第79話 干潟の市

 合法的に手続きを済ませた貨物船キュアアクアは、タイ王国南部の湾岸都市チャタ・ポムにへと入港した。  

 船の甲板から見ると、チャタ・ポムの街は、南国らしい眩い太陽に照らされるコンクリートジャングルの灰色とそれを飲み込もうとするようなジャングルの深緑に縁取られている。


 日光対策の日傘と幅広帽を被ったルーリナは、片手でタラップ用の鉄板を船から陸へと伸ばしながら呟いた。


「ユーラシア大陸に足を着くのは何年ぶりかしらね……」


 鉄の板が岸を叩く音が港に響き、何人かの現地作業員が音に驚いて手を止め、振り向いく。音の主は愛想笑いで誤魔化した。


「ルー。私のお墨付きのキーラちゃんがいるのに、本当に私も行かないどダメ?」


 船橋の水密扉の奥から最後の抵抗を見せる青烏。


「アオさん。本当に私とルーリナさんだけで盗品市行かせる気ですか? 狗井さんがアイボになりますよ?」


 日焼け止めの甘い匂いを放つキーラに押された青烏は、ドア枠に足をかけて突っ張った。


「ルーは素でやりかねないし、あなたは悪ノリでやりそうね……」


「またまたー。人をサイコパスみたいに言わないでください」


「人と犬を掛け合わせようなんて、サイコ野郎どころか火星人くらいしか考えない」


「シングは火星人じゃないですよ?」


「日本では、遊星からの物体Xって名前で、そもそもあれは擬態でしょう………」


 ルーリナは、揉み合っている2人に日向の中へと誘った。


「アオはローレンシアのお勉強を見てくれるの?」


 青烏は一瞬も迷わない。


「よし、行くか」

 

 そうして、船を降りた3人は、南国の天気による熱烈で粘膜のように絡みつく歓迎を受けた。


「2人とも、コーラ以外は飲んじゃダメだからね、コーラでも瓶か缶じゃないとダメ。たぶん、あなたたちはここの水を飲むと内臓を壊す。

 食べ物も屋台では買わないように。これは厳令ね」


「分かってる。そもそもエスニックは好きじゃない」


「私も了解です。ところで顔にもタトゥーを入れたいと思うですけど………」


「論外だよ? 記念にタトゥーを入れたがる観光客向けの店なんかは、リピーターを度外視して、針の使い回しとかもやるからね。

 最悪は肝炎とかになる。吸血鬼は死に難い分、長く苦しむか、肝臓をくり抜くはめになる」


「…………じ、冗談ですから……」


「吸血鬼の先輩として冗談で済まないことを教えたまでだよ」


————————————————————


 一向は、海岸線に連なる歓楽街を抜け、山際まで伸びる繁華街の一角の通りに差し掛かった。 


「ここが盗品市ですか……」

 

 建物と建物の間の狭い通りには、ブルーシートを屋根に、電信柱からの盗電で灯る裸電球が輝く屋台が並び、

 屋台が狭めた道を行き交う人々がひしめき合っている。


「スリと人攫いしかいなさそう……」


 青烏の呟きにルーリナは悪い笑みを浮かべる。


「あと泥棒と盗品商もいるよ。ディープな世界の隙間産業さ」


 2人の横でキーラは目を輝かせていた。


「怖さ半分、興味半分かな。どちらにせよ秋葉原に行けないのなら、ジンドウ系列のパーツもここで手に入れるしかないですね!」


「そっちのことは任せよ。私は“写真家”と会ってくるから、そっちのことはよろしくー。帰りは待たなくていいからね」


 ルーリナは、気軽そうに言い残すと瞬く間に人混みの中へと溶け込んでいった。


「あーぁ。行っちゃった……」


「アオさん。こちらはこちらの仕事を済ましましょう! 宝探しみたいでワクワクします」


「私は、まだ船が水面にあるかどうかも心配でガタガタしそう」


 ぼやきながらも青烏の目は屋台に並ぶ電子機器の山を見つめている。


 「………取り敢えず、探すのはコーポ・ジンドウのオートマトンEシリーズの外装パーツ。年式は問わないけどカラーと型はなるべく同一したい。ヘッドパーツだけはアッセンブリーじゃなくて、セパレートの俗に言う“宇宙飛行士”タイプでね。後、JMS規格の魔力測定装置か」


