古典遊戯:鬼の章/羅刹の章

渡貫とゐち

鬼の章/五解道の鬼

第1話 夏休み 壱

 出会いは嬉しく、別れは悲しく。

 なんて、誰が言ったのだろうか。


 別に否定したいというわけではなく、

 俺も「それはそうだろう」と言えるくらいには肯定している。


 しかし全てがそれに当てはまるとは限らない。

 例外というものは必ず存在しているものであって、そんなことを言っている俺も、その例外というものにがっちりとハマっているのだ。


 出会いは嬉しく、別れは悲しく――否。

 俺が思うには、出会いは悲しく、別れは嬉しく、だ。


 そんなことを言ってしまう俺は酷いのだろうか。

 一般的に言えば酷いのだろう。出会いが悲しいというのは相手を嫌っていると取られたとしても仕方ない。言い返す言葉など見つけることができなさそうだ。


 しかしだ、

 俺がただただ勝手にこう思っているわけではなく、やはり理由というのは存在している。


 出会いが悲しい理由。

 別れが嬉しい理由――俺がさっきの言葉を使った理由だ。


 その理由は俺の日常に大きく関わっている。

 本来、人と分類される俺たちには、一生体験できないような日常というものがあるだろう。

 それは非日常。

 起きて飯を食い、学校に行き、教室内で友達と駄弁り、授業中を睡眠に使い果たし、学校が終われば真っ直ぐ家に帰ってダラダラと過ごし、夜遅くまで起きて、気づけば朝になっている。


 そんな日常が普通だろう。

 しかし俺の場合は違うのだ。

 例えることなどできない、命懸けとも言える日常を送っているのだ。


 そんな日常――否、非日常を送るきっかけはただ一つの出会いだった。

 あまりにも唐突に、あまりにも劇的に、あまりにも強烈に、二度と忘れることなどないだろうと言えるような出会い――。

 俺はそれを、今にして思えば悲しく思う。出会いに関してではなく、そんな出会いをしてしまい、これから先、送る生活のことを考えて出てくる感情が――『悲しい』だった。


 悲しくて悲しくて、手を差し伸べたい気分だが、恐らく伸ばしたところで引きずり込まれるのがオチだろう。


「手を差し伸べる……そんな奴はいねえだろう」


 地面に向かってそう呟きながら、俺は学校までの道をゆっくりと歩いていた。

 今日はせっかく夏休みなのだから、家でごろごろしてようかなーとか、テレビでも見るかなーとか、そういえば夏休みの宿題をしなくちゃとか、珍しく張り切っていたというのに。

 そんな俺のテンションをぶち壊してきたのは、一つの音だった。


 マナーモードにしておけばよかったなと思いながら、自分の携帯電話を取り、耳に当て、聞こえてきた声は嫌な意味で、期待通りだった。


『九時までに学校へ来い、来なければ、どうなるのかな? 楽しみ楽しみ』


 とだけ言われて切られた。素直に怖い、怖過ぎるだろう。


 そんな朝の出来事があって、今俺は、夏休みにもかかわらず学校に向かっている。

 幸いにも家から学校までは近く、あまり手間がかからないということだけが救いだった。

 ここで、遠くて電車で行かなければいけないとなったら、俺は自殺するかもしれない。

 まあ、さすがにしないけど。


 セミがうるさい、暑い、セミがうるさい、暑い――の繰り返しを心の中でノンストップで言い続けながら歩いていると、学校が見えてきた。

 校門は開いている。

 そうか、部活動をやっている奴は夏休みでも練習があるのか。

 ご苦労ご苦労、君たちの努力には脱帽するよ。


 野球部とサッカー部が校庭を半分ずつ使って練習している風景を眺めながら、校舎に向かい、玄関へ辿り着いた。

 自分の番号の下駄箱から上履きを取り出し、

 履いてきた外靴を上履きと交換で下駄箱に入れる。


 いつも通りの光景で、俺はなにも考えていなかったが、問題なく実行できた。


 校舎の中は外までとはいかないまでも、暑い。

 逆に暑さの逃げ場がなく、溜まっているため、外よりも暑いのではないか。

 いや、直射日光よりはマシか。


 たん、たん、と静かな学校の中で一つの音が鳴る。俺の足音だ。

 校舎内がしーんとしている中で足音を響かせるというのは、なんだか悪いことをしている気分になってくるのだが、夏休みだからと言って、ここまで静かなものなのだろうか。


 もしやと思うが、俺は騙されたのではないか? 

