第136話 掩蔽壕
キューバの空はまだ夜を明かしてなかったた。
太陽も月も水平線の下にある空は、ルーリナの心を模写したように朝と夜の混じった淡い紫色で、煮え切らないままに新たな一日の始まりを告げていた。
そんな夜気で澄んだ大気に、ド、ド、ドとガソリンエンジンの咳がこだまする。
排気管が小さく火を吐き、蒸気機関車のような黒煙を吹く。
煙は渦潮のように空気の波となり、遅刻して現れたヴィズの周りを取り巻いた。
黒煙を纏ったヴィズは、ルーリナが思わず声をかけてしまうほどヨロヨロとして、覇気はもちろん、若干の生気も失っているようなに見えた。
「ねぇ、ヴィズ。昨日の話覚えてる?」
「………もちろん…………」
反応は鈍く、戦士はおろか正常な人間以下の反応速度で行動している。
間違いなく典型な二日酔いの兆候だ。
「今のヴィズは冬眠中の熊みたい。しおらしくていいじゃない」
ルーリナの心配を嘲笑うために、ローレンシアも集合場所に到着。
「ローレンシアは黙ってて。で、ヴィズ。その後の話は?」
詰問に対しジャンク品の着せ替え人形のように目がギョロリと動く。
「…………学科試験があるなんて聞いてないぞ」
反省と不服の反する二律を取り繕おうとタバコを咥えるヴィズを、ルーリナは指を鳴らして
「覚えてないの? 大量破壊兵器の話だよ、この酔っぱらい」
ルーリナが語句を声量で強調すると、ローレンシアもそれに同調。
「ルー! ヴィズを尊重してあげてよ。彼女は影響のある者に媚びない主義なんだ!」
場の声量と反比例してうめきながら顔を手で覆うヴィズ。その痛々しさはまるで除霊される悪霊のようだ。
「………頭に響くから1人ずつ話せ。誰でもいいから頭を撃ちたくなる」
スチールウールの音がしそうなボサボサの髪をかきあげ、さらにタバコをぴょこぴょこと上下させた。
「ルー、あの話は忘れちゃいないさ。しっかり覚えてる」
「じゃあ、なんで呼吸がアルコール臭くて、片目が開ききってない上に、近代芸術のオブジェみたいな髪型になっているの?」
「しかも、ヴィズの風下にいると分かるけど、ゲロを食べた野良犬みたいな臭いがする」
ヴィズは手頃な石を探した。しかし、再び顔を上げた時にはローレンシアは自身の危機を察してルーリナの背後に逃げ潜んでいた。
「チッ。すばしっこい」
突発的な苛立ちをニコチンで消炎しながら、無駄に長い沈黙と共に鼻から煙を吹く。
見方によってはアルコールの残る思考回路がオーバーヒートでも起こしたようだ。
「ルーリナ………私の容姿に対して、それが鋭い洞察力に裏打ちされた客観的事実のようだが、何も心配しなくていい」
「これから前代未聞の大仕事に取り掛かる雰囲気じゃないのは確かだよ」
笑顔なのか不満なのかタバコの火種が上向き、反対の口端がへの字に歪む。
「
そうして、ジープのサイドステップに足を掛けたヴィズ。距離感を見誤り手がフレームの縁を掴み損ねる。
危うく転ぶところをルーリナが手を伸ばしバランスを取る手助けに加わった。
「もう! この格好つけたがりの酔っ払い! これ以上問題を増やさないでよ」
転び掛けた事実を無視して、悪びれる事なく服の襟を正す仕草と共に背筋を伸ばすヴィズ。
「杞憂に悩まされてばかりじゃ、心を病むぞ」
「切迫して現実味のある憂いは、杞憂というより議題よ」
「これでもやる事はきっちりやるタチなんでね………例えば……」
荷台に乗りながらタバコを咥えるヴィズ。
ついでに、ヴィズから隠れて荷台に寝転んでいたローレンシアの足を踏みつけた。
「侮辱の落とし前とかな」
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やっとのことで出発した一行を迎えたのは、木の根のようにうねる道と泥と砂と岩肌が混在する未舗装路だった。
「酷い道だ。ドライブシャフトをぶつけそうだ」と呟くヴィズ。
配車のサービスとばかりに、積まれていたアサルトライフルを杖代わりに身体を支え、悪路の縦揺れで舌を噛み切らない為に音を引き摺るように喋る。
「こんなの道というより
小柄な四肢でジープを駆るルーリナは、見極めの難しい路面を着実にパスしていく。
その判断力と感性にはヴィズですら舌を巻くものがあった。
「それにしても、オフロード走行に慣れてるな」
「まぁね、70年代までアフリカでよくトラックに乗ってた。
1日5kmも進めない泥道を何度も往復すれば少しはコツを掴めるようになるよ」
ルーリナは確かに運転を器用にこなしていた。
タイヤが泥に飲まれように変速ギアと駆動輪、アクセルを使いわけ、車体と乗員を岩から保護するようにハンドルを捌く。
