第2話 夏休み 弐

 俺が非日常の生活を送っているのは淡のような存在のせいだろう。

 妖怪。普通は会えないし、会う機会などないらしい。

 全て淡が自分で言っていたことだが、実際にどうなのか。

 会う奴は会っているんじゃないのか――どうでもいいが。


 俺は絶対にそんな訳の分からない存在には会わないような人間だと思っていた。

 会わないし、合わないだろうしな。しかし俺は会ってしまったのだ、淡という妖怪に。


 きっかけなど、特になかったと思うのだが、しかし淡は言っていた。


「お前は面白いな。現代に生きている人間子供の中では頭一つ、いや、百つくらいは飛び出しているほど面白いな」


 と、言ったのだ。


 俺のどこにそんな魅力が? あるわけないのに。

 だがそれは、自分自身で言っていることだ。

 客観的に自分を見ることができない俺なので、自分には本当に魅力がないのだとか、惹かれるなにかがあるのだとか、よく分からない。


 だから淡の言葉だけが頼りなのだけど、

「さぁね」と、はぐらかされるだけである。


 まあ、結果的にこうやって一緒に過ごしているのだから、なにかしらの『もの』は俺も持っているのかもしれない。


 そうこう考えていると、

 淡の髪の毛が、いつの間にか俺が切ろうとした頃よりも長くなっていた。

 淡の小さな体を包み込むような黒い束。

 ……正直、気持ち悪いな。見ているだけでぞくぞくしてくる。


 すると、淡が自分の髪の毛をかきわけ、顔を出し、


「切って」


 と、もう一度頼んできた。


 俺はそれに、「分かった」と一言で返事をする。

 淡はなにも言わずに椅子に腰かけ、俺のことを待っている。

 二回目の失敗は、本当に許さない――と、

 言葉に出さなくとも、纏う雰囲気でなくとも、それくらいは理解できた。


 今度こそ失敗はできない。

 失敗すれば、あるのは死だけだ。

 さっきの数百倍の緊張感の中、俺のはさみが髪の毛を切る音だけが、部屋に響いた。



「ふぅ」と一息つき、

 淡が首元まで短くなった髪の毛を左右にぶんぶんと振り回していた。


「うん、ちょうどいいな。いい感じ。やはり虚に頼むのが正解だわな。床屋とか美容院とか行ったけど、質問が多くていらっときたよ」


「なにお前、妖怪のくせに美容院とか行くの?」


「一回だけだからな。二度は行っていない」


 そこはどうでもいいんだけど。


「そりゃあ、お前だけに負担をかけるわけにもいかないからな。

 少しは楽させようと思って美容院に行ったんだが――」


「だが?」


「私が楽できない」


 ぴしゃり、と言い放った。

 確かにコイツが店員さんに話しかけられて、ご機嫌なわけがない。

 真逆の不機嫌になるだろう。

 淡にしても店側としても、これから先、できる限り接触しない方がお互いのためだと言える。


「なので、お前に切ってもらうことにした。おーけー?」


「おーけー? じゃねぇよ」


 と俺が言うと「むー」と不満げだ。


「冗談だよ。別に切るくらい大した手間じゃねぇ」

「マジで? なら私が死ぬまでやってくれる?」


「お前妖怪なんだから何百年と生きるじゃねぇか。俺、死んでるっつうの。

 転生してから、また切れとでも言うのかよ」


 それはそれでありそうなものだ。


「あ、そこまでは尽くしてくれなくていいよ、鬱陶うっとうしい」


 おい。なんだかカチンとくる言い方だったが、挑発に乗ってしまうと淡の手の平の上で踊らされる予感がしたので、ここは堪える。


「つーか、髪の毛を伸ばすことができるなら逆に短くするとか、伸びの速さを調節するとかさ、できるんじゃないのか?」


 という俺の質問に「ふん」と淡が鼻で笑った。


「できれば苦労しない。できないからこそ、お前にちょくちょく頼んでいるんじゃないか」


 それもそうだ、と納得。

 伸ばすことはできるのに短くできないというのは――別に変ではないか。

 というか、淡という存在がもう変だし。妖怪だし。


「じゃあ今度は来週だな。それ以前に切りたくなったら勝手にうちにこい。切ってやる」


「お前は案外乗り気だよな」


「そうか?」

 自分ではよく分からん。


 けど、つまらないわけじゃない、とは思っているのかもしれない。

 つまらなかったらここまで続いていない。続いているということは、俺はこの役目を楽しいと感じているのだろう。他にやることがないってのも、理由としてはあるのかもしれないが。


