「やれやれ」
僕は口の中でつぶやいた。
「今日も出なそうだな」
僕は長いあいだ糞詰まりに悩んでいた。もう十年来の付き合いだ。食物繊維を増やしても悪化しただけだったし肉を増やせば油だけが滲みてくる。環境を変えようとフランス製の和式便所に改装したのは失敗だった。旅行から戻った彼女が三和土にキャリーケースとディオールの残り香だけ置いて消えてしまった。
僕はウィスキーの代わりに秋まで生き残った麦茶をブランデーグラスに注いで、パスタのつもりで讃岐うどんを茹でながら、脳内でボブディランのレコードに針を落とした。曲を知らないので音は鳴らなかった。そもそもレコードに針を落とすとはどういう意味か僕は知らない。
「どうして」僕は僕に尋ねた。「どうしてこんなことをしてるんだろう」
『……今年のノーベル賞が発表されます』
つけたテレビで赤いスーツの女アナウンサーが言った。
「オーケー」僕は素の讃岐うどんに生卵を落とした。「今日は村上春樹デーか」
僕は村上春樹を嫌っていないがハルキストが苦手なので読まないのか聞かれたらいつも詳しくないねと答えている。嫌えるほど読み込んでいないのだ。
「じゃあなぜハルキストは嫌うの?」
と僕は女アナウンサーの唇にアテレコした。
「ハルキストはズレてるから」
僕は僕のアテレコに答えた。
「そんなに好きなら春樹になればいいのに」
まず押入れのあるアパートを借りてオリベッティの英字タイプライターをしまい込むんだ。それから神宮の外野席を取って、ライトを守る選手の尻を眺めながら、ウィンナ盛り合わせメガ盛りとビールを楽しむ。試合に勝ったら喜んで、負けたらこれが普通さと嘯く。家に帰ってタイプライターを前に途方に暮れる。これだけだ。
「やれやれ」
僕は相手がいなくなってしまったので右手とセックスした。湿ったティッシュを丸めているとき、僕は急に僕がわかった。
僕は本来的なハルキストと異なる想像上のハルキストを模倣する狂人なのだ。
だってしかたない。
「僕の春樹は村上龍が編集した現代ホラー傑作選の『鏡』だけなんだから」
僕は氷が溶けてチャバネゴキブリの後ろ翅みたいに薄くなった麦茶を口に含み女アナウンサーに言った。
「明日はうちでファックしようよ」
飲み下す前だったので口から麦茶が溢れて僕のペニスと睾丸と太ももとクッションと座椅子とカーペットを濡らした。
僕はアテレコする。
「あなた今どこにいるの?」
僕が知っている村上春樹なんてそれくらいだ。
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