吸血鬼の謀
第132話 苦情
フィンランドで起きた火事が猛威を振るっている頃、ルーリナはヴィズとローレンシア、軍関係者を基地内に併設されたバーへと招待していた。
「まず、祝杯をあげよう。交渉は上手くいったからね」
建築資材の入手困難な離島のバーには、真っ直ぐな柱は存在せず、壁や床に使われている塩水対策の施された茶色い木材は、元々は帆船の廃材だったのだとフジツボの化石が物語っている。
「ここからは自由時間でいいよ。酒代は私が持ってあげよう」
ルーリナはショービズの司会のように指先で視線を酒の棚へと誘導する。
「そうか。
その甘言の魔力は、ヴィズがひび割れた合板のような微笑を浮かべるほどだった。
普段なら反骨精神の塊のような彼女も、この時ばかりはレーザー誘導型ミサイルを上回って酒の品種と銘柄を識別にお熱になっている。
「しかもなかなかの有効打でしょ?」
したり顔を浮かべる提案者の声も届かずカウンターへと吸い寄せられるヴィズ。
ルーリナがヴィズの行動に目をつけていると、立ち位置を交換したつもりなのかローレンシアが側まで歩み寄った。
「ルーリナの言うことを聞くなんて、ヴィズにはプライドがないのかな」
ローレンシアがなぜそんな事を聞いてくるのかは簡単だ。
彼女はルーリナに反抗する事を愉快に感じる感性の持ち主で、さらに、非情なまでにまどろっこしい物言いこそ彼女の甘え方なのだから。
「彼女は、私のすぐ近くにいる誰かさんよりもずっと賢いのよ」
ローレンシアがみせた眼中にすらないという態度は、“構われた”事に対する喜びの反作用。
「そうやって人を貶めるのは良くないよ」
お前が言うなと言いたい。が、そんな事を言えば、イタズラ小僧に新品のマッチ箱を与えるようなものだ………。
くだらない雑談の間に、ヴィズがカウンターから酒瓶を両手に舞い戻る。
「ふふふ、悪くない品揃えだ」
ローレンシアなど小物に見えてしまうほど恐ろしい事に彼女が持っている瓶は、どちらも容量の約半分をアルコールが占めている代物だ。
「ヴィズ。呑んでも飲まれるなだよ。とにかく飲み過ぎないようにね」
「私のような奴にとって飲み過ぎるとは哲学みたいなもんだ」
ルーリナは、胸の内で独自を溢す。
“想定していた事だけど………静かな夜は望めないだろな”
————————————————————
酒宴の覇者として酒を煽るヴィズと、そんな彼女に正面から太刀打ちするローレンシア。
見てくれだけは秀麗な2人の周りには、自然と酒と騒ぎを求めた人々が集まり始め、どんちゃん騒ぎが起きていた。
「いいか、お前ら……」とウィスキーを脇に抱えたヴィズの、彼女自身にしか分からない難解な諸問題を人々に語り、絡み酒を謳歌。
その苛烈さは奢りの文言に釣られた屈強なキューバ人兵士が舌を巻くほどであり、あのローレンシアが酔い潰れた真似をするほど。
腕に覚えのある若者がヴィズに飲み比べを仕掛け、その度に次々と返り討ちにあい。死屍累々と泥酔者が転がっていく。
今やこの酒場は、観測者効果の働かない熱気を帯びた地獄絵図の舞台なのだ。
最初こそ酒場の雰囲気に合わせて酒を嗜んでいたルーリナも、手のつけられない熱狂に追いやられ、昼間のコウモリのように店の隅へと落ちのびていた。
そして、そんなふうに雰囲気だけを嗜んでいた彼女のポケットの中で電話が震えた。
「あ、こんな時の電話はだいたい悪いニュースなんだよね………」
独り言共に席を立つ。
乱痴気騒ぎのど真ん中ではまともな通話は期待できない。
寝転んだ酔っ払いを踏まないように外へと足を運び、何コールか待たせた相手へ謝罪を述べる。
「こちらルーリナ。待たせて悪かったね……」
「ルー。貴女のせいで命を狙われたわ……」
第一声は文句。声の主のはシエーラ。
続けて奇抜な挨拶から続く恨み節が、電波に置換されていく。
「……だから、貴女には私を助ける義務があると思うのだけど?」
“悪いニュースの予感”ルーリナの直感が当たった。
プロの傭兵からの開口一番の非難は荒唐無稽な部類だったが、それが逆にルーリナに非常事態を悟らせる。
「シエーラ? いきなりどうしたの?