 電話で『来い』と呼ばれたが、

 それは嘘かもしれないし、いつもの軽い冗談なのかもしれない。


 けれど行かないと行かないで、文句を言われるし、ここで帰るのも損した気分だ。

 とりあえずは行ってみるかと、階段をゆっくりと上がる。


 四階に辿り着き、右に曲がる。

 左に用はないし、教室しかないのだからそちらは無視した。


 進んで行くと、色々と授業で使うだろう特別教室などがあり、そこもちらりと見てからスルーする。真っ直ぐに進み、さらに真っ直ぐ。


 教室名を記すネームプレートはなかった。

 ということは、この教室に存在価値などないのだろうか。

 それはあまりにも可哀そうではないか、とは感じない。


 今は荷物置きとして使っているし、必要としている奴らが使っているのだから、この部屋からしてみれば満足なのだろう。


 と言っている俺も、この教室はよく使う。

 毎日のように、まるで自分の部屋であるかのように。


 無理やり来ている部分が大半を占めているが、俺にも愛着というものはもちろん湧くので、この部屋のことは嫌いじゃない。


 いつも開けているので、なんの違和感もなくすっと扉をスライドさせることができた。

 ああ、いつもの動作だ。そして踏み込むのか、俺はこの境界線を越えて、行ってしまうのか。


 後悔しても既に遅い。

 開けてしまったということは、鬼が住んでいる家のチャイムを押してしまったということ。

 俺は自らの意思、望んで入ってしまったのだ。


 しかし行かなかった時のことを考えると、

 今以上に酷いことになりそうなのは確実なのだから、賢明な判断だとは思うけど。


 俺が部屋の中に入ると、まるで冷蔵庫を開け放った時のような冷気が体を撫でた。

 涼しい。涼しいのだが、ここまでくると、もう寒い。

 この部屋には冷房機など取り付けられていないので、もし今この部屋になにも知らない一般人が入ったのならば、疑問に思うだろう。


「やぁやぁ、遅い遅い、二秒も遅刻じゃないか、うつろっち」


 と、部屋の真ん中に堂々と置いた椅子に腰かけている少女が言った。

 浴衣姿に地面まで到達している黒い髪の毛が印象的だった。

 一瞬、暑くねぇのかと思ったが、

 この寒さならばそんなことはあり得ないだろうと気づいて、聞くのをやめておく。


「二秒って、それくらい、いいじゃねぇかよ。あと虚っちと呼ぶのをやめろ」


「二時間でも二秒でも遅刻は遅刻だ。考えてもみろ、お前は遅刻した。

 しかし遅刻していない奴は他に存在しているんだ。ここでお前を――おっと、虚っちの」


 言い直すなよ。


「――遅刻を取消しにしてしまうと他の者に文句を言われるからな」


 確かにそうだ。遅刻した俺が悪いのだから、ここは大人しく退いた方がいいだろう。

 二秒だろうと二時間だろうと、遅刻は遅刻。まあ、当たり前のことではある。


「……いい加減、虚っちと呼ぶのをやめてくんねぇかな?」


「なぜだ? 可愛いと思うけどな」


 ニヤニヤと笑いながら言う。

 なんでも『っち』をつければいいと思ってやがるな、コイツ。

 感覚がもうおばさんでしかない。


志木宮しきみやうつろだから、虚っち」


 知ってるよ。由来なんて言われなくても分かってるよ。


「むー。なぜ虚っちが嫌なのか。あわいっちもよく分からんよ」


「自分にも『っち』をつけてるのかよ、お前は」


 驚きだ。びっくりしたよ。


 楠木くすのきあわいから名前を取って、淡っちと言うのは分かるし、使うのも別にいいんだけど、自分の一人称に使うのはどうかと思うけどなあ。


「変か?」

 

