第89話 Patriot Anthem

 時刻は午後7時。オフィスビルの窓には大気汚染のモヤを光学的に取り払った、美しく加工された夜景が灯りだしている。


 椿は、溜まった雑務の解消に時間を費やして、部長とのミーティングまでの時間を過ごしていた。

 36時間に及ぶ彼女の通常勤務は後1時間で終了だが、12時間後の出社時刻には、名古屋支部の技術開発者と会う約束を取り付けてあったので、この後のミーティングでどんな結論が出ようとも、夜通しで名古屋に向かい、向こうの警備状況も確認しようと、オーバーワーク前提の予定を組んでいた。


 機密保全課のオフィスを後にし、部長のオフィスへと向かう途中、自分の集中力に綻びがないかと思考を巡らす。

 名古屋まで向かうには、鋭い集中力が必要だと心配しつつ喜んでもいたからだ。


 階を移動し、管理職の縄張りへ。


 擦り切れたカーペットを踏み、意識を目の前の事柄に向け直した。


 椿の上司、資産情報管理部の部長は日和見主義者で、情報統制課の課長から出世した人物だ。機密保全課の椿の上司ではあるが、行動原理や思想には畑違いというズレが常に付き纏っている。さらになかなかの狡猾さを持ち合わせている。

 彼とのミーティングは、2パターン。ディスカッション議論ディベート言い争いのどちらに転がるだろう。


 深呼吸をしてゆっくりとオフィスのドアノブに手を伸ばそうとした。


ガチャッ!


 しかし、目の前でドアノブが1人でに捻られ、咄嗟に後ずさる。


 中から人が出てきたのだ。条件反射で腰を折り、頭を下げる。


「ソレデーハ。ヨロシク、オ願イシマス」


 英語訛りのカタコトの日本語が頭の遥か上から響き、続いて聴き慣れた中年の声が聞こえた。


「こちらこそよろしくお願いします。どうぞ、お気をつけてお帰りください」


 椿が訪れたタイミングで、部長のところにいた訪問者が帰っただけのようだった。


「オゥ。コレハ、失礼シマシタ」


「あぁ、菅野課長代理か。顔を上げてくれ」


 外国人の反応ではなく、上司の許可で顔を上げ、訪問者の容姿を視認。アングロサクソン系の白人で、身長は180cm後半かそれ以上。年高は40代後半だろうかと思ったが椿には外国人の年恰好を見定める自信はなかった。


「菅野課長代理。こちらはバージニア・セキリティのローグさんだ。ローグさんこの人が機密保全課の菅野だ」


 外国人は、柔らかい笑顔と目で握手を求め、椿は少し戸惑いながら手を差し伸べた。


「機密保全の菅野です。

 ……バージニアという事は、アメリカの企業人ですか」


 外国人は固く力強い握手を交わしながら答えた。


「イエース。合衆国ノ会社ノ者デース。以後オ見知リ起キ、オ願イシマース」


 部長が、それとなく片手で謝るような仕草で2人の会話を遮り、外国人に帰るように促し、彼はそれに従ってエレベーターへと向かって行った。


 外国人と入れ替わるようにオフィスに入る。


「彼は営業マンですか?」


「そうだ。アメリカの警備会社の者らしい」


 部長は手で椿に座るように促し、椿はそれに従った。


「よりにもよって、このジンドウになんの用なんでしょうか………企業スパイかもしれませんよ?」


「警備パックの売り込みだったが、帰ってもらったよ。うちには優秀なロボットと社員がいるから必要ないとね。気になるなら名刺のコピーを渡そうか?」


「……貰っておきますよ。人を疑って給料を貰っていますから」


 部長は、書類の山のなかから名刺読み取り装置を探し出し、その電子データ化して椿の端末に転送。椿はそれを鵺に送りつけた。


「いただきました……」


「ところで、菅野課長代理。鹿児島の件で進展があったそうだね?

 その件で、私は少し戸惑っているんだよ。トラブルがあると言ったかと思えば、無いと言い、今は再び深刻な問題だと言っているそうじゃないか」


 椿は、情報漏洩の口頭からデータ漏洩までの作為的、過失的など全ての状態を精査し、過程を逐次報告し終えた後、鵺の知見を得て最終報告を提出していた。これは機密保全課において、事態の分析結果だ。

 それに対し、部長は“正答”だけを求めている。


「全容は把握できていませんが、本社のネットワークが盗まれている可能性があります」


 “鹿児島の件”はすでに次の展開を見せているというのが椿の進言。

 部長はそれに難色を示した。


「君はそう言うが……その証拠はあるのかい?」


 部長の言う証拠は、ジンドウの損失だ。椿はそれを出さないように行動している。このジレンマが、立場の弱い椿を不利にしていた。


「現段階で、確認された損失ははありません」


 椿のこの報告は“冤罪の自白”のような物だった。椿の耳に何かしらの損失という情報が届いていれば、それは部長の元に集まった情報が開示されたと言う事だからだ。


 部長は、ビジネスマンの無表情のまま、勝ちを宣言。

 

