第16話
縦に検算をしていても埒が明かないので横に検算してみると、気付くことがあった。一人ずつ接待費用が五千円ずつ上がっているのだ。十人の役員のうち、全員がきっかりと五千円。これならば丁度五万円になる。しかも曖昧な接待が多く、それなのに丁度五千円と言うのがおかしかった。図書室にあるPCで接待先を調べても、ペーパーカンパニーなのか引っ掛かることがない。もう暗くなって来た春の宵、簓は早歩きで病室に向かう。糸口になるかもしれない、個室のドアを開けると衝立の向こうで何やらもみ合いになっている影が見えた。一人は義景、一人は――
「嫌だ、嫌だぞ山本!」
「何度も言わせないでください坊ちゃま。その口を開けるまで、私も引きませんよ」
「嫌だ! っふぐ」
「やっと片付きましたね……」
ぞっとした想像に、簓は速足で衝立を退ける。
口からシチューのほうれん草を垂らしている義景と、しれっと手を拭いている山本だった。
どうやら食事の時間になっていたらしい。
「何をしているのかと思えば……」
はあっと溜息を吐いた簓に、涙目になりながら義景がだって、と子供のように口元を拭う。
「シチューに入ってるほうれん草は苦手なんだ、なんだか苦い気がしてシチューのまろやかさが台無しになってしまう気がするんだっ」
「病人食なんだからちゃんと食べてください。怪我の治りが遅くなっちゃいますよ、子供じゃあるまいしまったく……」
「簓様の皿に入れようとしておりましたので、ちょっとばかり強引にしておきました」
「へ? 私の皿?」
「簓様の食事が出ていなかったので、おやつの時間にナースステーションで頼んでおいたものです。シャンプーは不便でしょうが、ドライシャンプーをお使いください。くれぐれもボディガードとして坊ちゃまの事、お願いいたしますね」
「は、はいっ」
杞憂に顔を赤くしながら、簓はぎゅっと帳簿のファイルを抱き締める。それから来客用の椅子を引き寄せると、確かに盆には二人分の食事が置いてあった。本当の気の利く人だけに敵に回したくない。
やはり未知の食材であるシチューに口を付けると、確かにまろやかな味で、少しコショウが入っているのも効いていておいしかった。義景が我が侭にも食べなかったほうれん草も口にしてみるが、特に味が壊れると言うこともない。多分緑色が野菜を連想させて苦手なのだろう。ぷっと笑うと、簓ちゃんまで笑わなくたっていいじゃないか、と拗ねた声を出される。
「では、簓様の食事も出ていることを確認しましたので、私はこれで」
ぺこりと頭を下げて出て行く山本に、ドアがきちんと閉まってから簓は義景に訊いてみる。
「例の事、何か言ってました?」
「いや、ただ今家が騒がしいとだけ……取りようによっては大掃除しているだけにも聞こえる言い方だった」
しゅん、としょげて見せる義景の頭を撫でて――自分でする方になるのは初めてだった、そう言えば――、簓は帳簿を出す。前に。
「簓ちゃんプリン食べないの?」
「ぷりん?」
「君の分だよ、こっち」
黄色い何かが入っている密封された容器に、簓は首を傾げた。
「食べ物だったんですか? 私の?」
「簓ちゃんプリン知らないの!?」
「はあ、まあ、デザート類には疎いです。ヨーグルトもこの前の朝に食べたのが初めてでしたし」
「食生活と生活環境両方に訴えかけてくるのやめて……」
がっくり肩を落とした義景を脇に、簓はプリンのカップを取ってみる。一部分だけ飛び出しているところがあるから、ここから包装を剥ぐのだろう。べり、と取れたそこからは何ともおいしそうな匂いがしていた。甘くてほんのりと苦みもある。スプーンでつついてみると、ぷるぷるしていた。少しだけスプーンに取ってつるりと口の中に運ぶと、それは甘かった。
「甘い! 甘いですよこれ、義景様!」
「塩プリンは未経験だよ、プリンは甘いものだよ……退院したら山本にプリン・ア・ラ・モード作ってもらおうね、簓ちゃん。って食べるの速いな!」
「底の方の茶色いのがまた甘くて幸せでした……ありがとうございます、義景様」
「お礼は山本にね。ところで帳簿、何か新事実は解った?」
「解ったと言いますよりこんがらがったと言いますか」
かいつまんで話すと、義景の眉間にしわが寄る。
「誰かが水増し請求してると思ったら、全員か……しかも相手はおそらくペーパーカンパニーと来てる。厄介なことになって来たね」
「そうですね……」
「簓ちゃん唇舐めながら返事するのやめて」
「甘さが勿体なくて」
「多分毎食付いて来るから」
「そんなに!? 一個五・六百円するのでは!?」
「三個で百円だよ! 簓ちゃんの金銭感覚おかしい、どうやって暮らしてたの本当に」
「適度に虐待されて中学卒業したら義務がないって放り出されました。あ、でもちゃんと貯金通帳はありましたよ。養育費振り込みの」
「ちょっと見せて……」
信用がないな、思いながら簓は置きっぱなしだったトートバッグの一番底を漁る。通帳を出すと、綺麗に振り込みばかりが並んでいるのが見えた。祖父は一銭も使っていないらしい、それを確認しながらあれ、と義景はつぶやく。
「ここから振り込み人の名義が変わってるよ、簓ちゃん」
「え? そうなんですか?」
「うん、ハリモトツバサからハリモトツカサになってる」
「本当だ、確認してないから気付かなかったです」
「自分の財産の管理は自分でしようね。そして――三年前の三月、丁度帳簿の計算が合わなくなったところからだね」
偶然にしては出来過ぎている、か?
「……山本の名前も、司って言うんだ」
これは。
出来過ぎた、偶然だ。
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