 淡っち――もとい、淡が不安そうに聞いてくる。

 ここで面と向かって変と言える奴はいるのだろうか。


 探せばいるのだろうけど、ここで変と言える奴がいたら、俺はたぶん軽蔑するかもしれない。

 空気を読めと言いたい。


「変ではないよ」


 俺は言う。


「けど使うのならたまにだな。あんまり連発すると、威力は落ちるぞ」


 なんの威力なのかは自分で言っていてよく分からなかった。アホ丸出しだ。


「そうか……ならしばらくは『私』に統一するか」


 そう言って、淡は俺に向かってちょいちょい、と手招きをした。

 なんだ? こっちへ来いというのは分かるが、一体なにをさせたいのか、理解に困る。

 少し怖いが、

 近づかないことにはなにも始まらないので、警戒しながら淡の元まで行くと――、


 ひゅん! と、なにかが俺の眼前まで迫ってきた。

 はさみだ。あと数センチで、目を突き刺していただろう位置にはさみの切っ先があった。


「おまっ」

 え! と言おうとしたところで、淡の声が俺の声を塗り潰す。


「我の髪の毛を切りたまえよ」

 一人称を統一しろよ。


 淡からはさみを受け取り――というか渡し方、間違ってるだろ。

 切っ先を人に向けるんじゃねぇよ、という抗議は、全て無視されるだろうと分かっているので心の中で留めておく。


「それにしても、伸びたなあ、お前」


 黒い髪を触り、手の平で弄びながら言ってみた。


「先週の休みの日に、虚が切ってくれなかったんじゃないか。

 そのせいでわらわの髪の毛は大大大、大増殖中なのだよ」


「とりあえず、一人称をころころ変えるのやめてくんねぇかな」


 気になるんだよ。気にしてないけど、気になるんだよ。


「分かったよ。分かったからさっさと切ってくれ。

 ああ、遠慮とかいらないから、ばっさりといってくれても構わないから。

 しかし私のお気に召さないとどうなるかは分かっているんだろうなぁ?」


 緊張感が一気に跳ね上がった。

 あれ? おかしいな、いつもはもっとフレンドリーな感じで切っていたのに。

 今日はなんだか、蛇に睨まれた蛙のような気持ちだけど?


 長過ぎる髪を一気にばっさりと切る、なんてのは、技術などいらない簡単な作業と言ってもいい。言ってもいいのだが、いつもと雰囲気が違うためか、手元がぐらぐらと揺れていた。

 変な汗も出てきて、手や足、体中、汗びっしょりだ。


 よし、よし、と心の中で確認の声を出しながら、淡の髪の毛をちょうど良い長さまで調節していく。よし、いつもなら首辺りまで切ってるからな、これくらいでいいだろう。


 最後のちょいちょいと微調整しようとした瞬間の出来事だった。さすがに寒いと感じるほどの温度の部屋に居過ぎたためか、俺の体が異常を示し始めた。

 はさみを淡の髪の毛に入れて、さぁ切るぞ――、その時、勢い良く、くしゃみが出た。


 俺ではなく――淡の。


「お前がすんのかよ!」


 というツッコミせいで、俺の手元は狂い、狂いに狂って、くるくると。

 はさみは淡の髪をばっさりと、いつもより断然、短く切ってしまった。

 まるでおかっぱの下位互換のような髪型だった。


 いやまあ、変では……ないけどな、見慣れないだけで。


 切り足りなければ、まだ調整の余裕があるし、どうにでもなるのだが、切り過ぎはどうにもできない。あわあわ、と俺は恐怖で顔を歪めながら、淡に声をかける。


「あの、淡、さん?」


 淡は反応しない。


「良い感じにできたんじゃないかなーとか、思ってるんですけどどうですかね?」


 淡は反応しない。


「ないですよねー、マジですんませんっでしたぁっっ!」


 淡は、やっと反応した。


「ん? あれ? これって結構、良いんじゃないか?」


 と、予想外の反応だった。まさかお気に召したとでも言うのだろうか? 

 したらしたで、助かったけど、にしても、この髪型にセンスを感じるというのは、友人としてどうかと思――


「なんて、言うとでも思ってんのかぁあああああああああ!?」


「ぎぃやあああああああああああ!?!?」


 と叫ぶ俺。

 胸倉を掴まれ、ぐわんぐわんと思いきり揺らされる。

 酔う酔う。脳みそがシェイクされる。


「――こんな髪型、あいつらに知られたらどうすんだッ、この、ばかぁ!!」


「泣き顔!? 待って待ってマジで悪かったってっ、だから泣くなよ!」


 頭を撫でてやるが、効果はなかったようだ。

 俺の手は、淡の手に振り払われ、もう来ないで放っておいて――と、

 言外に言われているようだった。


 さすがに悪いことしたかな。少し反省。後悔はしていない。


 することもないのでぼーっと淡の髪の毛――、俺が失敗したところを眺めていると、

 にょきにょき、という擬音が聞こえそうな動きで、どんどんと髪の毛が伸びていく。


 俺が失敗したところなどすぐに元通りになった。

 え、早っ。


 感想はそんなものだった。



「……さすがは日本人形の妖怪、だな」

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