第169話 分立
本物の城壁に囲まれた360平米程度の敷地に聳え立つのは、オスマン建築に影響を受けた豪邸。
その存在を以て、ヴィズの新しいボスは何一つ嘘をついていない事が証明された。
「なかなか詩的よね。人類誕生の地で、人生の再スタートを切るなんて」
「ザラザラしてる」と城壁をなぞるローレンシア。
表面の風化した壁から砂が削れたが、堅牢さは健在のようだった。
門扉は装甲扉だったが、木材が腐りかけ………。
「こいつは交換が必要だな……」
ヴィズが取手に手を掛けると、蝶番が大きく軋み、人を飲み込まんと倒れかかる。
素早く後退し、風圧に煽られた砂嵐から顔を覆い、頭髪に埃っぽい白髪を増やした。
「ヴィズさん、大丈夫ですか?」
こんな事で慌てるなと、駆け寄るキーラを手で制し、役立たずを貶む目でボロ扉を見下した。
「こいつは………早急な交換が必要だ」
倒れた扉を踏みつけながら、城壁の内側はと足を運ぶ。
そこに取り残されていたのは、俗世から切り取られた植民地時代の名残だった。
濁った噴水を持つ池、雑草が占拠した花壇に、矩形岩を積み立てた強固な邸宅要塞。
元の所有者の権力とパラノイアを反映していたであろう建築物の数々。
「まず、掃除が必要だな。それから設備の復旧………。防犯装置も見直す必要がある」
エントランスに手を掛けるヴィズ。今度は扉が倒れてくる事はなかったが、ドアノブそのものが動かない。
「くそ、この扉もイカれてやがる」
「修理しないと入れませんね。自宅の窓ガラスを割るのも気が引けますし………」
「面倒くさいから、お前らはどいてろ」
そう言って、キーラとローレンシアを退がらせると、扉が3歩ほど距離をとる。
「えっ、何するです?」
「蹴破るつもりなんでしょ」
「そうだっ」
そして、SWATの強襲部隊よろしく、扉を蹴り壊した。
バキリと埋め込まれた金具が引き剥がされ、片方は蝶番を軸にスイング。もう片方は壁から剥がれ落ちて門番の役目を終えた。
悠久の時を経て雪崩れ込んだ陽光と熱風が、騒霊でも追い出したように埃が駆け巡る。
破壊の余韻を抜きながら、「ようこそ、我が家へ」と2人を招く。
「これで人の家だったら面白いよね」
「面白くないですよ。笑うしかないですけど………」
ぶち破られた扉は、エントランスホールに繋がっており、上階へと伸びる階段と出入り口を除いても三方向に通用口が設けられている。
「うわっ……ほぼ心霊スポットじゃないですか……」
石壁を軸にしていた壁板は、悪魔の爪痕のように禍々しく裂け、カーペット類には菌類による新たな生態系が構築されている。
「テセウスの船も顔負けな改装が必要そう」
廃墟という未開のジャングルのような迷宮で、リーダーシップを発揮したのは、潜入工作員の経歴を持つヴィズ。
服の裾を捲ったマスクを顔に、2人を指で操つる。
「さて、キーラは地下、私は一階。ローレンシア、お前は上を調べろ。不法占拠者がいたら、借家料を取り立ててから追い出せ」
それぞれ手や衣類で未知の胞子から呼吸器を守りつつ、石畳に靴の音を響かせた。
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キーラはヴィズと同行して階下は降りるための階段を探した。
「ヴィズさんとローレンシアさんと私で共同生活か………なんか、アメリカで拉致された時はこんな風になるなんて思いもよらなかったです」
カビの臭いに慣れてくると、適切な時点で家屋の荒廃具合を査定できるようになる。
少なくともここには生物の気配は無い。
ヴィズはタバコを口に挟む。着火とともに丁寧に火種を赤熱させ、まるで香味に結び付いた過去を懐かしむように、部屋を白ませた。
「……そうだな。結局、私には儲かる仕事だったけどな」
“金以外にも”と言う言葉は、タールと共に肺に押し込み、会話に詰まったキーラが話題を変えるように仕向ける。
「し、仕事と言えば、ルーリナさんの目的ってなんだったのでしょうね。
確かに世界は今までと違う変化を示していますけど、それが平和に向かっているかどうかは分かりませんよ」
「お前がそう考えるようになった事がルーリナの願いが叶った証拠だろう」とタバコをお辞儀させる。
「………皮肉じゃ………ないですよね?」
キーラは目を細めヴィズとの関係を象徴する“レスバなら負けないぞ”といういくつもの返答を思案した半信半疑な目を向ける。
「うん、本気」
だが、ヴィズがキーラに投げ返した答えは声色、表情まで常態化した親愛に沿ったものだった。