「この道の問題は帰りだな。“ブツ”の重量によっては簡単にスタックしそうな泥道だ。
泥の中で車を押す羽目になるのはごめんだ」
ルーリナは名人芸を連発していた。その事実を言い換えれば、この道は常識なら通行不可とされるべきなのだ。
「あの岩山が雨水を収束させてるみたいね、帰りは海岸線に周ってみましょうか。砂の方が泥よりマシかも知れない」
「万が一スタックしたら………」
車が
対策としては、タイヤの空気圧を下げて、地面との設置面積を増やす事や、タイヤと地面の間に鉄板などを引き、駆動力が地面に伝わるようにする事があげられる。
「タイヤに何かを噛ませないとな……ローレンシアあたりの丈夫な物を、なぁ?」
「えぇ、喜んでやるけど、こんな私でも知らない事は上手くできない。一回だけお手本を見せてね、ヴィズ」
「幸い駆動輪は2つある。2人で仲良くわければいいじゃない」
雑談に雑談を重ねていると、ルーリナは急にブレーキを踏んだ。
「っと、そろそろのはず………おっと此処かな?」
突然森が開け、山腹の開けた草原が現れたのだ。
「基地を探しているんだよね。これはただの山に見える」とローレンシアが揶揄を込め評する。
その一方で、不自然な形の稜線と木々の伐採跡に目をつけたヴィズが場所の意味を探り当てた。
「これは………バカでかいトーチカなのか?」
ルーリナたちがたどり着いたのは偽装工作と風化で完璧な擬態を身につけた地下掩蔽壕の搬入口だったのだ。
「ざっと40年前の兵器格納庫だね。さすがに
……共産主義勢力特有の爬虫類みたいに無愛想な憲兵や警備隊はいなさそうだ」
車を門扉に横付けし、3人は改めて軍事施設の遺跡に目を凝らすと、入り口にかろうじてソビエトの国章が見てとれる。
「ふーん。地下に拠点を構えるとは、この共産主義者というのは非常に優れた考え方を持っているみたいだね。少なくとも私と同じ着眼点だ」
「ね? ね?」とヴィズの脇を小突くローレンシア。
ヴィズは、スプレーのように紫煙を吹いた。
「なるほど、確かに、
「ひどい事言うと………相手してあげないから」
いつまでも乳繰り合いを続けそうな2人をルーリナがまとめる。
少なくとも、ローレンシアはヴィズが拳を作るまでちょっかいを掛け続けるつもりだった………。
「2人とも、そろそろ集中してちょうだい。
言うまでもなくなく、この神さびた旧共産主義勢力の武器庫は火気厳禁だから。
タバコ、懐中電灯の持ち込みは禁止。ヴィズ。魔術、銃の発砲も厳禁だよ。
光はケミカルライトを使うように」
ルーリナが車からテキパキと道具を下す間、ヴィズは警戒心と猜疑心から地面や景観を見回し、古い足跡やタイヤの跡を見つけ出した。
「無人じゃないかもな」
「あり得るよ。地元の古物商の皆様方が出入りしているようね。
念の為、私が先にガイガーカウンターと気体検知器を持って先行して、放射能汚染や危険の有無、安全を確認する」
ルーリナと小型の宇宙人のような防護服に着替え始めると、ローレンシアが小間使いに成り下がり装着を手伝った。
「ルー。一つ言わせて、その格好とても似合っているよ。いつまでも見ていたい」
恋したような眼差しと色香を漂わせる声色を織り交ぜ、ローレンシアが褒め讃えたのは、黄色一色の防護服。
「その格好だと、顔が際立ってるよ」
そのまま口説き文句でも羅列しそうな勢いで、顎に該当するガスマスクの吸入口に人差し指を添わせる。
その手をルーリアは蚊と同等の扱いで叩いた。
「偏光フィルムで顔なんか見えてないでしょ」
顔が際立つなど抜かしたローレンシアだが、実際に見えているのは、消灯したテレビ画面と変わらない保護マスク。自発的な手助けから入る分かりやすいウザ絡みの一例だ。
しかし、ルーリナに叩かれた手が余程痛かったらしく、手を労わりながら顎でバンカーを示す。
「もし、あなただけに不幸な事に中で連絡が途絶えた場合、私たちはどうすればいいの?」
「連絡できないほど瞬時に意識を失うなら放射能汚染ではないくて、何かしらの有毒ガスだろうから……なんとかして助けに来て欲しいかな」
“失恋”したローレンシアが浮かべたのは笑みだった。
「もちろん行くよ。ただミイラ取りがミイラにならないように、入念に地質調査をしてからね」
「…………ヴィズ。貴女を信じているからね」
「任せろ。意見が一つにまとまるようにしてから、すぐ駆けつける」
機材を身につけ、仄暗い軍事施設の廃墟へと赴くルーリナ。
そのまま澱みない足取りで、ツタが生い茂る格納庫搬出口の中へと消えていく。
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