確かに私は諸悪の根源かもしれないけど、謂れのない罵倒を受ける筋合いまでは請けてないよ」
電波の精度は悪くノイズが耳に障り、しかも向こうのマイクは音声以外に船外機の音と風の音も拾っている。
どこからどうみても野外からの緊急連絡だ。
「そりゃあ、お互いさまよルー。
私も山のように恨みを買っているけど、さすがに軍隊レベルの装備を持った一個小隊に狙われるほどじゃない。
私にそんな連中が差し向けられたとなれば、原因は貴女しかないでしょう?」
“襲われた”とシンプルに言わないのはシエーラの怒りのボルテージが最高潮にあるからだ、普段よりも荒めのフランス語訛りもその推測を確信へと繰り上げる。
「………確かに。ただの同業者の報復じゃなさそうね。
取り敢えず、今は無事なの?」
状況判断の精度を上げる為に、他愛の無い会話で情報を引き出す。
「まぁ、ぼちぼちってところね。家を燃やして、腕の肉を軽く削がれて、無一文で極寒の地を逃走しているだけだから」
少なくとも電話と皮肉を考える程度の余裕はあるようだ。
「うん。機嫌と状況が悪い事は分かった」
シエーラの鬱憤は出し切ったため息が衛星を介して、ルーリナの耳元へ。
続いて、怒りの波が引いた冷静な言葉が届いた。
「ルー。私を狙ったのはプロだった。恐らく実戦経験のある部隊に属してた連中で、装備もチンピラが揃れる代物じゃない。連中の目的は私をパイプにあんたを捕捉する事で間違いなかったと思うよ」
「でも、倒したんでしょ?」
シエーラの敵に対する評価に疑問を抱く余地はない。彼女が始末した敵も相応に優秀だったはずだ。
だが、彼女を暗殺するのは不可能だった。
当然だ、ここ半世紀の不正規戦に携わってきた彼女の頭にはあらゆる強襲作戦の記録が収まり、生死を分ける選択に関するデータがある。そんな襲撃と護衛のプロフェッショナルが並みのベテランごときに殺される道理がない。
「確かに5体満足で切り抜ける事ができた。
ただ今回は運が良かった。単に意表を突けただけと思う。
次はこっちがやられるかもしれない」
シエーラは、頭脳明晰で用意周到で失念深く、臆病だ。だからこそ彼女の言葉には重みがある。
「……心当たりがある。私の周辺も不穏な空気が漂っていてね」
代謝をコントロールできる吸血鬼の体も手に汗が滲み、電波が邪魔をしなければ見抜かれる程度に声色にも変化が宿る。ルーリナの中で、キュア・アクア号の沈没ととシエーラへの襲撃が一つの共通項となったのだ。
「少しでも責任を感じたのなら、ほとぼりが冷めるまで隠れる為の支援をして欲しい」
資本的にも精神的にもシエーラへの支援に抵抗も損もない………が。
「シエーラ。貴女を保護するのは賛成するのだけど、一つ提案がある」
「提案? ロクな事じゃないでしょうね」
敵の容赦無さと行動力を見る限り、ただ雲隠れした程度で諦めるような気配はない。
さらにルーリナとシエーラの付き合いの長さ、彼女を失う恐怖と彼女を仲間に加えるメリットを考えれば、巻き込んでしまう方がコストはいくらかけてもお釣りが出ると踏んだ。
「………シエーラ、少し大胆になって、私と一緒にほとぼりを冷ますのを手伝ってくれない?」
シエーラが“1人の方が安全だ”と言い出したら、説得は無理だろうと打算している。
そうなればルーリナは彼女が一生懸命足掻く事を望み、
だが、シエーラは、見た目では測れないほど執念深い性格でもあるはずだ。
「……………貴女の側にいるのが一番、安全で危険なのでしょうね。
分かった。元々フランス人は脅威に対して背を向けるのは苦手だ」
「ほら、悪魔が地獄から来るな……空に……」
「違う。悪魔が空から来るのなら、地獄に飛び降りろだ」
「じゃあ、私と一緒に地獄までついてきてくれる?」
「もちろん。そろそろ“暖かい”ところに行きたいと思っていた頃よ」
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