「結局のところルーリナの狙いは、核兵器にまつわる情報戦なんかも含めて、世界中の人間が信じている“国際社会の道理”を崩壊させる事だったと考えてる。
今の世界とて、基盤には第二世界大戦のトラウマを拭うために、安寧への渇望から作られた世界だったからルーリナの理想は既に叶っていたと言っても間違っていなかっただろう」
ヴィズの吸血鬼の総大将に対する理解は、共同生活と共闘を得て啓発の深度にまで達し、少なくともヴィズ自身が進んで彼女の行動に理解を示したのだ。
しかし、それを他人に伝えるのは難しい。
「本当なら私のポジションは、あんたが担うべきだったよ」
キーラは場を乱さないように引き攣った笑みを浮かべ、心の声を代弁した表情は、絵に描いたような困り顔を見せる。
「…………銃撃戦を始めたり、意地の悪い先輩方に喧嘩を売るのは私には無理でしたよ」
キーラの言葉を“軟弱”と一蹴してしまえばそれまでだが、彼女が苦手とするコミュニケーション以上に、ルーリナの相手をするには我の強さが必要だったのも事実。
若さ故の柔軟さと本質的な素直さを持つキーラには、ルーリナが善人であり、クズである事を理解するには時間が掛かるだろう。
理解の一助の為、ヴィズはルーリナが見せたモノを言葉でキーラに伝えた。
彼女なら、今すぐ意味を理解出来なくても、言葉を記憶し続け、ある時に理解し終えるだろうと。
「ルーリナは、平和への勤勉さを失っていた国々を叩き起こしたのさ、そろそろ自分の頭を使わないと“私みたいな奴でも世界を滅ぼせるぞ”ってな。
その結果、今のあんたは自分が生る為に頭を使っている。たぶん、世界中の政府も同じような状態になっているだろうさ」
キーラは目を丸くする。まるで公衆トイレの落書きに哲学思想を得たように。
「人間関係も世界情勢しかり、共同歩調なんてものは“航路の取り決め”でしかない。
それを勘違いして“潮流”に乗っていれば、行き着く先は世界の端にあるあの世へと続く大きな滝だ。
私たちは自前の船で流れを見極める必要がある。独自の舵と自律した船頭が必要で、外力を読んだうえで自分の頭で選択しなければならないんだ。例え孤立するとしてもな」
どれかの言葉が引っかかったのか、キーラは、お耳を拝借と宣うように目をくるりと周し、指を鳴らす。
「なるほど………孤立と言えば……。
外部の状態に関係なく動作する独立したシステムをスタンドアローンって呼ぶんですよ」
その単語を聞いて、ヴィズが思い浮かべたのは、自動追尾式対空ミサイル。ベトナムで従事した非合法で、特別に大きな裁量を与えられた秘密工作任務。そして、最近まで所属していた組織の行動規範だった。
「そうか。
……吸血鬼を連れて来いって命令だけで、マイアミからカリフォルニアまで行った私。
イギリスの墓地で200年自己研鑽を続けたローレンシア。
日本での同調しない共同作戦。
そして、今回の計画。その結果までもが全部スタンドアローン仕様だな」
「全部、ルーリナさんの手のひらの上の出来事だったという事なのでしょうか……………?」
「……………いや。違うな。私もお前も利用されてたわけじゃない。
私たちは、ルーリナが求めていた“荒唐無稽な理想”の実現性を最初から証明し続けていただけだ」
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タバコをねじ消し、“雑談はここまで”と腰を上げるヴィズ。
最後の煙を吐きながら、指で輪を描いてから方向を指し示し、行動に移れとサインを出す。
キーラもOKサインを出しながら、ふっと何かを思いついたように中腰で動きを止めた。
「………ヴィズさん。もし今回の出来事にエンディング曲をつけるとしたら、何にします?」
燃え滓を空の花瓶へ投げ込みながら、質問に鋭く切り返す。
「そうだな、ジミヘンの『If 6 was 9』だろう」
70年代の曲を挙げられても、キーラは「えっーーと……」という具合に、ピンときていな様子。
ヴィズも我が家の修繕見積の合間に、それらしい答えを口走った。
「ジミー・ヘンドリックスはこう言ったんだ。
変化は起こるべくして起こる。
それこそ、
でも、気に病む必要はない。そんな事程じゃ、変わらないモノだってあるってな。
…………例えば私の生き方。次にあんたと私の関係とかね」
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