「けっこう大きなパーツばかりですよね」


「だから、あなたがいるの。レディ・ベルボーイ荷物持ちお嬢ちゃん


————————————————————


 繁華街を通り、“ゴーゴー・ストリート”の子供に見せられないショーウィンドウのそばを幼い容姿の吸血鬼は歩いていた。

 品定めにストリートに出ていた紳士たちは、バツが悪そうに彼女から目を逸らし、逆に物陰から少女を品定めする目線もあったが、気にかけない。何かを仕掛けてくるならば、その時は歯牙にかけるだけだ。


 むせ返る暑さと吸い殻の臭気の中を抜け、裏路地の突き当たりにある個人経営の撮影スタジオへとたどり着いた。


 “オープン”の吊り下げ看板を確認し、日本のカメラメーカーとプレイボーイのポスターで目隠しされたガラス扉を開ける。


「ウヌン・ドオさん。仕事を頼みにきた」


「英語、英語オッケー」


 浅黒い肌の東南アジア人は、咥えタバコで、灰色の汚れたシャツと青いチェックのブリーフパンツという出立ちで姿を現し、普段の顧客よりも遥かに背の小さい来客に目を白黒させた。


「デリヘル? ウチじゃないよ。あー、撮影かな? どこの店の娘?」


 “子供の来るところじゃない”という説教がなかったので、この男の倫理観の低さが自身の都合に良いことを見抜く。


「ウヌン・ドオさん。共通の友人の紹介で訪ねた。要件は旅行関係の話だ」


 ドオは、目を細め調子の良く見える笑顔を見せた。


「おぉ……旅行………パスポート用の写真の撮影と必要な手続きかな?」


 ドオは、合点が行ったとばかりに手を叩き、ルーリナも首肯で答える。


「そう。ただ写真はもうある。必要な条件も用意してある。後はを頼むだけになっている」


 ドオの窪んだ目の奥で、どうすれば金を1番多く取れるかを算出すべくそろばんが弾かれた。


「OK。マセたお嬢ちゃん。ここ、盗聴器ないよ、比喩無くても大丈夫。

 オレは代筆出来る。でも出来る人は多くない、完璧な代筆私にしかできない。技能。だから、高価。OK?」


 ルーリナは、彼が“特殊技能”と言いたいのだろうと補足し、交渉のテーブルについた。


「30万———」 


 取り敢えず、あからさま安い額を提示すると、ドオは“何を言っているのだ”とばかりに肩をすくめた。


「ダメ、ダメ、ダメ、CDなら100万でOK。パーツなら300万ね」


 細められた吸血鬼の赤い目に、調子の良く胡散臭い男が口をへの字に曲げて映っている。


「分かった。45万ドルCDで払う」


 ドオは思案するような顔をした。


「パスポート。ICチップて言うもの入ってる。私の代筆、そこも書く。完璧に。だから、技能。見破れないパスポートは高価だけど、価値があるよ」


 場の空気は、ここが最後の駆け引きだと悟らせる。どちらかがここで折れないと、もう片方が取引自体を無かった事にしようと申し出る直前の空気だ。


「分かった。80万CD出そう。手始めに60万を置いていく」


 身体中に巻きつけた紙幣の束を取り出すルーリナを、偽造屋は熱のこもった目で眺め、紙幣を受け取る時には舌なめずりをしていた。


「……80万CD。良い響きOK、OK。4日で出来るよ」


 交渉の駆け引きは90万は欲しかったドオにとっては惜敗であり、90万をボーダーにしていたルーリナにとっては引き分けに相当する。

 札束から抜き取った何枚かを光で透かしながら商売を円滑にする笑顔を浮かべる偽造屋に対し、ルーリナは一つ言いつけた。


「あなたに支払うのは、私が汗水垂らして稼いだの金だ———」


 その言葉にドオは人差し指と親指でOKサインをつくり笑顔で返した。


「だから、私も汗水流すよ」


「そう願いたい。約束が破られたら私はからね」


 ドオは、言葉の真意をある程度は汲んで答える。


「大丈夫。私、プロフェッショナルだから」


「その言葉を信じたよ」


 ルーリナは、リップサービスを口にして店を出た。


 辛気臭い穴蔵の空気から一変、熱風に向かい入れられる。


「ロシアの友が紹介するのだから、腕は確かなのだろうが………胡散臭い。雄弁は銀というからな……………銀は吸血鬼にとって好ましくない」

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