しゃぶ漬け定食

 阿漕あこぎうりは会議室で頭を唸っていた。顔を上げればお偉いさん。顔を伏せれば手元の資料。しゃぶしゃぶチェーン店『ポン引き屋』の営業企画会議にて提案された、


『しゃぶ漬け定食レディースデイ無料』

 

 の企画書である。

 このコンプライアンスにうるさい時世に何たるネーミングかと阿漕は思う。

 しかし、元を正せば店名からして『ポン引き屋』である。正確には『ポン』と『引き』の間に小さな『ス』が入る『ポンス引き屋』――創業者が瓶詰めした特製ポン酢を台車で引き売りしていたことに由来する――なのだが、伝統の店名すら消費者の注文がつく時代だ。

 だというのに。

 阿漕は冷や汗を拭きつつ小さく挙手した。


「下っ端の私が言うのも烏滸おこがましいのですが――」

「歳は気にしないでくれ」


 気づいた議長が笑顔で頷く。


「ウチのウリは安価と一定の味だからね。若い人の意見が何よりも重要だ」


 クソ真面目な回答に、阿漕はますます恐縮しながら言った。


「……申し上げにくいのですが、このネーミングは如何なものかと……」


 ざわ、と会議室に動揺が走った。

 企画を提案したマーケティング部の広報部長が阿漕を睨んだ。


「どのあたりが問題かね。はっきり言ってくれ」

「いえ、その……しゃぶというのは……」

「しゃぶしゃぶと漬物盛り合わせのセットでしゃぶ漬け定食――若いお客様には軽く言えるほうがいいそうだが?」


 それは、そうだ。なんなら勝手に省略するかもしれないが。

 阿漕はシャツの襟元に指を回した。


「レディースデイ無料というのも、その……」


 スッと営業部長が手を挙げた。


「データにもあるように男性のお客様は胡麻だれを選択される率が高い。だがウチは特製ポン酢の店で、選ばれるのは女性のお客様が中心だ。それに漬物盛り合わせは一緒に注文されることが多い。で、あるならば」


 んん! とマーケティング部長が咳払いした。


「情けない話ではあるが、ウチのような店はなかなか高級店に太刀打ちできない。ブランドイメージも――少々口が悪いが、大衆向けと言うしかない。ただ――」

 

 目線を送られ、商品開発部長と、招集された一号店店長が口を揃えた。


「コストパフォーマンスと言わずとも、味では絶対に引けをとりません」


 頷き、マーケティング部長が続けた。


「なら、まずは味を知って頂く。そのうえで――」


 だったら、ネーミングセンスをどうにかしません?

 阿漕は苦悶の表情で頭を抱えた。

 この人達は真面目で、『シャブ』などという隠語を知らないのだ。

 

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