第一章 エピローグ

【カレン】

「いやあ、残念残念」


 市庁舎の応接室で上座に座った黒髪の男性エルフが楽しそうに笑っています。

 彼が魔王とまで言われたハイエルフ、ハインツ・エリシス・グラース。

 ……ちょっとイメージと違いますね。


「一足違いとは、タイミングが悪かったようだ。市長殿も、騒がせてすまない」

「いえいえ、ミクラガルズ連合王国は我が国とは三百年来の友好国。その重鎮たるハインツ様の来訪は、歓迎こそすれ騒がしいなどと思いもしませぬ」


 市長さんが額の汗をハンカチで拭きながら、唐突な来訪者に対応します。

 それにしても、ハインツ様のわざとらしい台詞。やはり、敢えて派手な来訪をしたのは、レミリア様を連れ戻しに来た体で、むしろ逃がすためだったようですね。


「いやいや、儂も急ぎでなければもう少し穏便な方法で来訪させて頂いたのだが……。この詫びは、またいずれさせて頂こう」

「滅相もございません、詫びなど。我が国はいつでもハインツ様を歓迎いたしますぞ」

「そうかね」


 主語が『私』でも『ローアン』でもなく、『我が国』なのがミソですね。


「ま、社交辞令はこれくらいにして、レミリアーヌは元気にしておりましたかな?」


 市長さんが冒険者ギルド長に視線を向けます。


「サニエ殿」


 それを受けて冒険者ギルド長の視線が向かったのはクラリスさんです。


「クラリス君」


 嫌な顔を隠そうともしないクラリスさんを、ハインツ様が面白そうに眺めます。


「それでは、僭越ながら私が……」


 クラリスさんがここ一カ月のレミリア様の行動を詳細に語ります。


「なるほどなるほど。いや、あの子の意外な一面が垣間見えたな」

「意外ですか?」


 思わず口をついてしまいます。


「うん? 君は……」

「カレンと申します。レミリアーヌ様とは友人としてお付き合いさせて頂いています」


 ちなみにこの場にはノエルも同席していますが、出された茶菓子に夢中で完全に戦力外です。


「友か」


 ハインツ様が少し遠い目をします。


「儂にもかつて人族の友がいた。それは大いなる喜びであるとともに……別れの悲哀をも約束する。当時の儂はその意味を、真には理解していなかったが」


 エルフと人族は生きる時間が違います。エルフである彼は必然的に、人族の友人その全てに先立たれたのでしょう。


「失礼ながら、ひょっとしてレミリアーヌ様を憐れんでいらっしゃいますか?」

「あの子も儂の可愛い曾孫でね。少し心が弱いのを懸念はしている」


 寿命が違う以上別れは必然です。レミリア様もハインツ様同様、人族の知人達から取り残されることがほぼ確定しています。

 ですが、


「であるならば、それは少々お心得違いかと」

「ほう?」

「一つお聞きしたいのですが、ハインツ様はレミリアーヌ様の行動を逃避と捉えておいでですか?」

「そうだね。貴族の義務を蔑ろにしたのだから、これは逃げだろう」

「そこから違うのです」

「ふむ?」


 クラリスさんや市長さんが慌てたような顔をします。貴族に対する態度ではないことは、私も承知しています。ですがここで言わなければなりません。


「レミリアーヌ様は……」


 ごくりと唾を飲み込みます。

 おそらく合っているはずですが、私がレミリア様に対して確信していること、これを口に出すのは少し勇気が要りました。


「レミリアーヌ様は……」

「レミリアーヌは?」

「……何も考えていません」

「……ん?」


 ハインツ様が僅かに首を傾げます。

 ノエルがこくこくうなずいています。

 他の大半の同席者は青い顔をするか首を傾げているかどちらかですが。


「何も考えず、心の赴くまま、レミリアーヌ様自らが、真に欲することをしているだけです」

「……それは逃避ではないのかね?」

「違います」


 息を整えて続けます。


「逃げるだけならもっと良い場所がいくらでもあるはずです。それを、よりによって隣国の小さな町に逃げ込むなど、見つけてくれと言っているようなものです」

「そうだね。実際、レミリアーヌがこの街で活動を始めたことは、二日後には儂の耳に入っていた」


 二日……予想以上の早さでしたね。


「にも拘らず、普通の貴族令嬢ではありえない、見つかる危険の大きい冒険者の道を選んだのは、レミリアーヌ様にとってそれこそが自然だったからです」

「……」

「自分に合わないけれど容易な道を捨てて、自分が望む困難な道を選ぶことが逃避でしょうか? 私はそうは思いません」


 能力はともかく、周囲がそれを許さないという意味で、レミリア様にとって冒険者は困難な道でしょう。


「今後レミリアーヌ様は後悔することもあるでしょう。失敗することもあるでしょう。絶望することすらあるかもしれません。ですが自らの心に従う限り、前を向き続けることができるはずです。例え私達が居なくなった後でも」

「……」


 ハインツ様は少し考え込んだ後、それまでの作った表情ではない本物の微笑を浮かべます。


「あの子はどうやら、良い友人と出会えたようだな」


 ハインツ様は急に立ち上がると、出口に向かいます。


「突然来ておきながらすまないが、そろそろ失礼するよ」


 唐突な行動に皆慌てています。私(とノエル)はあわてず騒がず、立ち上がって見送ります。


「カレン殿。レミリアーヌの事をお願いする。たまには喧嘩もしてくれると嬉しんだが」

「え、喧嘩ですか?」


 いや、喧嘩はちょっと。


「あの子は今まで人と喧嘩もしたことがなくてね。少しは経験しておいた方が良いと思うのだ」

「うーん……お断りします」

「駄目かね」

「駄目ですね。喧嘩とか出来そうもありません。親友なので!」

「そうか。まぁ、頼んでするものでもないか。ではな」


 そう言ってこちらに手を振ると、飛行帽を被って颯爽と歩き去ってしまいます。

 同席者はそれを茫然と見送ります。


「あ、お見送り! お見送りしろ!」


 市長さん以下が慌てて後を追います。

 私は……、まぁいいか。ノエルも見送る時こそ立っていましたが、再び座り込んで茶菓子をパクパクしています。

 それにしても、来る時も帰る時も、風のような人でした。腰が軽いというか。

 『魔王』のイメージと随分違いますね。


「いずれ戻るとしても、今じゃない」


 ノエルがぼそりと呟きます。


「そうね。レミリア様には私たちが死ぬくらいまで、こっちにいてもらうわ!」

「長くない?」

「そりゃそうよ。目一杯、一緒に遊んでもらわないと。私は欲深なのよ」


 まずはCランク。

 そして王都へ。

 人族の人生は短い。さっさとレミリア様に追いつかないとね!

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