竜と蕎麦処の姫

 人里を離れ、寒風吹きすさぶ禿山を二つも三つも越えた先に、霊峰ドラコアは雄々しく立つ。かつて空を焦がし大地を焼き尽くしたとも伝えられるドラコアは、最後に噴煙を散らしてから千年が経つ。周囲は人が暮らすにはあまりに過酷で、火山灰を主とした土地は小さな白花を咲かすのが精々である。

 しかし、そのドラコアの中腹ほど、海抜二千メートル付近に、小屋はあった。

 傍に小さな滝と清流をそなえ、いかな怪物から得たのかしれない巨大な白骨で拵えた水車を下ろす、木造りの小屋だ。

 入り口は王国には珍しい引き戸で、軒先に暖簾がかけられている。くねり曲がり判読に労を要する文字列は、


 ――そば処、青龍庵。

 

 青髪の男が首を傾げた。久方ぶりに帰ってみれば、永劫の記憶を宿す頭脳に痕跡すら残らない小屋が建っている。山の主としてはいささか不満をおぼえるが、人の身でドラコアに住もうという気概は認めてやらんこともない。


「まぁ、顔を見てみないことにはな」


 呟き、青髪の男は遠く東方の土地で手に入れた羅紗のマントを翻す。すらりとした手で引き戸に指をかけ滑――ガッと止まった。鍵だ。人家なれば当たり前。しかし――


「ドラコアだぞ……!?」

 

 男は背後の山々に振り向く。乾き、冷えた風が抜けた。たとえ死罪に値する咎人でもドラコアに逃れるとなれば世捨てと呼ぶ。人などない。あるはずがない。換言すれば家を襲う者がどこにいる。


「――ここか」


 青髪の男は自らを眺めおろした。サクリ、サクリ、と小さな足音があった。家主だろうかと見やる。


「――ふぇっ!?」


 背中に両手に大籠を下げた少女が、顎を落とさんばかりにしていた。驚かすつもりはなかったが、驚かれるのも無理からん。

 青髪の男は腰を屈めて少女に尋ねた。


「そば処か?」

「ふぁ、ふぁい!? お客さん!? えぇぇぇぇぇ!?」


 少女の悲鳴がこだました。

 そして。


「いやー、お客さんが来るなんてびっくりですよー」

 

 少女は男を招き入れ、すぐに支度するからと湯を沸かし始めた。


「……ここは店なのか?」

「はい! そば処、青龍庵と申します!」


 パチンと両手を合わせて、少女が腰を折った。

 

「蕎麦、とは?」


 尋ねると、少女は急に神妙な顔になった。


「天、地、人を揃えて初めて供せる神物にござる」


 その気品あふるる姿はそう、さながら山姫のようであった――が。


「ござる?」


 青髪の男――人化の法を尽くした青龍は、聞き馴染みのない語尾に眉を寄せた。

 水車の力で、石臼が回っていた。

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