第25話 フラッシュバック現象

 2人の乗った車はルイジアナを抜け、テキサス州の広大な荒野を突っ切っている途中だった。

 西部劇の背景のような荒地の中地平線まで続く道路。路面は劣悪な状態ながらも役目は果たしている。


 日は暑く眩しく、熱風が吹き荒れていた。


 マスタングはひたすら西へと進み、車内ではキーラが舌を噛まないように気をつけながら口を開いた。


「知ってました? トーマス“トミー”レッソさんって、約90歳の2級吸血鬼で、元はニューヨークの『ジリトーゼ』……ですかね、そんな名前の組織の殺し屋だったそうですけど、34年にそのー、ドン……、ドンってボスでしたっけ?

 ドン・ジリトーゼを殺したらしくて、ルイジアナに逃げてきたそうです」


 発熱で冷却ファンが唸るノートパソコン。それを何時間も黙々とタイピングしていたキーラが、突然そんな話を始め、ヴィズは、タバコを口端に寄せた。


「何? 出会い系のプロフィールに載ってた?」


「あははー。まさか、一般公開されてるFBIのファイルに載ってたんですよー」


「そんなサイトあるワケないでしょ……あんた、もやるんだ?」


 ヴィズは、ハンドルをリズミカルに叩きながら運転している。

 リズムは、ラテンポップのノリで少なくとも彼女の心身に緊張が無いことを示していた。


 窓の外を眺める様にして、ヴィズとヴィズの質問から目を逸らすキーラ。


「まぁ、サーバー中にギルドハッカー集団バックドア不正アクセルツールが放置されるので……ある意味公認ですよ!」


 ネット上でのキーラ・アンダーソンは、古き良きハッカーにの小悪党。

 電脳空間に対する多彩な知識を持っていることと匿名性の加護により、現実とはかけ離れた積極性を持ち、愉快犯的な性質でデータ要塞への攻撃する趣味を持ったクラッカーという一面があった。


 やや盲信的な電脳空間への不信を持つヴィズに対して、キーラ・アンダーソンは、ミレニアルデジタル・ネイティブ世代だ。

 そして、彼女はコンピュータの専門的知識を身につけるだけの強い知的好奇心と探究心を併せ持ち、世間知が浅い若者でもある。


 故に、彼女は、自身の技術力のヴィズに誇ろうと企んだ。


「ヴィズさんの情報ないかなー?」


「キーラ、やめときな」


 「ふふん。FBIがダメなら…………CIA———わっ!??」


 ヴィズは、キーラの口から出たアルファント3文字に過剰な反応を示す。


 短絡的にブレーキを目一杯踏み込まれたマスタングは、砂埃を被った路面にブレーキ痕を塗りつけながら減速。

 タイヤのけたたましさ、車の挙動の乱暴さは、ヴィズが起こした発作と似ていて完全に


 キーラは急な慣性の変化で、顔面をダッシュボードに打ちつけ、目の奥で星が瞬くと同時に鼻血が滝をつくった。


 ヴィズは、悶える吸血鬼の髪を掴んで、無理矢理に顔を上げさせる。


「何が分かった!? 76年12月のチィロウ村の件?!」


 キーラは、鈍痛、鼻血の息苦しさ、混乱で言葉が出ない。

 ヴィズの顔は怒りを露わにしているが、感情的な憤怒と言うよりは、パニック症のように常軌を逸っしている。


 ダークエルフの質問に対し、キーラは首を横に振って、知らないという意思表示をするが……。


 ヴィズは、それを曲解し勝手に解説を始めた。


「良い村だったよ。ロホ川のそばにあって、恵まれた土地でね。

 ただ、あの頃の私たちはもうとっくに“クソみたいな大自然”に飽き飽きしていたんだよね」


 ヴィズは、キーラの鼻血を手で拭うと、血のついた指を口に運び、ぞっとするような冷笑を浮かべた。


 吸血鬼のキーラは、ダークエルフが何故を血を舐めたのか理解出来ない。さらにヴィズ自身も理由など分かっていない。


 キーラは、そもそもヴィズの過去について、何も掴んでいない。まず調べ始めていないのだが、トラウマと現実の境があやふやになったヴィズにはそんなことは関係なくなっている。