「さて、区切りができたところだな」


 と、淡が俺の目を見つめてくる。


 そして、


「罰ゲームだ」


 と言った。


 決して、良い言葉ではないだろう。悪い印象しかない。

『罰』という単語がそれを引き出してしまっているのだろう。にしても、罰ゲームか。

 俺が一体、なにをしたのか。覚えがない。記憶障害か?


「もう忘れてるのか? ノミ並の脳みそだな」


 お前はノミの脳みそを知っているのか――それに驚きだ。


「遅刻したのだからそれなりの罰ゲームがなければ面白くないものなぁ、えぇ、おい」


 ふっふっふっ、と笑う淡は、やけに楽しそうだった。


「……なんだよ?」


 恐る恐る、聞いてみる。


「鬼ごっこ。他のメンバーは今、逃げてる最中だ。

 だからお前は、鬼となって全員を捕まえてこい。それが罰ゲーム」


 指先を俺にびしっと向けて淡が言う。

 まるで名探偵が犯人を突き止めた時のようだ。

 というか、たぶんそうなのだろうな。淡はこの前、推理ドラマを見ていたし。


「あと、気を付けることが一つ」


 休む暇なく言葉を投げつけてくる。

 少し待ってくれよと思うが、淡の方がペースを落とすことはない。


 結局、こちらが合わせるしかないのだ。


「逃げる方はお前から逃げるだけではなく、お前の頭を狙ってくる」


「頭? なんで?」


 疑問があった。逆に疑問しかない。


「お前の頭が鬼たちのゴールってなわけさ。

 鬼だけが追いかけて、逃げる方だけが逃げるなんて不公平だろう?」


 いや、鬼ごっこってそういうものなんじゃないのか?


「鬼ごっこという定義を変えてみたくてな」


「ルールを変え過ぎて、鬼ごっこと言えなくなりそうだけど大丈夫か?」


 俺の心配など、どうでもいいと切り捨てるように淡が、


「そこはその都度、調節するさ」


 ――と。



「いいからお前は鬼をすればいいんだよ。細かい事は考えるな。無心でいろ無心で」


 無茶を要求してくる奴だな。無心って、俺、なにもできねぇと思うが。


「いいか、お前は逃げる奴らを全員捕まえる。自分の頭を守り抜く。

 タッチした時点で捕まえられるし、された時点でお前の負けだから」


 ふむふむ、とルールは理解できた。


「あと、お前がタッチされたら、タッチした人の言う事をお前が聞くことになるから」


 ちょっと待て。


「今、聞き間違いかなんかかな? すっごくおかしいセリフが飛んでたような……?」


「おかしいのはお前の頭だろ」


「普通に悪口を言ってきたな、お前。なんの捻りもなしかよ」


 俺はガックリと肩を落とし、部屋を出ようとする。

 すると、


「あー、分かったから、そう落ち込むな。私も手伝ってやるから。

 他のメンバーを捕まえるのなんて、骨が折れるだろ?」


 淡が目を逸らしながらそう言った。

 一応、罪悪感というものがあるのか。妖怪にもあるんだなぁ、と新しい発見。


「いいから、行くぞ」


 淡が俺の服の端を指先でつまんで、部屋の外に引っ張っていく。

 冷やっとした空間から、もわっとした空間に出たことで、一気に気分が悪くなる。


 あー、帰りてぇ、とか、言ってもどうせ聞き入れてもらえないんだろうなあ。

 そんな俺の考えを読んだのか、


「当たり前だ。これは罰ゲームであっても、私たち本来の活動じゃないか」


「でも別に、無理してやらなくても……」


 俺の意見はあっさりと却下され、


「いいから黙ってついてこいっつうの」


 という淡の声が校舎内に響き渡り――、




 淡の一言で急遽きゅうきょ始まった鬼ごっこ、スタートである。

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