第5話 幕間1 <エベレット王宮のさる離宮>
一日の始まり、朝食を共にする事がその母子の決まり事だった。
母――第二妃アデーレが朝食の場で語る内容は、ほとんど毎日同じだった。
(まるで呪いの言葉だ)
それを聞かされる子――ウスターシュはうんざりしつつもそれを顔に出さぬよう、努めて微笑を浮かべる。
アデーレの言葉が佳境に入る。
「……ウスターシュさん、あなたは旧帝室の正当な血を引く高貴なる身。天運あらば王位を継ぐこともある身なのです。そのこと、常日頃から重々肝に銘じますよう」
「分かっております母上」
ほとんど心を無にして日々の日課(苦行)を乗り切ったウスターシュは内心ため息をつく。
(一体、この言葉を何百回聞いたのだろう。そして今後何千回聞くのか……)
慣れたようにも思うが、最近はむしろ苦痛が増している気もする。
(私の精神的に壊れるのが早いか、母上が居なくなるのが早いか……)
少々不謹慎なことを考えてしまったと、かすかに首を振る。いくら煩わしくとも、血を分けた実の母なのだ。
「ところでウスターシュさん」
しかし、今朝はいつもの会話パターンとは少し違うようだった。
「先日なにやらおかしな噂を耳にしました」
「噂ですか?」
我ながら白々しいと思いつつも問い返す。
「なんでもウスターシュさんが街中でとある令嬢と愁嘆場を演じたとか。ええ、ええ、分かっていますよ。所詮口さがない町雀の下らぬ酒飲み話に過ぎないということは」
「もちろんです。そのようなことに私の名が庶民の口の端に上るとは、庶民の想像力も侮れませんね」
ウスターシュはわざとらしく驚いて見せる。冗談めかした台詞にアデーレは少々不満気だったが、結局は何も言わなかった。
ウスターシュが王宮の廊下を執務室へ向かう途中、見知った顔と行き違った。
「これは殿下、ご機嫌麗しゅう」
「オランニュ公も壮健そうで何よりだ」
オランニュ公爵エドモン。王位継承権第二位のウスターシュを頂く、白木蓮派――貴族派の筆頭であり、ウスターシュにとって最大の支援者にして、目下最大の『敵』でもあった。
「私に何か用かな」
「いえ、偶然行違っただけです。思いもよらず時間が空きましてな。散歩などしていたところですよ」
白々しい。とウスターシュは思う。
(六十を過ぎてなお盛んな政治的怪物が、よりによって宮中で暇な時間など)
エドモンの顔に張り付けられた微笑が、やけにウスターシュの癇に障った。
「いや、しかし殿下はおうらやましい」
「? 何がだ?」
「若さというのは時として、物事を押し進めるうえで何よりの原動力となるのです。私のような老骨にはすでに失われてしまったものです。ただ、どうしても経験が不足してしまうのはご愛敬ですな」
勝手なことをするなということか。
「経験については翁が補ってくれよう」
「無論でございます。如何様にも御頼り下さいますよう」
嫌な微笑だ。
だが、不意にウスターシュは疑問を覚える。
エドモンほどの老練がなぜ、相手の癇に障るような表情を常に浮かべているのか。
彼ならば表情で相手の印象を操作することなど容易いはずだろう。
「そうそう、老婆心ながら忠告させていただくと、若い時分というのはものの見方が偏りやすい。気を付けることです」
不意に、それまで顔面に張り付けていた嫌な微笑を消し去り、真面目な顔で告げる。その言葉も普段の迂遠な物言いと異なる率直さだった。
「なに?」
「それでは失礼いたします」
一瞬で元の顔に戻ったエドモンが歩み去る。
ウスターシュは戸惑いながらも見送るしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます