文章リハビリと実験

 夏のように暑い五月の連休最終日。

 河川敷の野球場を見下ろす土手から、見物客の黄色い声が飛んだ。


桜葉さくらばサーン! 思いっきり振るデース!!」


 同じ商店街の、つい最近改名したばかりの中華屋の、若き女店主だ。金髪碧眼にモデル体型の自称秋田人。

 応じるように代打がコールされた。


「ピンチヒッター、桜葉」


 桜葉と呼ばれた少女は苦笑まじりに青いフェイスガードつきヘルメットを被った。

 商店街対抗硬式草野球大会は、九回表を終わろうとしていた。

 四対三の一点ビハインド。

 二死、一三塁。

 長打が出れば逆転もある。

 桜葉は白いバッティンググローブをはめ、愛用の三十五インチ黒バットに滑り止めし、眼鏡越しに鋭い眼光を飛ばしながら左のバッターズボックスに歩きだす。

 守備隊形は流し打ちを意識した三塁寄りの極端な前進守備。

 ここで切るという強い意思が見えた。

 硬軟を問わず経験者ばかりが参加する大会で、彼女は三人しかいない女子のうちの一人だ。内外野の間にポトンと落ちるのが一番怖いのだろう。

 桜葉は審判にヘルメットのつばを撫でて見せ、バッターズボックスの奥深くをスパイクで掘った。立つのはインコースのきわ。背の低い彼女が外角いっぱいのボールを叩ける唯一の場所。手にするは三十五インチの長尺バット。唯一の正解。

 桜葉はバットを一度、肩に乗せ、青空に息を吹きかけた。一拍の間を取り、マウンドを睨む。

 すぅっと、まるで剣を構えるようにバットが立った。

 投手ピッチャーが一三塁を確認し、セットに入る。足が上がった。スパイク裏についた土が煙のように落ちた。


「ッッッシ!!」


 気迫の一球が内角をえぐった。恐怖で起こしてやろうという球筋。ボール。

 しかし。

 不動心。桜葉は微動だにしない。静かにバットを下ろし、足元で振り子のように揺らして、戻す。

 狙い球が分からない。投手が返球を受け汗を拭った。捕手キャッチャーが桜葉の様子を窺いながらサインをだす。内角ストレート。投手は首を振った。七回から入り投球数は五十を数える。球威に自信がもてなくなっていた。

 捕手がもう一度、同じサインをだした。

 ビビるな。

 女子だぞ?

 そんな声が聞こえてくるようだった。

 投手が頷き、セットに入る。足を上げ。躰を捻り。投じた。


 ――甘い。


「ッッッシャオラァァァァ!!」


 打棒を振り抜くと同時に桜葉が吠えた。銃声を思わせる快音を残し、白球が外野の遥か頭上を飛越えていく。

 桜葉は悠々とベースを回った。

 九回裏のマウンドに備え、左肩を回しながら。

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