「のようだね………資産情報管理部には、君たちの課の他に情報統制課があって、サイバー攻撃に関しては彼らの領域で、しかも、彼らはそんな報告は一切あげていないのだよ」


 “問題無し、ご苦労様”という圧力に、椿は物申す。


「はい。それは存じ上げています。ですが、見落としがある可能性もゼロじゃないでしょう。こちらの課で外部監査を——」


 椿は、一瞬だけ自分に嫌悪感を向けられた事を感じ取っていた。


「椿課長代理。それは傲慢だよ。そもそも課同士で合同作業を行いたいのなら、予め情報統制課の課長も呼んでおくべきだったのだよ」


 椿が部長に直談判をしに行ったのには、意見を確実に伝える目的の他に、課長代理である椿は、情報統制課の“課長”に立場上逆らえないという枷を無視する意図もあった。


「部長。単刀直入に言います。情報統制課の点検リストを確認したいのです」


 椿はその段階で、謎のハッカーの他に、部長も敵に回してしまった。


「簡潔に答えよう。駄目だ。菅野課長代理。

 その情報こそ重大な機密だと言うのが、機密保全課の君たちなら分かるだろう?

 君は馬鹿ではないのは分かっているが、他人の職場を荒らすような真似は認められない」


 胸の中で舌を打つ。


「分かりました」


 部長は、ご満悦だった。


「相談は以上かね?」 


 椿は、背筋を伸ばし、頭を下げた。


「はい。以上です。ありがとうございました。では……失礼して、退室させてもらいます」


 部屋から出ようとする彼女に背中から言葉の釘が刺さる。


「菅野課長代理。当然知っていて、伝えるのも馬鹿馬鹿しいのは承知で言っておくが、この部屋での会話は監査の方に伝わるようになっている。君の発言に問題は無いが、職務態度や勤務素行に疑念を向けられる可能性は考慮して欲しい。言うまでもなく怪しい行動や馬鹿な真似はしないでおくれよ」


 椿は、平社員の声色で答えた。


「もちろん分かっております」


————————————————————


 オフィスを出た椿は、すぐに鵺に連絡をとった。


「電波はどう?」


 イヤーピースに手を当てながら虚空に話しかける。


「秘匿回線です。部長の対応はどうでした?」


 秘匿回線により、絶対に外に漏れない会話が可能となる。


「正論でぶん殴られた。そもそも情報統制課は何にも検知してないとも言っていた……」


 虚無感を口に出すと、鵺は嘲るように茶化した。


「はっきり言っちゃいますとー、情報統制課はあんまりアテになりませんよ。人材はまぁ、A級なんですけどね……」


 鵺は自身の失言に気がつき、口籠ったが、椿が促す。


「けど?」


 鵺から新たな見解を得た。


「結局、あの人たちにとっては、自分のスキルというのは企業でお金を稼ぐための手段なんです。しかも仕事は激務で遊んでる暇はないときた。

 彼らの腕前は確かにA級ですよ。電脳世界のグリーンベレーです。

 ただ敵側には、ジャスティスリーグに入れそうなS級のヘンタイもいるんですよ、寝ても覚めてもC言語の事しか考えてないような奴がね。努力は夢中に勝てないと言いますでしょう?

 ほら、元グリーンバレーでもメイトリックス大佐には勝てないでしょう?」


 椿は調子の良い時の鵺が見せる、饒舌から必要な情報を抜き取った。


「鵺、……あなたは、とても楽しんでいるように見えるけど?」


「あはは。バレてますよね。実は……私も情報統制課の方にハッキングしているですが、痕跡が見当たらなくて、でもなんかクサいというか、絶対にいるはずなんですよ。証拠がないだけでね。初期のコナン君と同じで、不謹慎ながらワクワクです。

 映画で言えば、最初に宇宙人の侵略に気づいた人ですよ」


「鵺……ハッキングって、よくはクラック不正工作でしょ? あなたの社則違反が見つかったら私のクビまで確定してしまうじゃない」 


「……はい」


 椿は、リーダーとして鵺に命令を下す。


「ふん。どんどんやっちゃえ。

 それで、万が一の時は私の失業保険の申請を頼むからね。ただし、非合法で手に入れた情報はそのままでは使えない。なんとかしてボロを探すんだよ?」


「分かっています。私たちは、アルカ・ポネ禁酒法時代のギャングを追いかけるアンタッチャブル酒類取締局捜査官ですね」 


 鵺がやる気なのは見てとれた。


「では、私は野暮用で名古屋に行く………鵺はに?」


「え、こっちですけど、あっちで待っていますか?」


「うん。そうして、かっ飛ばしていくから」

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