第14話

 使途不明金はきっかり百八十万。一度どこかにプールされていないだろうかとPCを立ち上げオンラインにし、関連会社を調べてみるが、子会社も系列会社もその様子はない。ないというより分からないのだろう。丁寧に丁寧に偽造してある。もしかしたらさっさと現金化してマニュアルで自分の口座に入金しているのかもしれない。そうなると確実な証拠がない限り犯人を追い詰めるのは難しいだろう。少なくともこの一週間では。

 洗濯物を取りに来た山本は、頭を痛めている様子の義景に首を傾げていたが、黙ってまだ温かいホットケーキをおいて行ってくれた。できる執事は良いなあと思いながら、簓もおやつタイムに入る。当然だが患者以外の食事は配膳されないので、昨日の夜食のホットケーキから何も食べていない腹にはその温かさが優しかった。結局義景と同じメープルシロップを選んだのだが、今日はし少し変わり種だった。瓶に入ったバター状の物。きょとん、としていると義景が瓶を開けた。濃厚なメイプル臭に腹が減る。

「それって何ですか?」

「メイプルバターって言って、メイプルシロップを煮詰めて煮詰めて煮詰めて行くとこんな感じに固形になるんだ。おいしいから簓ちゃんも食べてみて」

「はあ」

 バターと言うからには塗るのだろうか。バターナイフも付けられているし。薄く薄くのばしてみると、溶けて染むようになっていく。義景に瓶とバターナイフを渡すと、こちらはたっぷり使っていた。昨日のメイプルシロップの時も思ったが、彼は食べ方が幼い部分がある。主に甘いものに関しては。

「では」

 いただきます、としっとりした生地を口に含むと、えも言われぬ感動が簓の頭の中に叩きこまれてきた。

「美味しいです! ちょっと固まったところとかなめらかな所とがアクセントになって!」

「だろう? 入院した時は必ず山本が持って来てくれるんだ、昔から」

「そう言えば誘拐に巻き込まれたりしてたって昨日仰ってましたけど――」

 これは訊いても良いのかな、と思いながら目顔で問うと、ああ、と何ともあっさり頷かれる。

「僕って一応大企業の御曹司だったからね。誘拐されることも結構あったんだ。その度に山本がボディガードになってくれたりしたんだけれど、やっぱり届かない時もあってね。学校の臨海学校とか林間学校とか修学旅行とか。散々な思い出しかないよ、まったく」

 言う割にくすくすと楽しげに笑う。そしてそれは笑っていい所なのか分からない簓はそうなんですか、と淡白な返事しかできない。積立金を払わなかったから彼女は小中と修学旅行にも行っていないのだ。あの村から出たのはこれが初めてである。そして村には戻れない。宿無しの身なんだなあ、と改めて感じれば、腹にメイプルバターは染みるばかりだった。それでもさっさと食べきってしまうのは、空腹故だったが。本能の前には逆らえない。

「おう、おやつか嬢ちゃん坊ちゃん」

「緑川警部」

「もうないですよ。すっかりお腹の中です」

「ちっ、良い匂いだけ残しやがって。山本も一人分ぐらい余計に作ってくれってんだ」

「そしたら私が食べますけど。あむあむと」

「欠食児童め! この欠食児童め!」

「その通りですが何か?」

「……何か嬢ちゃんと話してると切なくなるから良いわ。ところで坊ちゃん、悪い知らせだ」

「悪い知らせ?」

「理事会のメンツが昨日からお前んちに入り浸ってる。山本の事だから上手くかわすだろうが、多分お前を社長の座から引きずり落そうとしてると見えるな」

「まあ、そんな所でしょうね」

「何で山本さん?」

 きょと、と目を開くと、緑川がああ、と答えてくれる。

「理事会OBで本家の執事ともなれば発言力は結構高いんだよ。その山本が説得すれば坊ちゃんも辞退せざるを得なくなるだろうって言う腹積もりだろうな。まさかあの山本が裏切るこたあないと思うが、一応の報告だ」

「山本さんが皆を呼び寄せた、という可能性は?」

「簓ちゃん?」

「不可逆な発想ではないと思いますけれど」

 ふむ、と頷いた緑川と対して、激高したのは義景の方だった。

「山本が裏切ってるとでも言うの、簓ちゃん! ありえないよ、山本にはしっかり賃金も部屋の用意もある程度の現金も持たせてある。二百万足らずぽっちのために僕を裏切るようなことはしない!」

「足らずぽっち、ですか、人によっては動く金ですよ。私とか」

「簓ちゃん? まさか」

「私じゃありませんよ。と言っても信用は山本さんの方が上でしょうけれど。図書室に行ってきます。検算はそこで続けますので、また何か見つけたら報告に参ります。では義景様、ナースコールにはくれぐれも気を付けて」

 そうして簓は部屋を出て行った。

 まるで逃げるように、出て行った。

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