 キーラが、いたずらと自惚れで地雷を踏んだ事。ヴィズが経験と酒やタバコの力で抑えていたトラウマを呼び出した事に遅まきながらに理解したが、恐怖から謝罪の声すら出ない。


「あの村の連中の何人が傀儡派ペットだったのかは、知らないけど、こっちには大義があった。

 ペット共の所為で、仲間が3人も死んだでいたからね。泥と血の中でね、フーバー最悪

 他の部隊の連中も山ほど死んだ。ペット共の所為でね」


 話をしながらヴィズは、キーラの血を口の中で唾液と混ぜ、嚥下する。

 ヴィズの目には、キーラ・アンダーソンの顔が反射しているが、見ているのは遠い過去の映像で、ヴィズは罪悪感でも自己顕示欲でもなく、ただ記憶を言葉にしていった。


「武器を持たない敵を殺すのは一番簡単な事だから、余興もたくさんできた。

 ……向こうの家は、土壁に稲みたいな草の屋根だから、炉のように高温で、よく燃えるから都合が良かった。

 そういった事を、チィロウは後で罰を受けだってだけ」


 傷の回復したキーラの鼻に、今度はヴィズの紫煙が届く。


「ねぇ、キーラ。戦争ってなんだと思う?」


 言葉に詰まり、恐れ慄くキーラには、ヴィズ・パールフレアというダークエルフが、それまで、何度も命を救ってくれた戦士と同一に見れず、何か得体の知れない怪物に変貌したように思えた。


 「答えは、椅子取りゲーム。この世界には、奪う者と奪われる者しかいないからね」


 砂漠のど真ん中で、2人の間には、殺気か狂気か区別のつかない緊張が走っている。

 その中で、ヴィズは目を眇めすが、暴徒のように荒い行動をしておきながら、彼女の言葉は淡々として底冷えするほどに冷たい。


 その異常さは危機的状況への経験値が低いキーラにも認識していた。


「ヴィズさん——」


「あー、辛いな」


 ダークエルフはそう切り出すと、運転席から離れ助手席からキーラを引きずり下ろそうとする。

 

「待ってください!!」


 席から立たないという可愛い抵抗をするキーラに、ヴィズは豪を煮やして銃を抜き、銃口で突くように顔を殴る。

 それでもキーラの心は折れなかった。


「待ってください! あ、謝りますから! ヴィズさん!」


 キーラの鼓動が早鐘を打ち、耳に届くダークエルフの鼓動も異様に早い。


 ダークエルフのパフォーマンスではない、冷淡さが一層、キーラの恐怖を煽る。


 そして、ガチャリとリボルバーの撃鉄が上がる。

 その金属質な低音は、それ以外の全ての音を掻き消すように響いた。


 ドアが開け放たれた事で差し込んだ陽光がキーラの肌を焼き、重度の火傷のように白い水疱が浮き出始める。


「熱い」


 ヴィズは、うめくキーラの口を塞いだ。


「見た事ない? こんな感じの有名な処刑の写真」


 銃口がこちらを睨む中、シートベルトに固定されたキーラは、身を逸らす以上の対抗策を見出せない。


 キーラは、吸血鬼だが頭を撃たれた経験は無い。


 ヴィズの銃は、対吸血鬼弾なのか、それで自身は死ぬのか、また彼女が本気で自分を撃つつもりなのかも分からず、ただ死を間近に感じるだけの何時間にも思える数瞬が経った時。

 

 ダークエルフが自壊した。

 

