第90話 真夜中

ペシッ!


 そんな音を聞いたヴィズは、真っ暗な闇の中で寝床から飛び上がった。


「———!!!」


 ぱっと辺りが明るくなり、それが敵軍のマグネシウム照明弾だと理解する。

 夜間に人海戦術を仕掛けてくるベトコンの手口だ。


 雨に濡れた土が鼻につき、ぬるま湯のような湿気が全身を覆う。塹壕の中では足元に溜まった雨水だけが冷たかった。


 脳が目を覚ますより早くヴィズの身体は近くにあるはずのアサルトライフルを探し回っていた。

 しかし、見当たらない。

 それどころか、自分の役割、防衛地点、基地の方向。全てを喪失している。


 敵味方の位置も分からず、ヴィズは声を殺して、固く狭い壁で作られた。塹壕の中を張った。


 何か物音を感じて息を諫める。

そんな彼女を暗闇の中から何かが覆いかぶさった。


「ヴィズ、私だローレンシのだ。落ち着いて」


 ローレンシアが、ベットの隙間か這い出たヴィズを羽交締めにして押さえつけたのだ。


 ヴィズは、その攻撃に必死に抵抗するが、重機のような桁違いの力で床に押しつけられ、顔はカーペットの下地の板材を感じ、体が押しつぶされて呼吸が難しくされた。

 

「ヴィズ。ローレンシアだ。敵はいない」


 ヴィズは少し状況を理解した。


 目が明るさに慣れ、自分がいるのはジャングルではなく、ビジネスホテルの部屋にいる事を思い出す。

 

 ヤニで汚れた壁紙が映り、カーペットに転がった缶ジュースが目に入る。


「あぁ、クソ」


 缶の中身はブドウジュースで、血の色にいた液体が染みを拡大させている。


「ヴィズ。放すからね? 暴れないでよ」


 解放されたヴィズは、自身の肩で息をしている体と冷や汗でびしょ濡れだと言うことに気が回った。


 呆然とするヴィズの目線は、床に放り投げられた缶ジュースに注いだ。

 ローレンシアがその缶を拾いあげた。


 「まったくもう。うなされてて、寝れないし、ジュースもダメにしちゃったじゃない」


 ヴィズは、そこで全てを悟る。

 ローレンシアが備え付けの冷蔵庫のジュースを開けたのだ。

 その時にプルタブをひねる音を弾丸の飛翔音と聞き間違えた。


「ヴィズ……大丈夫? 怖い夢でも見たの?」


 ローレンシアが心配しているといった風な顔で覗き込み、ヴィズはその体を突き飛ばす。


「お前のせいだ」


 ローレンシアは、肩をすくめた。


「ヴィズ……夜驚やきょうの気があるなんてね。抱きしめて寝てあげるか、縛りつけるべきね」


 ヴィズは立ち上がり、ハーフエルフを見下ろした。


「私に指一本触れてみろ、首をへし折って——」


 ローレンシアは、ヴィズと対面するよに椅子に座った。


「ヴィズ。あなた、自分に足りないモノはなんだと思う?」


 ヴィズはベットにあぐらをかいて座り直した。


「カウセラーのつもりか? 景気はどうだい、先生?」


 お互いに目線を合わせ、言葉よりも相手の心理を読み合う。


「当ててあげよう。狂気か希望か敵だ」


 他人に口出しされる事に抵抗感を覚えたのはヴィズの方だった。


「御高説をどうも。ついでに論文でも書けばいい」


 ローレンシアは、そんか態度を無視する。


「自分を怪物だと認めて“狂わない”から心が膿むんだ。

 自分が“環境対応者”だと認めないから世界に絶望しているんだ。

 自分が“死の隣にいたい”という願望を無視して、“敵”を作らないからストレスが溜まっているんだよ?」


 唾を飲み込みながら、“お前の話しなんか聞いていない”と態度を取り繕う。


「ご立派。タトラー誌にでも広告を載せなよ」


 ローレンシアは、またしても取り合わなかった。


「……ルーリナが世界をどうにかこうにかしようとしているのは知っているでしょう?」


 放置よりも無理矢理でも会話を切り上げようと画策する。


「金を貰ってる。大事なのはそれだけだ」


 ローレンシアは、見透かしたように笑った。


「嘘つき。あなたは組織を襲い、人を殺していいと命令されるから手伝っているんだよ。あなたが涎を流すのは、金貨の音じゃなくて、“タリホー獲物を取ってこい”の掛け声だ」


