執事ガード下

 瑠璃垣るりがきピュアは今日こそ誘うと決意し、二階堂にかいどう櫻子さくらこの動向を観察する。

 櫻子はピュアの教育を担当する麗しき女性だ。容姿端麗、頭脳明晰、ありきたりな賛辞はしかし正しく彼女にのみ相応しい。けれど、それ以上にピュアの心を惹きつけてやまぬのは、彼女の所作だ。

 ピンと伸ばされた背筋、指を踊らせるようなキータイプ、そして、もうひとつ。


「櫻子さん、ちょっといいですか?」


 上司が警戒しながら話しかけた。

 櫻子は長い睫毛まつげを優雅に上下し、しとやかに振り向く。


「なんですの?」


 上司ですら明らかに対等以下に置いてしまうお嬢様言葉。にっくき上司に敢然と相対しているかに見えるのだ。

 できれば仕事だけでなく私生活も学びたい。

 ためにささやかな女子会をしたい。

 機を狙い続けた終業間際、ピュアはやっと声をかけられた。


「さ、櫻子先輩!」

「あらピュアさん。ごきげんよう」


 この一言で流されてはならない。


「よ、良かったら一緒に飲みに行きませんか!?」


 言葉の選択を誤った。気付いたときには、櫻子が口元を隠し笑っていた。


「よろしくてよ」

「ゔぇ!? マジですか!?」

 

 またも。しかし櫻子は動じない。


「ええ。ちょうど、今日はいつものところに伺おうと思っていましたの」

 

 行きつけ! 噂に聞いたことあるやつ!

 と、ピュアが意気も揚々ついていった先は。


「……え?」


 汚ねぇガード下の居酒屋だった。

 暖簾がわりの黄ばんだビニールシートが高架を走る電車の振動で揺れている。周辺に粘っこく魚臭く煙と蒸気が立ち込め、潰れた酔客が座り込んでいた。

 店先に置かれた端の欠けてるメニュボードに『べろべろ執事』の店名。

 困惑するピュアをよそに、櫻子が優雅にビニールシートをくぐった。


「ごきげんよう」

 

 慌てて続き、ピュアは絶句する。

 脂ぎった店内に見目麗しき執事が一人。安い合板をビールケースに乗せた簡易テーブルに数人の先客。

 執事が恭しく一礼して言った。


 ガガガガガガガガガガガガガガお帰りなさいませ、お嬢様


 騒音で聞き取れない。櫻子が席についた


「ピュアさんは何にいたしますの?」

「へ!?」

  

 ピュアはメニューを探すが、それらしきものが――あったが、触りたくない。

 

「あ、あの、オススメは……」


 櫻子は人差し指を立てて腕を挙げた。執事がかしこまって一礼する。


「わたくしにあん肝と梅焼酎ふたつ、ピュアさんにぶっこわレモンとタルタル塩レバーをお願いいたしますわ」


 ガガガガガガガガガガガガガかしこまりました、お嬢様!!


 今度は薄っすら聞き取れた。

 執事の声は、死ぬほど酒焼けしていた。

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