「クソッタレ!! あんたを撃ち殺したところで何になる!?」


 過去と現在が混在する頭を合理性で整理する。


 ヴィズは、ある意味ではフラッシュバックにも慣れていた。

 極度の身体的過負荷と侵襲してくる過去を突き放し、現実と幻覚の区別を自力で行う。

 そうして、ヴィズの嘆きの声と共に吸血鬼の太腿の上にリボルバーが落とした。


 吸血鬼の太ももの上に、銃が転がり、キーラは血が沸き立つような閃きで、そのリボルバーを拾い上げ、弾を抜こうとする。


 その目の端に、手を血まみれにしながら地面を何度も殴るダークエルフが映った。


「惨めだなぁ。チクショウ」


 泣く枯れた様な声で叫び、その場に蹲り、意図して大きく呼吸しているダークエルフ。


 その姿に吸血鬼は釘付けになった。


「私、ごめんなさい……ヴィズさん。だ、大丈夫ですか?」


 キーラの声に、ヴィズは一粒溢れた涙を、血の流れる手で拭う。

 そして、顔を上げ、赤く腫れた目とは不釣り合いに微笑むヴィズ。

 

「発作みたいなモン。あんまジロジロ見るな」


 這って車体にすがり、寄りかかるように座ったダークエルフは、額に浮いた冷や汗を拭い目を閉じる。

 その様子は、どこか遠い世界を目に浮かべるようで、瞑想をしているかのようだった。


「時々こんな感じで時系列が飛ぶんだよね。頭ン中じゃ、常に2局同時放送が流れてる気分。

 片方は再放送ばっかりで、時々、そっちしか見えなくなる感じ。それが本当に嫌だ。死者は歳を取らないからさ」


 そのまましばらく呆然とし、何kmも先を見ているような放心状態のダークエルフ。


「さて、吸血鬼。こんな……精神異常者は放って逃げたら? なんなら………」


 タバコを咥え火を灯す。その間もダークエルフは目の端で、キーラが持つ拳銃の動向を伺っていた。


「撃ち殺す? 殺しは簡単よ」


 その一言で、唾を飲み込む吸血鬼を尻目に、ヴィズはタバコを手にシャツの裏地を見せる様にして、ポケットのスキットルを取り出すと、それを口へと運ぶ。


「時は金なり。早く決断しないとね」


 酒を煽り、一瞬顔をしかめるヴィズ。


 キーラは、彼女なりに状況分析する。

 これが、PTSD心的外傷後ストレス障害とか言うやつなのだろうと……。

 キーラには、ヴィズの精神状態を理解する術持たないが、折り合いをつける事は出来た。


「ヴィズさん。私が、運転してみますから、一緒に行きましょう!」

 

 ヴィズにとってその言葉は、完全な予想外で、その言葉を受けたヴィズは、彼女がキーラに銃口を突きつけていた倍近くの時間を唖然としていた。


 だが、キーラにとってこのままヴィズを置いて行くという選択肢自体が存在しない。


 彼女には、ヴィズが必要だった。


 ダークエルフは鼻で笑い、逆の立場だったら、確実に見捨てていたであろう現実を笑い、立ち昇る紫煙を見つめる。


 逡巡の果てにヴィズはキーラを


「いいよ。運転をお願いする。命は粗末にしないとね」

 

 ずるずると緩慢に立ち上がるヴィズに心を許し、キーラはシフトレバーを跨いで運転席へと座る。


 この無免許の吸血鬼は、脳内イメージトレーニングでは、完璧な運転をしている自身を信じ、ダークエルフが助手席に乗るのを待つ。


「搭乗完了であります」


 ダークエルフがシートに収まり、ドアの閉まる風圧で砂埃が舞った。


 キーラは、ヴィズの平坦な口調に無言で頷き、クラッチを、エンジン始動のため鍵を回した。


 鍵を回すと同時にマスタングは急発進して、数メートルで停止した。


 車内では、先程とは逆にヴィズが急発進とその直後の急停止により、頭部をぶつけその痛みを堪えながら怒鳴る。


「バカ! クラッチを踏め」


「わ、分かりました。これで完璧です」


 目一杯ブレーキペダルを踏み込む吸血鬼。


フーバー最悪だ。全く」


 ヴィズのその発言の後、キーラは更ありとあらゆる失敗を繰り返した後、アリゾナ州へと到達した。

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