 ヴィズはここで会話を終わらせようと言葉を選ぶ。


「お前が納得するならそれでいい。議論をする気はない」


 ローレンシアの紫色の目はヴィズの全てを見透かしたようにに捉えている。


「ルーリナが——」


 ローレンシアが唇を動かすのを遮り、口撃に出た。


「あんたらは、よっぽど特別な仲だったらしいな。そんかに恋しいならタイに戻って乳繰り合えばいい」


 ヴィズは敵意を込めてローレンシアの目を睨む。それに対して彼女は投げキスをした。


「機嫌を悪くしても私は口をからね。だって私の方が


 ヴィズは拳を握り、関節からパキパキと音を出して警告する。


「試してみるか? ロンドンでの事を思い出させてやる」


 ローレンシアは、手を上げて“降参”のジェスチャーをしたが、それは本心ではない


「説くのはやめよう。ただ伝えるだけにする。あなたが本当に欲しいモノはこの世界にはない。もしソレがこの世に現れるとしたら、それはルーリナが目的を達成した後の世界だ」


 ヴィズは、「フン」と鼻を鳴らしてベットに仰向けに寝転がって、“どうでもいい”と態度で表したが、ローレンシアは話しをやめない。


「審判の日を信じる?」


 目を閉じたヴィズの耳に意外な言葉が飛び込んできた。


「審判の日ときたか。ふふふ。私はどうやらアポカリプトカルト狂信的終末論者の教団に手を貸していたようだな」


 会話を成立させたのはヴィズの完全な落ち度。


「ニーチェに言わせれば“神はくたばってる”でも、審判の日、人々が裁きを受ける日が来たらどうなる?」


 苛立ちと虚無感に包まれたヴィズは、無性にタバコを吸いたいと考えていた。


「カリフォルニアに行けばいい。あんたと話の合うヒッピーがたくさんいて、同じことを違法電波で唱えてるからな」


 身体を起こし、タバコとライター探して辺りを見回した。


「あなたはどうする?」


 ヴィズの意図を察したローレンシアは、タバコとライターがセットになってヴィズのベットに投げ入れられた。


「どうやら真剣な質問のようだな………真剣に答えよう。

 まず西アフリカで作ってる20mm弾を使う対物ライフルを手に入れて、チェンバーに弾薬を仕込む、銃口を口に咥えて、右足の親指で引き金を引き絞る。脳味噌を天国まで飛ばすのさ」


 タバコを口に咥えた。


「あなたはそんな事をしないと思うよ」


「どーだかね。308でやった奴を知ってるからな」


 肺に溜まった煙を鼻から放出し、気分が少し落ち着いたのが分かった。


「ヴィズ。宗教的終末論を口上に出したから、それに繋がるようにいうよ、この神無き時代に審判の日が来たら、この世は“ウェイストランド不毛地帯”になってしまう」


 少なくとも、何かを言い返してやろうと会話に参加する気持ちは取り戻していた。


「偉大な賢者様は、眠りかけていて知らないんだな。この世はとっくにウェイストランドだ」


 ヴィズの皮肉に、ローレンシアはピシャリと言い返した。


「みんながそれを知る時が来る」


 ヴィズがその言葉に眉間へシワを寄せると、ローレンシアは繰り返した。


「あなたを含めた。みんながね」


 ヴィズは煙を深く吸い、肺に溜めてから吐き出す。


「無駄な時間をありがとう。悪魔にうなされる方がマシだった。……この気持ちを伝えるには、かけたい言葉がたくさんあり過ぎて選べないよ」


 有毒物質に満ちた白煙がハーフエルフまでを包み込んだが、気にも留めない。


「私もいろいろ言い過ぎた。何が言い忘れてる事がないか心配」


 ヴィズは無言でタバコを吹かしていた。


「あっ、ヴィズ」


「もう何も言うな。頼むから気が変になりそうだ」


「言い忘れてた。私は何があってもあなたの味方だよ」


 ローレンシアは笑顔でそう宣い、ヴィズに何かしらの返答を求めていた。


「じゃあ、自害してくれ………」


 その返答にローレンシアはお礼でも言われたかのように柔らかい微笑みで答えた。


 ヴィズはタバコを吸う事に専念し、ローレンシアも自分のベットに横になる。


 ローレンシアが聞いているかはどうでもいいとすら考えて、タバコをもみ消しながら熟慮を重ねた言葉を漏らした。


「…………今のは取り消す。あんたは有史以来最高品質の狂人だろうけど、この国で私が頼れるのはあんたしかいないというのも事実だ」


「ふふふっ」


 その後。舌打ちをして、タバコを吸ってから、寝る事にした。

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