第11話 幕間2 <グラース公爵家本邸>

 グラース公家、ウルリヒの執務室。


「レーオンとマルメーの水争いがなぜ再発している?」


 ウルリヒが報告書を読みながら補佐官に疑問をぶつける。


「先年和解が成立したばかりではないか」

「マルメーはレーオンが協定を守っていないと主張しています。一方のレーオンはマルメーの主張は不当な言いがかりであると」

「お互い譲らずか」

「調査官を派遣いたしますか」

「……いや、双方とも先年の紛争の熱が冷めておるまい。時間をかけてはまずいことになりかねん」


 普段決して顔色を変えたりしないウルリヒが、珍しくため息をつく。


「ハボックに指示を。トールの飛行準備を行うようにと。私が向かおう」


 補佐官が困惑する。


「公子閣下が自らお出になるようなことでは……」

「いや、万一にも血が流れるようなことがあってならない。私が出れば双方とも抑えてくれよう。私が不在の間はすまんがお前に任せる。重要事項は父上に相談して……」


 その時、何者かがノックと同時に執務室の扉を開いて入って来た。

 無作法な闖入者に眉を顰めるウルリヒだったが、それが誰かを確認するとむしろ立ち上がって迎える。


「これは先代様」

「ウルリヒ、精が出るな」


 ウルリヒの祖父で先代グラース公のハインツだ。


「どうせ次代を継げば、やらねばならなくなるというのに。公子の時分から好き好んで政務に関わるとは、まったく奇特なことだ」


 ずかずかと執務室に入り込んで、面白そうにウルリヒの執務机を眺める。


「レーオンとマルメーは、またやりあっておるのか」

「はい、時間を掛けるべきではないと思われますので、私が出向こうかと」

「ふむ」


 報告書を取り上げ眺めるハインツ。


「よし、これは儂がやっておこう」

「……は?」


 補佐官はハインツの言葉よりも、むしろウルリヒが驚きの表情を浮かべたのに驚愕する。

 彼に仕えて以来、おそらく初の出来事だったからだ。


「土産だ。テロワでたまたま見つけた。少し面白い記事が載っておる」


 報告書の代わりに新聞を執務机に放り投げる。

 ハインツが秘密裏に国内はおろか国外にまで、気軽に出歩いていることは公然の秘密である。曰く、公に出歩くと護衛やら随員やら面倒すぎる。だそうである。

 ウルリヒは少し困惑気味に新聞の紙面に視線を落としていたが、あるところでスッと表情が掻き消える。

 補佐官の顔に緊張が走る。それはウルリヒの激怒の表情だった。


「面白かろう。たまには私事で時間を使ってみてはどうだ?」


 ハインツはそういうと執務室から去る。

 取り残された補佐官はウルリヒの反応を恐々と伺う。


「……ハボックへの指示はそのまま。ただし、行き先は変える」

「ハッ! ……その、どちらへ?」

「テロワだ」

「……! 三日後でよろしいでしょうか?」


 エベレット王国に外交ルートで訪問を打診する場合、どうしても時間がかかる。

 急ぎの様子のウルリヒを見て、最速のスケジュールを頭の中で組み立てる補佐官だったが、ウルリヒの次の言葉に絶句する。


「いや、今すぐだ」

「は……?」

「私事だ。内密に訪問する」

「いや、しかし」


 ハインツはともかく、ウルリヒがこのようなことを言い出すのは驚天動地の事態だった。


「三日……、いや一週間ほど明ける。その間の事は頼む」

「それは構いませんが」


 実際の所、ウルリヒが執務を執り行えなくても、致命的な問題は生じない。

 彼の父親のグラース公が執務を執っているし、先代から仕えているグラース家の官僚団は、当主やそれに準じる者が突然不在となることに慣れている。

 大体ハインツのせいである。


 補佐官は執務室から立ち去るウルリヒを茫然と見送る。ウルリヒの右手にはハインツが持ち込んだ新聞が握り潰されていた。

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