可能の域には達していない、ギリギリの場所だ。
最強と無敵の違いみたいなもの。常人が手を伸ばして、かする程度には対抗できるラインだ。
「俺でもまだ、可能性はあると思うよ」
「だといいがな」
不安を押し殺したような声が淡から出た。
淡にしては珍しい。俺はその不安をかき消したいと自然と思っていた。
無意識に、気づかずに、流れるように感情が動く。
「そうなるよ」
俺がそう言っていると――辿り着いた。
俺の記憶が確かならば――たとえばまったく違う記憶とか、なかった事実などが、さもあったように見せかけられているのでなければ――俺はここで四隅に捕まるのだろう。
抵抗せずにいつの間にか、気づいたら捕まっているような、そんな間抜けな試合終了だった。
ならばだ。
ならば、俺が抵抗すれば、四隅も違う反応を見せるはず。
「慌てるなよ」
俺は自分にそう言い聞かせ、ゆっくりと歩いて進む。
教室を一つ、二つ、三つほど過ぎたところで、俺は――上を見る。
そこには、
「なんッ!?」
と驚く四隅の姿があった。
「よっ、そんなところ――まあ、天井か。
そんなところに張り付いて、なにしてるんだよ……お前は忍者かよ」
「うぅ、ま、まあね! ばれてしまっては仕方がないな」
意外にも、四隅が乗ってきた。ノリが良い。
天井から地面に飛び降り、四隅は忍者のようなポーズ――、
手裏剣を投げるような体勢で、
「いざ尋常に――」と構えを取っていた。
俺に、それを待つ義務なんてあるわけではなし。
セリフ途中に攻撃をしないのは戦隊ものだけだよ、と心の中で呟いてから、俺は一気に走り出して、四隅との間にある長いとも短いとも言えない距離を踏み潰した。
「うええっ!?」と戸惑う四隅。
俺は真っ直ぐ、手を伸ばす。
しかし、「おわっと」と避けられた。
まずい。この初撃を躱されれば、俺の攻撃はもう――、いや。
「そうは、いくか!」
叫び、空振りしてしまった腕を強引に曲げて、四隅を追撃する。
四隅の方も、俺がこんなに反応が良いとは思っていなかったらしく、初撃を避けた時も、俺との距離をあまり離すことをしていなかった。
それは、俺の手が今からでも届くところに、四隅がいたということで――。
不意を突き、しかし失敗しても、諦めない。
四隅にとっては俺がそこまでするとは思っていなかったのだろう。
そういう先入観を利用した攻撃。たまたまだが、偶然だが、神様の奇跡みたいなものだが、それでも俺の攻撃であり、俺の一手だ。
ぱちん、と肌と肌が触れた音。
そして、俺は腕に力を込める。ぷにぷにと柔らかい感触があり――俺は握っていた。
彼女の腕をガッチリと掴んでいて。これは、タッチした、捕まえたという証拠だった。
「……やられた」
四隅が言葉を漏らした。
「あーあ、なんだか情けない感じに捕まっちゃったよー。上手いなぁ、うっくんは」
そうでもない。完全に偶然なんだ。俺の意思じゃない。
「とか、思っているんでしょう? 自分を下に見過ぎだよ、うっくん」
「そうかな」
「そうだよ。あたしが言うんだから、はずれてるわけないしね」
にっ、と笑って、四隅が廊下に腰を下ろした。
天井に張り付くというのは、意外と体力を使うのか、腕をモミモミと自分で揉んでいた。
「疲れたよー、暑いしさー」
四隅の顔から、汗が流れ出ている。
俺も同じように。初っ端から体力と神経を使う戦いだった。
「けど」
俺はすぐにでも向かう。
「終わってなんかいない。休む暇なんてないんだ」
自分の体と心に
「……次はどこに行く気だ?」
「静玉だな。この暑さをかき消すためには、あいつが良いんじゃないかなと思ってさ」
完全に涼みに行くためだった。だけど実際、静玉でも謡でも、別に捕まえる順番なんてどうでもよく、言ってくれれば、言われた方から捕まえたっていいのだ。
変にこだわらないからこそ、俺は直感で優先する方を選んだ。
四隅の次であれば、静玉。理由はなく、俺の頭脳が勝手にそう結論付けた。
「今度は策があるのか? 四隅なら騙せる――みたいな策じゃ、無理かもしれないぞ?
あいつはあいつで、頭が回るんだ」
そんなことはもちろん知っている。
肉弾戦になる前に手を打たれて、終わりだろう。
静玉はやられる前にやる、なんとも賢い戦法、俺好みの戦闘法だ。
「……喧嘩でも売っているのかな、淡ちゃん?」
四隅が顔を引きつらせながら言った。
「そう感じるということは自覚があるのかな?」
二人の間で、火花がバチバチと飛んでいるのか、と錯覚した。それほどにまでに迫力があり、仲裁に入れば、確実に俺へ飛び火するだろうと予測できた。
自分から厄介ごとに巻き込まれたくはない。今まで、それは避けてきたことで、俺自身、それを無意識にやっていたのだ。
どうやら自分への害を弾くことに関して、俺は相当、要領が良かったのだろう。
まったく、便利な性格をしている。
「四隅、淡」
声をかけてみるが、喧嘩の一歩手前の争いは、終わりそうにない。
俺は、これをわざわざ止める気もなく、待つ気もないので、二人に背を向け歩き出した。
喧嘩がしたいのなら、喧嘩していればいいだろう、そういうのも人生だ。
好きなだけやればいい。
好きなだけやって、後悔しても、俺は知ったことではないが。
「あ、うっくん」と四隅の声。
「ん?」と声だけで反応してみせた。
「ありがとね」
……なんのことだがさっぱりだったが、だけど、まったく分からないってわけでもなかった。
俺が見たバッドエンド。
その道を辿らなかったことへ、『ありがとう』だったのかもしれない。
これは俺の予想で、実際、どうかは分からないけど――、
そうだったらいいな、と思った。
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